■一応書いておこう。 |
2003年11月30日(日) |
■ワールドユース 日本vsイングランド 一言で言って、昼間の磐田みたいだった。そのココロはパスは回るけど、シュートが打てない。僕は何故磐田が好きかというと、あの華麗なパスサッカーが好きだから。勝負という点では、決して効率的ではないかも知れないが、回しながら相手のスキを見てズバッとスルーパスなんかを決められちゃうとしびれる。ただ、昨日の磐田はただボールを回しているだけで、横浜FMのDF陣は全然怖くなかったと思う。 で、まさに夜のU20もそんな感じだった。坂田の点は、サイドの崩しから。あれをもっとやれば怖いのに、成岡はびびって大きな展開ができず、DF陣も立ち止まったままでつなぐだけ。たしかにうまいけど、あれじゃ怖くない。オーストラリア戦と一緒だ。 少し思ったのは、ああいうチームを変えるのは監督の力なのかなってこと。なにも日本代表監督が一番ってわけじゃないが、ナイジェリア組は当時の日本代表監督が指揮していたのに対し、今回の大熊さんでは比較するのはちと荷が重たいかな。まあ、所詮U20なわけだし、監督も発展途上というのが、本来の形なのかもしれない。 でもこのチームは行けてBEST16だね。コロンビア&エジプトはイングランドより格上でしょう。つまり3位通過がいいところ。でも韓国が2−0でドイツに勝ったのはなんか悔しいな。 |
■最終節 |
2003年11月29日(土) |
あーあ、CSがなくなちゃった。あーあ、仙台落ちちゃった。最悪・・・。 磐田は、10人マリノスの注文相撲に見事に引っかかってしまったね。前半はまだマシだったけど、後半は完全にボールを持たされていたって感じ。マリノスは名波あたりがボールを持って前を向いても無駄にチェックにいかずに、攻撃を遅らせることを考え、遅らせている間にDFが戻ってもう鉄壁。エコバの開幕戦以上に今日は完敗でしたね。それにしてもおかちゃんって凄い。遠藤と上野の交替は遠藤のケガだったらしいが、後半からの4バックへの変更で前半は河村が抑えていた(磐田側の)右サイドを、ドゥトラにチンチンにされてしまった。那須も立派。中澤も松田もうまい。あれじゃ、攻撃できんわ。で、守られるだけなら怖くないけど、久保とマルキのカウンターは鋭くて、福西なんかなんもできなかったもん。あーあ。 ところで仙台。是非来年は仙台VS新潟をJ1で観たいと思っていたのだけど、残念だった。降格争いしていた神戸、大分、仙台はみんな仲間サポがいるので、どこも落ちて欲しくなかったのだけど、本音を言えば仙台だけは残って欲しかった。Mさん、Iさん、Aさん、お気持ちお察しします。でもあれだけ多くのサポが見守ってくれるので、戦力を落とさず1年でカムバックしてください。 あーあ、でも6日と13日、どないしよう。 |
■明日から |
2003年11月28日(金) |
さーて、明日はいよいよJ1優勝&降格の決定だ。大分vs仙台もそそなれるが、やっぱし僕はジュビロの歓喜を見に行くことにする。っていうか、既にヤフオクで2枚2500円でチケットゲットしてるし。で、当然磐田は勝利するわけだが、そうなると12月が大変だ。 12/4 東アジア(国立) 12/6 CS(横国) 12/7 天皇杯(西が丘)→サイスタは行きません。 12/10 東アジア(横国) 12/13 CS(多分ヤマハ) 12/14 トヨタカップ と、半月で6試合も観戦することになる。で、この間に蹴ることが2回入り、ワールドユースとJFL入替戦もきっと入ってくるだろう。12/14はホントはトヨタカップよりも天皇杯の仙台vs新潟(予定)に行きたいところでもあるが、そんなことを言うとチケットゲットできなかった人に申し訳ないのでやめとく。それからシゴト関係の忘年会も入るだろうし。なんか大変な12月になりそうだ。でも楽しみ。 |
■じぶんのまち |
2003年11月27日(木) |
2003年11月23日、それは昨年の6月15日に次いで新潟に行かなかったことを後悔した日になった。TVに映ったオレンジ一色のビッグスワンを見ながら、僕の脳裏にはあのワールドカップ前から多くのことを共有した新潟の数多くの友人の爆発した歓喜が走馬灯のようによぎった。おめでとう、アルビレックス新潟!その言葉を恥ずかしくもなく本心で言えるのは、新潟の友人達のおかげである。 翌週、僕に新潟の友人からメールが届く。 ============================================ こんばんは。 K@新潟です。 何回もビデオを見ながら、感動しています。 本当に、いいね。自分のまちに、愛するクラブがあるって、なんて素晴らしい事 なんでしょうか。 喜びや悔しさを共有できるって本当に、素敵なことです。 抱き合いながら、共に泣けるなんて、普通じゃ出来ないよう。増してや、若い女 性と。 → 決してセクハラではありません。 新潟のサッカーの歴史に新たな1ページが加わって、 その瞬間を見れたことに感激しています。 だけど、反町監督が言うように、新潟のおとぎ話の第1話が終了しただけです。 次章は、既に始まっています。 そして、新潟に廃れないサッカー文化が定着するまで、微力ですが、 頑張っていきます。もくはちマンデーから、いつかあの舞台に立つ子供が出てく るまで、頑張りますよ。 これからもよろしくお願いします。 PS:本当に、観戦に来た方がよかったと思いますよ。 6.15とは、全く違った雰囲気がスタジアムを包んでいました。 なんとも言い表せない、私が肌で感じるものなのですが、、、。 Y@新潟です。祝メールありがとうございました。 私事ですが、24日に披露宴をしました。 かなりのギャンブルでしたが、結果としてうまくいってよかったです。 11月中に出てくるであろう契約未更新の選手リストをみると現実に 帰ることでしょう。来年は大変なんだと...。 代表戦やW杯は新潟で実際に見ているのですが、まだアルビレックス がJ1チームと戦う姿がイメージできません。 私自身J1かJ2かのこだわりがありません。全国にたった28しかない Jクラブのひとつが自分の街にあることだけで十分ですから。 これがブームで終わらないように、しっかりと地元に根付いた活動を していきたいと思います。 また今後ともよろしくお願いします。 ============================================ ご覧のように2人の友人のメールには同じようなことが書かれている。そして偶然なのか、「自分のまち」と言う言葉が並んでいる。さらにこれも同じように「今」の歓喜に留まらず、将来に触れている。嗚呼、これこそが「クラブ」なんだな。自分の暮らす街のシンボルとして誇りに思えるチームがある。しかし今のチームが未来永劫継続することはない。それを継続させるために、「自分の街」を軸にして、チームをクラブとして永遠の命を与える。そのサポートをする。その行為が僕にはとてつもなく羨ましいものであった。2人から出てきた「自分のまち」という言葉は偶然なんかじゃなく、クラブを本気でサポートする人間から必然として出てくる言葉なんだな、と僕はその時思った。 ふりかえり、東京生まれの東京育ちの僕にとって「自分の街」ってあるのだろうか?ちなみにFC東京の表明する東京は決して僕の街とは思えない。多分23日の新潟を羨ましく感じたのは、アルビレックスの昇格よりも、その昇格を媒体として新潟のまち、ひとが見せた、「自分の街」へのこだわりを持てることだったのではないだろうか。 |
■足首 |
2003年11月26日(水) |
24日にクルマ椅子だったことは書きましたが、なんともう全快してしまいました。足首が痛くなった経緯ももう少し詳しく書くとこんな感じだったのです。 11/23 15:00〜17:00 フットサルをする。終了後何となく右足アキレス腱に違和感があったが、筋肉痛程度の違和感のためストレッチして終了。その後、(当然)飲みに行く。飲んでいる時には足首のことなんて全然気にならない。 当日 23:00 帰宅。 家の階段を上るのに難儀(でもたいして痛くない)。あらら、やっぱり捻挫だったのかと思い、冷やして寝る。しかし夜中に足首全体に激痛が走る。痛い個所は、最初足首内側の靭帯のところからアキレス腱内側だったが、足首全体に広がる。痛さの程度は、尋常ではない。 #今まで膝の靭帯断裂、手指骨折等のケガをしていますが、ケガ当夜での痛さという意味では、今までで最も痛く、寝られないほど。 11/24 午前 病院へ行く 骨には異常なし。また足首の腫れもほとんどなし。しかし痛さは継続する。(ここでクルマ椅子スピンターンをほぼ会得)病院での治療は痛み止めの薬のみ。 当日午後 自宅で静養 痛さはだいぶ和らぐ。夜にはだいぶ痛さもひき、ぐっすり寝られる。 11/25 朝 違和感はあるが痛さはほとんどなし。夜はビールも飲んでしまった。 11/26 まったく痛さなし。普通の歩行も可能っていうか走れるくらいに普通。 という感じです。要するにまず足をひねったという自覚症状がない、また一時的には一般的に「捻挫」と言われる症状よりもかなり痛い状態になり、今で全快ってことは「捻挫」よりもずっと治りが早い、ということです。 一体これはなんなんだ!と思っていたら、知り合いの整形外科の先生(これもサッカーファン)から「偽通風」という症状ではないか?と言われました。これは一時的に痛風と同じような痛さが発生するものだそうで。 いやじゃ、痛風はいやじゃ。痛いし、ビールが飲めないもん。と思ったら、足が痛くなってきた(泣)。 |
■クルマ椅子 | ||||
2003年11月24日(月) |
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新潟優勝&昇格、おめでとうございます。あのオレンジなスタジアムに感激しました。僕は当日埼玉でサルっていたのですが、心は新潟でした。特にアルビサポってわけじゃないのですが、優勝の瞬間は、新潟在住の多数のアルビサポ友人の顔が脳内でグルグル回っていました。心から祝福したい、っていうか一緒にどんちゃんしたい気分です。 さてサルといえば、昨日のサルで年甲斐もなく足首の靱帯をのばしてしまいました。今日病院へ行ってきて、幸い軽症だったのでよかったですが、選手じゃないのだから気をつけないと。ところで、病院でクルマ椅子に初めて乗りました。以下、ある意味不謹慎なのですが、クルマ椅子レポートでーす。 いや、これが面白い!最初は奥さんに押してもらっていたのですが、ご存知のようにクルマ椅子は車輪のところに手で車輪を回転できる装置がついていて、これを駆使すれば自分で「運転」できるわけです。で、両輪を回せば直進、左を停止させて、右を回せば左ターンでして、これも左を全く動かさなければ急ターン、少し動かしながらだと、緩くターンというように微調整でいろんなことができます。 で、病院内をグルグールと遊んでおりまして、あの通常はイヤな待ち時間の長さを微塵も感じませんでした。もう少しでスピンターンを会得しそうになった時に受付から呼び出しのアナウンスがあり、少し残念な気分でしたです。はい。 足首はまだ動きません。ご自愛します。
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■西よ! | ||||||||||||
2003年11月22日(土) |
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競技スポーツにおいて、選手でもサポでも何でも自分が関連する側が大切であり、可愛い。もちろん、そちらサイドを贔屓する。この傾向はきっとその関連するサイド(チーム)を愛すれば愛するほど、また関連の度合いが強ければ強いほど強い。よって、例えばレフェリーが100%まちがいのない公平な判定をしたとしたら、きっと相手側に有利な判定をしていると思ってしまうはずだ。 Jリーグのレフェリーの質が高いとは誰もが思っていない。選手としたら自分の評価に関わるゲームという大事な場面で誤った判定をされたらとんでもない、という気持ちは充分に理解できる。しかし同時に選手は上記のようにまずは自分自身が自チームに対して贔屓しているという心理を所持していることを絶対に忘れてはならない。それを忘れないだけで、レフェリーに対するクレームは必ず減少するはずだ。 さて、西よ。君はどこかのチンピラのように世間を知らないバカものではないはずだ。バスの運転手しかしていない、放りこんで走るだけの田舎高校の名前だけのカントクではなく、布先生からきっちりとしたサッカーを教えていただいたはずだ。だからレフェリーに文句を言うのはいいかげんやめろ。君の熱いハートはわかる。だから、流れの中で相手を削ってもらうイエローやレッドは仕方ない。しかし、レフェリーへの文句は違う。もしレフェリーがひどかったら、ゲーム終了後にチームを通して文句を言えばいい。ゲーム中に文句を言ってのイエローほど無駄なものはないことくらい充分にわかっているだろう。 今日はたまたま勝てたからよかったものの、君のあの文句がレッドがどれだけ君の贔屓するチームに迷惑をかけたことか。もう一度言う。レフェリーに文句を言うな。文句を言って損をするのは君のチームであり、君自身なんだから。
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■そうだ!磐田へ行こう・・・。 |
2003年11月21日(金) |
1週間も日記をさぼってしまった。大分に行っていたわけじゃないです。おシゴトが忙しいし、その他諸々で。 で、明日から3連休ですな。で、決めました。そうだ!磐田へ行こう・・・。 ではまた来週。 |
■U20壮行試合 |
2003年11月13日(木) |
落ち着いているし、うまい。もしかすると、ナイジェリア組を凌ぐ可能性もある。負けてしまったけれど、それが昨日の僕の率直な感想です。確かにチームとしての成熟度はいまいち感がありますが、個々のポテンシャルという意味で少しナイジェリア組と比較してみましょう。 高原 永井 小笠原 小野 本山 遠藤 酒井 中田 手島 辻本 南 坂田 阿部 徳永 成岡 山岸 今野 小林 角田 永田 菊地 川島 ・DF安定力は03年が上。中田浩にあったフィード力は菊地でイーブン。 ・ボランチ守備力及び展開力は03年が上。シュート力は遠藤と小林でイーブン。 ・SMFのDF力はイーブン、攻撃力は99年が上。 ・OMFは、99年が上。 ・FWは高原の存在感で99年が上。 ということで、簡単にまとめると攻撃力は99年ですが、守備及び安定感は03年の方が上と感じます。さらに控えメンバーで言えば、大久保、坪内、谷澤、栗原、茂木等々多士済済。いずれにしてもあの01年メンバーのように99年より完全に劣っているとは言えないと思います。 ではどうして昨日負けたのか? ひとつは、前述のチームとしての成熟度でしょう。個々はたしかにうまいのですが、チーム全体としてみると、スピードの緩急がなさすぎます。これでは相手DFは楽。成岡からの球さばきにおいて、もう少しチーム全体の動き出しを早くしたいです。 ふたつめは、これがかなり気に入らないんですが、若さがない。がむしゃらさがない。要は根性がない。相反するコトバとしてたしかに落ち着いているのですが、U20でそんなに老獪にならなくても結構。もっとアクレッシブにゲームをして欲しいと感じます。 最後は、この年代もやっぱしFW。阿部はダメですね。まるで小倉。たしかにでかくてうまいのですが、それがアダになって、足もとでちょこちょこボールをこねくり回して攻撃を遅くする、ポストとして基点になるべき存在なのにボールを追ってサイドにばっか開き、山岸と重なる、さらにひどいのが走らないこと、これではレベルの高い大会では苦しいです。矢野のケガが残念ですが、ここは他の選手に頑張って欲しいところですね。とは言え、茂木か平山くらいしかいないなぁ。宇野沢も消えていたし・・・。やっぱこの年代もFW人材が不足ですね。 もうひとつ気になったことは、礼儀。ゲーム後のインタビューで今野はポケットに手をつっこんだまま、インタビューを受けていました。これは最低でしょう。前述の根性のなさと同じく、この世代にはサッカーをうまくさせるコーチよりも、スポーツ精神を指導する指導者が必要なんではないでしょうか?となると、あのエキセントリックな赤鬼さんは、まさにこの年代に適切なんですけどね。 昨日の負けはもちろん、ワールドユースの結果についても僕はたいして重要視していません。あくまでもネライはA代表での活躍。そこまで伸びるポテンシャルを持った選手たちなだけに、ここいらでカミナリオヤジが必要だと思うのですけど・・・。 最後に、あのレフェリーはひどい・・・。 |
■選挙カー |
2003年11月10日(月) |
普通の常識人なら誰でも思うことでしょうが、あの選挙カーでの大音量候補者名連呼はいいかげんやめてくれませんかね。右翼の宣伝カーでさえ、住宅街の小さな道に入ってくることはめったにないのに、あの選挙カーの傍若無人さは怒りを通り越して、情けなさを感じます。 今回の選挙はマニフェストとか言って党のコンセプトが論戦となったようで、それは政治にとって素晴らしいというか本質的、言い換えれば当たり前のことでしょう。しかし、一方ではいまだにドブ板選挙とか言って、地元を(住人の迷惑をかえりみず)グルグル回って、握手して、大音量で名前を連呼することが、選挙運動の努力の結晶のように語られます。一言、アホくさいです。これで、こんなやりかたで彼らは有権者に何を伝えるのでしょう、有権者は彼らの何をわかり何を基準として貴重な1票を投じるのでしょう。 立候補者とは、本来自分が当選したら○○をやる、だから○○に賛同する人は投票してね、と有権者に語り、かつ説得することが選挙活動なはずです。だったら討論会でも演説でも何でもいいから、自分のすべきことを訴えることが肝心なのに、あのナマエ連呼では何も訴えられないでしょ。それから、これだけ小選挙区制になれば、自分の選挙区で出ている候補者がどこの政党に所属し、どんなナマエかはいやでも覚えます。つまりナマエ連呼は何の効果もないのですよ。 マスコミも同罪。既に選挙関係者以外の100人が100人「うるさい」と感じているあの選挙カーに何故メスを入れないんですか?民主党をエコヒイキしたとかしないとかの問題よりもずっと大きいし、ずっと庶民的でしょ。 シゴトで言えば、何も成果をあげていないのに、ともかく夜遅くまで机にしがみつき、それが終わると上司のご機嫌取りで一緒に飲みにいくおっさんの人生のように、あの選挙カーは情けなく悲しい日本のアナログアホ文化の象徴です。もしマニファストに連呼をやめるなんて公約を掲げる政党があったら、即刻僕の清き1票を投票させていただきます。惨敗の土井さんあたり、少し考えてみない。 |
■本音をポロリ | ||||
2003年11月7日(金) |
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全国の韓○キライのみなさま、おめでとーございます。 from 札幌
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■IQテスト |
2003年11月7日(金) |
11月3日にTV朝日でやっていたIQを計るテストの番組をVTR録画しておいて、昨晩嫁さんと一緒にトライした。結果(点数)は、恥ずかしいから公表しないけど、要するに夫婦とも凡人であった。 それはともかくとして、実はテスト終了後、僕は結構できた気がした。逆に嫁さんはかなり出来が悪いと感じたようだ。で、採点をしてみると、なんとわずか1点差で嫁さんの勝ちだった。 夫婦間で結果として1点差しかないのに、テスト終了後の実感値は、全く逆の感想。これってまさに性格を表現している。これは血液型にも当てはまり、僕はB、嫁さんはA、普段の生活も僕はいい加減、一方嫁さんはしっかりもの。ってな比較をすると、なんか微笑ましい夫婦像が浮かんでくるが、「結構できた」と思って1点差であれ負けた当事者としては、自分の能天気さに、恥ずかしいやらあきれるやら。 そう言えば、受験でも何でも昔から、落ちたと思った結果は必ず落ちて、受かったと思った結果で受かったケースは50%位の確率だったような気がする。まあ、ポジティブ志向ともいえるし、ひょっとしたらこんな性格のおかげでストレスが溜まらないのかもしれないが、40歳超のオトナがこんなにお気楽でよいのかなぁ。なんか老後が心配になってきた・・・。 |
■禁酒 |
2003年11月5日(水) |
どうも先週末より体調が良くないです。多分、土日に全然休まなかった疲れが溜まったようで、夜は眠れず、昼間はだるい、かつ微熱という状態が継続してます。肝臓もイカレポンチのようです。で、既に3日も酒を飲んでいません。 これって僕にとっては画期的で、自主的に酒を断ったのはいつかなぁーと考えていたら、なんとドーハの時でした。もちろんW杯出場に願かけたわけですが。 そういえばドーハ以前は、代表のゲームをVTRに録画するのもやめていました。これも願かけ。それ以前はVTR録画すると負けてしまったもんで。(っていうか、実際はいつも負けていたんですが)で、ドーハが終わって悟りました。僕が酒を断とうが、録画をやめようが、負ける時は負けるし、勝つ時は勝つ。よって、それ以降ほとんどの願かけはやめました。唯一残っていたのが、代表戦観戦時はビールを飲まない。ってことでした。これは願かけというより、戦っている選手に悪いと思ったから。でもこれも2001年のコンフェデでやめました。まあ、最近の代表は酒でも飲まなくては観ていられませんが・・・。でも飲みすぎると、寝てしまう・・・。 なんかさえない文章でした。疲れ気味かな。ご自愛します。 |
■ナビスコ他 | ||||
2003年11月4日(火) |
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で、結局エメルソンは帰化したら日本代表になれるの? まあ、アレックスを見ると”ガイジン”というだけでの期待感が強すぎてかわいそうな気もするんで、あまり期待はしていませんがね。それから、黄金の中盤にはポストプレーヤーが必要でエメのようなタイプは、ちと合わないような気もするし。 さて、ナビスコ。エメもそうですが、田中達也にはびっくらしました。いつの間にあんなにうまくなったの?是非、あのプレーを青いユニでも見せて欲しいですな。そうすれば、ある意味同タイプのチンピラ小僧はピンク色だけにもどるでしょうし。それから表彰式にawayの白からhomeの赤に着替えて登壇したのには、少しホロリときました。まさに"ture redz"お見事でした。最後にオフトの辞任というオチもつきましたが、オフトは決して常勝チームの監督という器じゃないし、今の調子を考えると多少ギャンブルではありますが、1ランクアップのためには悪いことじゃないと思います。サポーターの皆さんもごくろーさんでした。 ところで派手なナビスコで忘れられそうですが、土曜日の新潟には重圧があったのでしょうか。失点は2点とも完全なミスっていうか普通では考えられないミスでした。ありゃ、やっちゃいかん。両外人も消えていたし、大丈夫でしょうか?と思って甲府vs川崎を観ていたら、なんと川崎は完敗。これでかなり新潟昇格の可能性が高くなってきました。後3試合、決して気は抜けませんが、是非頑張っていただきたいと思います。 最後に。ナビスコのポスター?(サッカーマガジンの表2、表2対抗見開き)は誰のアイデアなんでしょう。めちゃ、かっこいいですね。ただ、色校正が大変で印刷屋は泣いたと思いますが・・・。
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■ネルソン | ||||
2003年11月2日(日) |
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ネルソン吉村こと吉村大志郎氏が亡くなった。 僕はサポティスタのタレコミ掲示板で知ったのだが、サポティスタのHやOは記事にしないらしい。まあ、ドーハ前後からのサッカーファンにとって、ネルソン(ここではこう呼ばせていただく)は所詮そんなもんだろう。でも、僕にとってのネルソンは、そんなもんではない。 ネルソンは初めて日本リーグに加入したガイジンだったと思う。当時のヤンマーは釜本はいるけど、DFが弱く決して強いチームではなく、小城さんの東洋工業や鎌田さんの古河電工になかなか勝てなかった。そんな時、ヤンマーに加入したネルソンは中盤で華麗なテクニックを披露し、そして釜本にボールをつないだ。 ネルソンは初めて帰化した「選手」だった。思い出すのは、1972年の第1回日韓定期戦。雨の国立で日本人となったネルソンが見事なシュートを決め、日本が先制した。と思ったら、線審(当時)がフラッグを上げている。あのゴールはどうみたってオフサイドではなかったと思う。 ヤンマーのネルソンの絶好調時代は、「走る日立」との天皇杯決勝ではないか?ヤンマーにはネルソン、釜本の他、カルロス、G小林、堀井、三田等のテクニカルな選手、そして日立は、松永、平沢、野村、瀬田等を中心としたシンプルなサッカー、その後の読売vs日産、今では(ちょっと雰囲気が異なるが)磐田vs市原、のような観ていて本当に面白いサッカーだった。 その後の吉村氏のことは最近サッカー批評で知った。ああ、まだ日本サッカーで充分ご活躍されているんだなぁ、と思った。それが・・・。 吉村大志郎さん56歳(よしむら・たいしろう=サッカー元日本代表選手、セレッソ大阪スカウト)1日、脳出血で死去。ご冥福をお祈りします。
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