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2002年12月

 

■ホームページの更新

2002年12月30日(月)

 今年最後の更新をしました。
なんちゅうか、ともかく2002年を忘れてはいけないと思って、こんなことをしてしまいました。
もちろん思い出だけに生きることはしたくないけど、ニホンジンって思い出をしっかり次に活かしたり、反省するのが下手な気がするんです。だからこそ、この年末にどうしても書きたかったんです。こちら

ではみなさん、良いお年を。

 

■地球環境高校を応援してください

2002年12月27日(金)

 今日は旧来からの友人のメールを転載します。
本当によろしくお願いします。

==================
サッカーを愛する皆様ごきげんよう

拝啓

 貴下益々ご清栄のことと心からお慶び申し上げます。平素は格別なお引き立てを賜り厚く御礼申し上げます。今回はお願いがありまして皆様におかれましては、誠にご多忙な中、メールにてお邪魔させていただいております。

ご存知の通り私10数年前から古典的日本サッカーサポーター集団、日本サッカー狂会に席を置かせて頂き末端を汚させて頂いております。そこで知り合い以後お付き合いをさせて頂いており、以前川崎フロンターレの監督をされていて、J1絶望の淵から監督に就任され、その年の秋に川崎フロンターレサポータを喚起の渦に導いてくれました松本育夫氏をご存知の方も多数いらっしゃるだろうと存じます。

その松本育夫氏は本心とは裏腹に(本人は非常にやりたがっていたのですが・・・)川崎Fの社長に棚上げされ、その後は顧問に追いやられたことも覚えていらっしゃると存じます。その後、松本氏は現場に再度でて実際に指導を行ないたい気持ちを押さえることが出来ずに、安定した富士通グループでの実質関連会社社長と同等の待遇に未練を持たず、単身新設高校の監督に就任いたしました。

申し送れましたが私は前記のとおり松本氏と知り合った後も、共にアトランタオリンピック等に遠征したり(無論私は観戦ですが)私が元の会社で運営していたサッカーリーグへ講師として講演をお願い
したりと年の差はありますが、良き相談相手として継続的にお付き合いさせて頂いております。

戻りますが松本育夫氏が監督を務めている高校の名前は「長野県 佐久市 地球環境高校」かなりの高校サッカー通の方でも多分お耳にされていないと思います。なぜなら前記のとおり2002年4月に開校したばかりの本当に新設高校であり、しかも広域通信制高校とあまり聞きなれていないシステムで学べるようになっております。正直、同校は全国で不登校を始めとした、いわゆる問題児的な生徒に再度
就学させ社会人として更正させた上で世に送り出すことを目的としております。
http://www.earth.ac.jp/ebh.html 

そんな学園である中で一つのシンボルとして学園長がサッカーを選び監督として松本育夫氏に白羽の矢を立てたわけです。同校同サッカー部の集員も通常の生徒と同じ、いわゆる各校の”ちょっと問題があったり””不登校から退学してしまったような元生徒・元部員”を集めています。そんな、いわば扱い難い生徒を指導し、皆様が良くご存知の熱血指導で創立後わずか半年で全国高校サッカー選手権まで同校を導いてしまってのですから、今さらのように松本氏の手腕には敬服いたします。

私と私の友人は完全に松本氏の人柄に惚れているせいもあり、今回は長野県の高校サッカー地方大会(地区予選)に度々観戦に訪れ、改めて松本氏の人格に惚れ直し、また部員の本当に真剣にサッカーに取り組む姿勢に強く打たれて帰京いたしました。さすがに地区予選から観戦いたしておりますと思いいれも強くなり今から本当に一回戦が楽しみです。そこで今回貴殿の仕事中にお邪魔してのお願いでございます。度々申し上げておりますように、同校は新設校です、すなわちOB・OGはいません。また広域通信制ということもあり、同級生であっても顔を見ていない場合が非常に多いとの事、部員は極めて少数(22人の登録数にも達しておらず、17名ほど)かつ遠方からの国内留学生が多い、親もあまり教育に熱心では無い・・。

以上の状況を鑑みて、折角今回晴れの舞台に駒を進めたというのに全国大会での応援が全く無いことを松本氏は危惧されており、今回私の元に応援メンバー召集に関しての依頼がありました。松本氏は応援に関しても部員に良い思いをさせてやろうと心から心配されていました。不肖私も古くから存じ上げている身であり、ここはひとつ各方面へお願いさせて頂いても、ある程度応援席を埋めることに協力をさせて頂きたく思い、昔ながらの伝でまず私の古くからのサッカーを通じて知り合わせて頂いている皆様の下へ連絡させて頂いておる次第です。皆様なら松本氏を知らない方はまず、いらっしゃらないだろうとも思いまして・・

是非12月31日 さいたま市駒場スタジアムにて松本育夫氏が率いる地球環境高校の応援をお願い申し上げます。キックオフは12:10相手は立正大学淞南(島根県代表)です。

サッカーを愛し、そして松本氏を心から慕うサッカー馬鹿の心からのお願いでした。

PS:同校のチームカラーは赤です。駒場はご存知浦和のホーム、チームカラーは赤です!

駒場のバックスタンドの一角を赤で埋め尽くしましょう!

 

■ワールドカップ総括

2002年12月26日(木)

 本日の朝日朝刊に表題が掲載されていた。意見はかなーりあるが、あるサイトのメルマガに記載してしまったので、こっちには書かないよーん。

でも一言だけ。
JAWOCよ、無駄金だけは使うなよ。おまえらの「黒字」には、たくさんのサッカーファンの”血と汗と涙”が入っているんだぞ!それだけだ。
さあ、のみに行こうっと・・・。

 

■磐田が負けた。

2002年12月25日(水)

 きっと言われるんだろーな、名波や服部がいないからって。でもよーく考えて欲しい。彼らの代役は川口、金澤、前田達で充分務まるはず。問題は、名波や服部がいないから仕方ないのかな?と思ってしまう「弱い心」の方じゃないかな。ちなみにこの弱さとは、選手もコーチもそしてサポーターにおいても同様だと思うけど、いかがでしょうか?来シーズンに高原がいればの一言は禁句だよ。みんな、そのための準備をしようね。

 ところで、サイスタで観戦予定のセミファイナルが、広島vs京都になってしまった。一緒に行くKTWさん、どっちを応援します?クボかなぁー。

 

■クリスマス・イブ

2002年12月24日(火)

 クリスマスイブである!ということで、またしてもムカシ話をご披露。
あれは既に社会人にはなっていたけど、バブルと言われる時代の少し前だったと思う。ある年、大人になりかけの僕は彼女(って今の奥さんね)とイブを過ごそうと思い、イタ飯レストランを予約した。そこは、まあまあ行き着けの店だったため、当然アラカルトで注文しようとしたのであるが、イブの日はクリスマスディナーのみ、それも通常と比較してぶったまげるほど高い金額だった。僕はかなり不満ではあったが、そこは彼女(しつこいけど今の奥さんね)の手前、大人しくふるまった。そして夜は更け、25日になった。その日、僕は午前中になんらかのシゴトで六本木のANAホテルへ行った。そこで壮絶な光景に出くわす。なんと学生に毛のはえた程度の年のカップルがわんさかいて、チェックアウトをしているのだ。そしてカップルのおねいちゃんの手にはお決まりのティファニーが燦然と輝いていた。(関係ないけど、ANAホテルって名前はそそるねぇー)

 昨晩のクリスマスディナー、そしてこのANAホテルの光景。これを見たボクは、一言アホじゃないかと思った。別に食事だってホテル宿泊だって、日をずらせば安くて良質のサービスが受けられるのに、何故わざわざ高い日にボクらは「気どる」ために、高いカネを払わなければいけないのか。ボク自身を含めて踊らされている庶民のアホさが、なんかすごくなさけなくなってしまった。

 そして翌年のイブ。僕らカップルは銀座の河豚料理屋でおいしい河豚を味わった。その翌年は地鶏料理を堪能した。イブの日の日本料理屋は通常のメニューであり、かつ空いていて最高だった。そうして結婚してからも数年、僕ら夫婦はイブの日に日本料理を食することを決まりごととしていた。こんなディナーこそが「オツ」なもんだと今でも思っている。しかし、そのひねくれディナーもここ数年はやっていないなぁ。今日もオヒゴトでヘロヘロらぁ。たまには、サンタコスプレでミニスカートのおねいちゃんがいるキャバクラでも行きたいなぁー。(ウソ、ウソですよ。まっすぐ帰ります。)

 

■有馬記念

2002年12月23日(月)

競馬はとんとわからないボクだが、たまーに買う。で、競馬新聞とかを見ても全然わかんないので、買う枠はいっつも決めている。1枠と4枠である。これはね、枠の色が1枠が白、4枠が青だから。その意味はわかるよね。

そんで、有馬記念だが、今年はtotoが全然ダメだったので、ちょっくら気合を入れて5000円買った。前述のとおり1−4枠を中心とするが、もう少し買えるので、サッカーに関係のある馬名を探した。いました2番の”コイントス”。ということで、馬連で1-2 1-5 1-6を軸に適当に。そしたら1着3着だった。惜しい・・・。惜しいけど、はずれははずれ。結局totoの負けを競馬で返すのは夢となった。

ぐやしい・・・、こうなったら競艇にでも手を出すか・・・。
こうして人間、ドロ沼にはまっていくんだろーなぁ。

 

■本日閉店

2002年12月20日(金)

少しばっかシゴトが忙しくて、ネタなしです。そんなかで少しだけ。

今日は相模大野まで行ってきたが、オイラ小田急線って大キライだ。いっつも混んでいてイヤになる。で、帰りはロマンスカーで帰ってきた。成城学園なんて住みたくない。下北沢なんかで飲みたくない。オイラ、江戸っ子だしね。

チョンモンジュン(漢字にするのがめんどくさい)やってくれるねぇ。世界は”ひゅんだい”のために回っていると思ってるのかね。くさー。

 

■浅すぎる・・・

2002年12月19日(木)

 ぼやき漫才ではないが、「世の中浅すぎる」とぼやきたい。今日のお題は昨日判決の下りた、国立市のマンション建設問題である。確かに、建物が建ってしまっているのに何故解体しなくてはならないか?という業者側の理屈はおかしい。何故ならば、建った後だろうが、建つ以前だろうが、違法は違法である。よって建っていることを既得権のような論調で話すのは、横暴というかバカである。

 しかし、そもそもこの建築物は違法なのだろうか?裁判所もバカじゃないだろうから、いろんな角度から検証のうえその結論を出したのであろうから、撤去命令自体への意見はここでは差し控える。しかし、問題は「被告側=業者っいうか明和地所にだけ責任がある」ってことだ。本当だろうか?建築を行うには、建築基準法がある。さらにこの法を遵守しているかどうかを監視する責任は地方自治体にある。そしてまず自治体は設計図等が基準法に則っていれば、建築確認を書面で認可する。さらに建物が竣工した際に、検査済証を発行する。この検査済証がなければ、業者は建物を第3者に引き渡すことはできない。つまり、販売したり、賃貸に出したりできないってことだ。何故ならば、登記ができないからね。要は既存不適格建物になるってこと。

 ちょっと難しくなってしまったけど、要するに建物ってやつは、お役所が「法に則した建物である」と認可しない限り、建物として認められないってこと。で、この明和のマンションは、販売したってことは、お役所=国立市が建物建設を認めたということに他ならないはず。ということは、認めた国立市にも非があるんじゃないのかな。しかーし、事態はもっと複雑。だって国立市長がなぜか原告側にいるのです。

 僕が知りたいことは、1)この建物が何故撤去されなければいけないのか?撤去に値する建物ならば、何故建築することを許したのか?2)建築を認めたはずの国立市には何のおとがめもないのか?3)建築を認めたはずの自治体の長が何故原告側にいるのか?ここいらをきっちり報道してくれないと、誰の何が悪いのか、また今後どう教訓にしていけばよいのかさっぱりわからん。

 もうひとつ心配なのは、たしか判決に「既存住民の意向を無視して・・・」というのがあったはずだが、もしも明和地所が100世帯の近隣に承諾を求め、そのうち97世帯にはそれを得た。そして残った3世帯のみが承諾しなかった、なんてことだったら、これは住民意向の無視なんだろうか。住民のエゴなんじゃないだろうか?ということ。なんでも住民=弱い、業者=悪徳という構図にしたがるマスコミだから仕方ないかもしんないけど、やっぱ報道は浅すぎるよね。

 

■パソコンが・・・

2002年12月18日(水)

センセーも走る師走、ボクも決してヒマじゃない。来週末までにやんなくちゃいけない重たいシゴトが2つある。んが、今日はこの時間まで全然シゴトをしていないのだよ。

 っていうのも、会社で配給されているPCがアホで、しょっちゅうフリーズするんで、今日全部初期化してもらった。その後で、自分でいろんなものをインストールしていたら今の時間になっちゃった。シゴトだけなら配給されたままのoffice2000で十分なんだが、photo shopやFTP Exとかがないと、僕にとっての遊び道具にならないからね。

 で、こんな時間になってしまった。どうしよー。何とかなるだろー。

 

■カントクの寝言

2002年12月17日(火)

http://www52.tok2.com/home/tokiokas/negot.html/0212_kanjiru/kannjiru.html

なんか少しアタマに来たちゅうか、ズレてるぅー、って思ったので、こんなの書いてみちゃいました。また反論あるんだろーなぁ。反論歓迎だけど、でもウィルスはいやよ。

 

誤審問題報道から

2002年12月12日(木)

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20021212/mng_____tokuho__000.shtml

 まずA君の立場から。彼のとった行動は痛いほど理解できる。理想を言えばゲーム中にレフェリーに対し、「あのシュートは入っていた」と告げていれば、後はレフェリーの判断になるわけで、水島工業イレブンはフェアプレーという「義務」をまっとうしたことになるわけだから、もし全国の出場権を得ても何のためらいもなかったであろう。しかし、ゲーム中に個人の判断で、そんなことを告知できる選手がいるはずもない。個人判断というのは、ゲーム中だからみんなで相談なんかできないという意味だ。その告知できなかった事実が、後悔を招く。さらに周囲の雑音が後悔を増大させる。そしてチームメイトに相談をする。おそらくチームは、全国大会という未来ではあるが、しかし確実に来る夢舞台のため、過去を忘れようとする雰囲気があったはずだ。そこの雰囲気の中で、この問題を再燃させたA君の勇気は素晴らしいと思う。

 サッカーをやっている、しかも全国に手が届きそうな選手に心底悪い奴は確実にいない。よって誰もが、心の片隅に思っていた事ではあるが、しかしこれを口に出して真意を問うという行動はものすごい勇気だと僕は感じるのである。そしてひとつの結果として、3年生の総意で出場しようと決定した。しかし、その後の大人の混ざった混乱の中、A君は自主退部することになる。

 さて、A君はどうすべきか?簡単である。クラブに復帰し、全国大会に出場すべきだ。なぜならば、3年生の多数決でそう決定したわけで、監督や校長の態度なんか全く別問題で、自分のチームメイトと一生懸命話し合って出した結論なんだから、チームメイトや作陽のためにも、出場すべきだ。それがスポーツマンシップだ。繰り返すが、A君のとった態度はものすごく勇気が必要なことであり、その真意はあの決勝戦に出場していたチームメイトなら必ず理解してくれる。だからルールに従い、堂々と全国大会に出場すべきだ。それが違った意味でのA君の勇気の発揮のしどころだ。

 逆に大人の態度はどうなのであろう。新聞に記載されている監督や校長の言葉が、事実かどうかはわからないが、それが事実としてもおそらく記載されている言葉以外にもその前後に多くの説明があったはずだ。考えてみて欲しい。水島工はルール通りに戦い、全国大会の切符を手にしたのだ。後ろめたい気持ちなんか所持する必要性は微塵もないのだ。監督や校長はその立場において、A君の美談に惑わされず、みんなの力で取得した権利を行使する義務があるはずだ。だから、全国出場することにおいて1選手よりずっと重たい責任を持っている現場の大人を責めるのもおかしな話しだと感ずる。

 周囲の「裏切り者」よばわりする外部の人間なんか関係ない。水島工は、学校、サッカー部が一丸になって、A君を説得し、「みんな」で堂々と選手権に出場すべきだ。それが、岡山県代表の権利でもあり、かつ義務でもあるのだ。

 

■ネタがない

2002年12月11日(水)

 昔話にネタは事欠かないが、そればっか書いていると自分が本気でオヤジになったようで、いやぁーな気分だ。
よくいるでしょ、「オレの若い時はなぁー・・・」っていうオヤジ。あれよ。
というわけで、昔話はたまに書くようにしたいが、時事ネタがないのであるよ。なんで、今日はこれにてオシマイ。ほんじゃ。

 

■入院

2002年12月10日(火)

 僕の部下が肺炎で入院してしまった。これで今の部署を任されてからの4年間で4人目の入院だ。周囲では地獄の部署と言われているようだが、別に酒をアタマからひっかけたわけじゃないし、やさしい上司のつもりなんだが・・・。

とは言え、昨日あんなことを書いた翌日なんで、少し反省。
でもオレのせいじゃないよなー。

 

■夢のまた夢

2002年12月9日(月)

 今日は朝から雪が降ったのに、ちゃんと会社に来た。エライだろー。
さて、雪と言えば、どっかで書いたはずだが、僕は大学時代スキー部だった。決して強い部ではなかったが、逆にちゃらちゃらした同好会ではない、アルペンの本物の体育会であったため、練習はそれなりにきつかった。特に2月の合宿はかなりの本数を滑り込む合宿であり、さらに3月に控える各種大会の選手選考を兼ねるため個人間の争いもあり、体力的だけでなく精神的にもかなりきついものであった。

 今日の話は、僕が大学4年(一部では”天皇”と言われる学年)のその2月合宿についてである。その合宿は長野県飯綱というところで行われた。2年前までは苗場で行っていたのだが、いろんな意味で不便になり、その前年から飯綱に変更されていた。そのため、まだ常宿というほどの場所はなく、何故かこの年は、その年にオープンされた人の良い若い夫婦が経営するペンションを貸切として合宿を行っていた。ペンションの奥さんは、体育会の学生を宿泊させることに当初不安を持っていたようだが、前述のとおり、僕らの合宿は厳しいもので夜も早く寝るため、いわゆる行儀の良い客であり、合宿中盤頃からオーナーと奥さんに気に入っていただき、いろいろと良くしてもらった。こうして、順風満帆に合宿は最終日の夜を迎えたわけである。

 合宿の期間は約2週間、禁酒、そして体力的にも精神的にもきつい。その合宿が終わる。その開放感をなんと形容すべきなのか、その開放感の中での”打ち上げ”がどうなるのか、経験者には理解いただけると思うが、残念ながらこのペンション夫妻は体育会ではなかったようだった・・・。

 打ち上げ、すなわち飲み会が開始される。1年の芸が始まる。実は僕らはこの”芸”にも命を賭けている。余談だが、僕が卒業した数年後、この”芸”がもとで、我がクラブの存続が危うくなったことがあった。(その顛末はまたいずれ)前年の1年は、カーテンに豆電球をとりつけ、ピカピカ光りながら”TOKIO”を熱唱する予定だったが、その電球がショートしてしまい、不評に終わった。(当然その後、過激な罰ゲームが待っていた。)
 今年の1年は何をするのか・・・。1番手は”OH!ギャル”である。このフレーズで、何人かがいろんな奴の物まねをしていく。つまらない。そして2番手、3番手もつまらない・・・、僕ら天皇はだんだん不機嫌になってきた。が、どんなつまらない芸でも、その場を盛上げるのが得意な天皇達が遂に動き始めた。
 
 まずは芸を行っている奴にピーナッツを投げる。それが合図で「つまんねぇー」の合唱のもと、さきいかやビスケットが散乱する。いつの間にか、どこから拾ってきたのか、あじの開きや、とんかつが空を舞っている。宴会を天皇達がしきり始める。まずは、つまらない芸の1年に罰ゲーム。フルチン借り物競争(詳細は書けない・・・)の開始、そしてケツの穴に火をつけて”ホタル”美しくも果敢ない芸。もちろん雪国の2月に裸は寒い、よって借り物競争等から戻った選手たちには、アタマから酒をかけて暖めてあげる。こうして、酒池肉林(はないけど)、阿鼻叫喚なその夜は永遠に続いていた。

 翌朝、合宿の解散日である。朝食をとりに食堂に行こうとした僕は異様な臭いに気が付く。なんと食堂(昨晩の宴会場所)は酒が2cmほどたまっていている。また2階へ上る階段のいたるところに、ゲロの付着した布団がほしてある。異様な臭いの原因はこれらだった。

 気が付くと、ペンションのオーナー夫妻が真っ青な顔をして立っていた。その顔にはなんとも表現できない怒りと哀しみの表情がにじみでていた。そうだろう、夢にまで見て経営を始めたペンションが1晩にしてボロボロになってしまった。多分、1週間以上は使用不可能であろう状態なのだ。多分床や壁紙を張り替えなくちゃいけないし、布団も買い換えなくちゃいけない。彼らにとってみれば、昨日まであれだけ優等生だった学生達の豹変が信じられなかったのかもしれない。僕ら(と言っても1年生)は、毎度のことと平然に片付けを始めている。しかし、オーナー夫妻は呆然自失で立っているまま。

 そして宿を後にする最後、僕らは玄関で主将が代表して感謝の意を挨拶して宿を離れる。これもいつものことだ。全員で「ありがとうございました。」とアタマを下げる。
しかし、いつでも帰ってくるコトバ、「また来てくださいね」がこの時に限って帰ってこない。僕らは多くの違和感と少しの罪の意識を持って、宿を後にした。そして思った。3月の合宿では、何して暴れようかなぁと。

 

■Karaoke

2002年12月6日(金)

もう17年くらい昔の話だ。
そのころのボクの課はとても仲が良かった。っていうか遊び好きな奴が集まっていた。で、毎晩宴会をしていた。
よくカラオケも行った。そのころは、まだカラオケボックスとかはなくて、スナックみたいな所で、他のお客と順番に歌っていた。とは言え、べつに歌を聞かせるわけじゃないし、他の客の歌を聞いていても面白くなんかない。そんなことより一緒に遊んだ方が面白いわけで、よくお店にいた他の客を巻き込んで狂乱の宴会をやっていた。まあ。一期一会ってやつだ。

その日もカネがないので、とりあえず安い焼き鳥屋で酒をたらふく飲み、つまみを少量ですませて、カラオケ屋に入った。
ウチのメンバーの「気をつかわない大物新人F」がヘタクソな”フォルテシモ”を、同じく「やたらサケの強い高卒新人T子」が”天城越え”を歌う。だんだん乗ってきた後、「女を捨てる進行形M子」が”六本木心中”で大盛り上がりだ。

そう言えば、この頃はあまり若い女の子は、この類の店にいず、僕らのグループは結構目立っていた。その目立ちを利用して、他の客と仲良くなってしまう。このいつものパターンが”六本木心中”あたりから始まってきた。狂乱宴会の開始である。
そしてトリのボクが歌う。トゥナナナナナナティア♪、オハコの「仮面舞踏会」だ。他の客に受けた。調子に乗って、少年隊を3曲ほどぶっちぎる。店のピーナッツやおしぼりが飛ぶ。全員が踊りだす。こうしてその日の夜もふけていった。

踊って歌うと腹が減る。店を深夜出た後、ボクらは屋台でラーメンを食った。そのオヤジが調子こえていて、「本日スペシャルラーメン、半額だよーん」と言っていたので、それをみんなで食った。なんとそのスペシャルとはにんにくが大量に入ったラーメンだった。

翌朝、ボクはほとんど食わないで飲んで踊ったために強度の2日酔い、さらにあのスペシャルラーメンのためカラダ中がクサイ。そして会社を休んだ。翌々日、会社に行ったら、サケがやたら強いT子に言われた。
「昨日は、わたししか来なかったんです。FさんもM子さんもみんな休んだんですよ。I課長、カンカンになって怒っていましたよ。」
どひゃー、みんな休んだんだ。そりゃ、すげぇーや。ボクは反省より前に感激してしまった。

それから17年。相変わらずムチャはするが、あそこまで飲んで騒いだことはあまりない。もう年だから、そんなムチャもできなくなってきた。

とは言え、人間いつまでたってもヤンチャでいたい。そう思うボクは、もうすぐ45歳になる・・・。ちゃんちゃん。

 

フェアプレー賞受賞!!

2002年12月5日(木)

JFAと韓国サッカー協会がFIFAからフェアプレー賞を受賞した。おめでとう、素晴らしい栄誉だ。W杯を開催してよかった。JAWOCもKOWOCも本当に良かった。

JAWOC
チケット問題をFIFAやバイロムのせいにせず、自国開催のチケは海外販売分も含め全部責任をとった。素晴らしい!
日本がBEST16を戦った宮城において、当初バックスタンドに空席があったみたいだが、JAWOCの機転で全てを埋めた。素晴らしい!
宮城や埼玉のアクセスの悪さを事前に察知し、コンフェデ以降は10ヴェニューが協力、情報交換しあい、バスがこないとか、雨の中を20分以上歩かせるとかの愚挙を未然に防いだ。素晴らしい!

KOWOC
観客の入りが悪いからと言って、サッカーを知らないサクラをたくさんただで入場させてカモフラージュすることなんかしなかった。素晴らしい!
わざとスタジアムを真っ赤にせず、対戦国へのリスペクトを忘れなかった。素晴らしい!
もちろん、誤審も買収もなかった。素晴らしい!

そして共催。
天皇を呼ぶとか呼ばないとか、そんな過去のことは精算して、スポーツマンシップを発揮した韓国。
コリア/ジャパンだろうが、日韓だろうが、そんな細かい順番なんか気にしなかった韓国。
決勝戦後、グッドルーザーのドイツ、そして共催国韓国へのコールで一体化したスタジアムだった日本。
韓国は日本を、日本は韓国を、応援したサポーター。それをとりあげたマスコミ。みんな、みんな素晴らしい!!

さすが、FIFA。見るとこは見ているね。プラッター素晴らしい!!!

 

カンカンキューカンキュー

2002年12月4日(水)

すんげぇーや、マドリーは。
何がすげぇーって、あの落ち着き、球回し、視野の広さ。一体何がちがうの?
これから考えて明日書きます。とりあえずおやすみなさい。
W杯決勝よりある意味では面白かったです。

 



Re: カンカンキューカンキュー
名前:tommy    日付:12月4日(水) 13時50分
ってなわけで、カントクの寝言にトヨタカップ観戦記を掲載しました。
まだ仮アップです。
今回は、「かなり」面白いというかひねくれた写真がありますので、今週中にもアップします。


レプリカ考
名前:tommy    日付:12月4日(水) 18時0分
その面白い写真とは、レアル・マドリーのレプリカ着用人のことである。
昨晩の横国に一体何人のzidaneやfigoがいたことだろう。いやいや、別に”本気”でそのチームをサポートするなら、別にかまわない。僕だって、代表のレプリカは持っているし、Jにおいてサポートするチームのレプリカを着てゴール裏にいるサポーターには、何の違和感も感じない。
しかし、昨晩の多数のzidaneやfigoは、W杯のbeckhamと同様、いわばファッションなんだと思う。となると、ファッションとしてあれでいいんだろうか?

僕がファッションに凝っていた(ややこっ恥ずかしいが)とおーい昔の時代、それは「個性」だった。例えばBDシャツは、首の後ろにもボタンがなければいけないとか、パンツにはバックストラップが必需とか、メジャーなとこではジャケットはフックベントとか・・・。(別にくろすとしゆきの回しモンじゃないけどさ。単なる例ですよ)

なのに、みーんな真っ白のzidaneやfigoで喜々としている。僕は思うね、没個性で「かっちょわりー」

で、ふっと思った。僕はレプリカを持っていただろうか・・・。あった。

前述の日本代表(フランス予選モデル)は別にして、その他は、94年予選時のイングランド(日本と一緒に予選落ちしたんだよねぇ。)、それから黄色のACミラン3rd、それからスポルディング・リスボンだ。後はシドニー購入のバッチもんのセルチックとサウザンプトン。何か自慢のようだが、ながーい観戦歴でもそんなもんしかないし、まちがってもbeckhamやzidaneとバックプリントされていたり、はたまたマンチェやレアルのメジャーチームのレプリカを購入しようとは思わない。だって、個性ゼロじゃん。

ということで、引き伸ばしている「ひねくれ写真」の件に入るのであるが、もう少しでトップページにガガガーンと掲載するので、待っててね。


Re: レプリカ考
名前:tommy    日付:12月4日(水) 21時43分
酔っ払いながら、アップしました。
是非トップページへ。

 

 

素直に率直に

2002年12月3日(火)

この日記ではいつもひねくれた書き方をしているが、僕だってやっぱり純粋なサッカーファンだ。日本代表が勝利すれば、やっぱり気持ちが良いし、もちろん高校サッカーやJFLより、Jリーグや欧州リーグのほうが面白い。ただ、「一流どこ」のゲームは「一流どこ」のライターがちゃんと記載しているので、何も僕が書かなくてもいいやと思い、その気持ちが広がってきてゲーム書評はあんまし書かないわけだ。そうです、ただのジェラシーです。はい。

しかし、今日は素直に率直に。
トヨタカップが楽しみだ!どうもマドリーは”1軍”で本気モードらしい。ここは、カンビアッソとマクマナマンが見たい!なんて言わずに、素直にラウル&ロナウドの2トップを堪能しよう。フィーゴとジダンのパスに酔おう!

週末は、ナカータvs俊輔だ!レッジーナのチーム状態がどうとか言わずに2人の日本人対決にワクワクしよう。

てなわけで、横国行きの準備開始だす。

 



Re: 素直に率直に
名前:tommy    日付:12月3日(火) 
今セリエで活躍している日本人はnakataとnakamura、その前がnanami、ついでに最初のカズのお父さんはnaya。
ってことで、ぜーんぶ"na"つながりである。(最後の例はいささか強引)
となると次のセリエ行きは、中田浩二かな?まさか、ゴンや中山(G大阪)じゃないよな。名良橋でもないし・・・。まさか楢崎???

すみません、くだらなくて。
 
 

 

うれしかった

2002年12月2日(月)

土曜日にボクの所属している団体であるイベントを開催した。
今までは、誰かの発案でも結局最後はボクが指示していたが、今回は最後までクチも手も出さなかった。
ボランティアってコトバはあまり好きじゃないが、シゴトでなくて何かをしようとする場合には、だいたい”逃げ”が入り、言い訳を先に準備しておくことが多い。で、失敗しても「良い経験になった。」とか「できただけで充分」とか、自分自身をなぐさめる。ボクはこの行為が大嫌いだ。
言い訳を先に準備する程度のイベントじゃ、「良い経験」なんかになるわけないもん。ただの時間の無駄使い、そしておバカな自己中心主義者の自己満足だけ。

だからボクはイベントを絶対失敗させない。そのための努力は確実にする。
しかし、今回はクチを出さなかった。っていうか、クチは出したけど、最後まで助けなかった。若い奴がどこまでできるか見たかったから・・・。

で、結果は成功だった。もちろん100点じゃないかも知れないが、成功したからこそ見える反省点があるのだ。その密度の濃い反省がグレードアップにつながるのだ。

みんなよくやった。おじさんは心からうれしいぞ。
 

 

やっぱりおかしい

2002年12月1日(日)

リーグが終わった。ボクは故あって、降格には関係ない東京Vvs仙台の観戦をしていたが、ゲーム終了後ホームである東京Vは「1年間ありがとうございました。」と観客にお礼を言っていた。最終戦ではよく見る風景であった。そして閉幕に前後して、”ストーブリーグ”も騒がしくなってきている。福田、井原、山口・・・と。
これも世界のリーグ戦でよくある光景である。

が、おかしい。今日から天皇杯が始まるのだ。まだシーズンは終わっていないのだ。毎年毎年言われているが、退団の決まっている、すなわち評価が決まっている監督、選手がまともなモチベーションを所持して戦えるわけがない。オレだって、1月には会社つぶれるけど12月いっぱい頑張って働いてね、っていわれたら働かないもん(だいぶ次元は違うけど)

そうんなこと言ったって・・・、という言い訳が多数あるのは知っている。またその理由、根拠も理解している。が、あえて言う。そりゃ、おかしいよ。基本に戻るべきだよ。
 

 

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