■よいお年を |
2003年12月31日(水) |
クリスマスイブ以来の書き込みになってしまいました。 でもまだバタバタしています。なんとか、曙VSサップまでには一息つきたいとこ。 さて、今年もいろいろありましたが、この年末は感傷にひたるヒマがなかったです。とりあえず合宿も無事終了しました。景品を差し入れしていただいたみなさまに感謝いたします。 来年ちゅうか明日は、生まれてはじめて天皇杯決勝の観戦に行きます。 元旦は、高校までは初蹴り、大学以降は朝から飲んだくれていて、天皇杯決勝をTVも含めてまともに見たことは、ほとんど記憶にありません。というわけで、2004年元旦は、僕にとって新たなサッカーの出発になるかもしれません。 で、6月にはポルトガル。ついでに大連に2人ほど友人が赴任しているので、7月は・・・、多分そうなると思います。さすがに8月のアテネは考えていませんが。 まったくまとまっていませんが、みなさまよいお年をお迎えください。 |
■散在 | ||||||||
2003年12月24日(水) |
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最近、散在してます。と言ってもヒジョーに庶民的なんですけど。 まずB5モバイルPCを中古で4万円で購入しました。これは完全にEURO2004用。カミサンは、ブーツを購入しました。ナニ用だか知りません。さらに昨日は、合宿用にカミサンがadidasのトライアルジャージ(あのシャカシャカする風除けのやつ)を購入。僕のはエレナの安いやつなのにカミサンはadidas。ついでに本を整理してbook offで売ってきました。(でかいカゴ2つで840円だって) で何を言いたいかというと、買い物するには当然買い物に行かなくてはいけないわけで、さらに当然休日に行かなくてはならないわけで、さらにさらにその休日には天皇杯があるわけで、忙しいのです。何か会社に来るとほっとしますです。 が、実はもうひとつ年内に散在したいと思っております。それはETC。あれってハイカと一緒で50000円で58000円分の高速料が出ますので、ETC代の約20000円なんてすぐ元をとってしまうようです。別に高速でバーがバコーンと開くことはどーでもいいのですが、元がとれてその後得するならETCは買いでございますな。 それではMerry Christmas!
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■心に残る風景 |
2003年12月18日(木) |
一昨日、昨日と早めに帰宅をして「北の国から」を見てしまった。以前も見たことがあるので、ドラマ自体に感慨のようなものはなかったが、何故か久しぶりに見た富良野、美瑛のあの美しい風景に感激してしまい、心が洗われた気がした。観光が嫌いで、名所、旧跡等に対する五感が欠如している僕にとって風景に感激してしまったのは、おそらくあの時以来であった。 大学5年冬、僕は志賀高原でスキーインストラクターのバイトをしていた。と言っても「わたしをスキーに連れてって」を想像してもらっては困る。所詮バイトが教える生徒は、田舎の赤いほっぺの中学生の修学旅行であり、ロマンスの「ロの字」もありゃしない。毎日毎日、ハナタレ小僧にスキーの履き方、歩き方を教え、やっと最終日にリフトを使ってボーゲンで滑らせる程度。それでも夜に宿舎で疲れを癒せたらマシだが、バイトの待遇は悲惨。宿泊する場所はホテルの地下であり、朝になってもまっくら。要するにタコ部屋。さらにそれに輪をかけ、冬の志賀の寒さは半端ではなく、ほとんど毎日雪が降り続き、昼も夜も暗い。この生活が1ヶ月近く続き、僕は完全に消耗しきっていた。 ある2月の寒い朝、その日もハナタレ小僧のコーチが入っていたため僕は早くにタコ部屋を出て、1階上(つまり1F)の洗面所に向った。そこは元ホテルの談話室のような場所であり、東側には大きな窓があり、僕は毎日その窓から降り続く暗い雪の朝を見ていていた。その日も同じように歯を磨きながら、何気なく窓方向に顔を向けると、何故かいつもと風景が違う気がした。 窓の外は一面の真っ白な雪、これはいつもと変わらない。しかし地平線の向こうからわずかながら太陽が顔を出している。その太陽が少しずつ上昇し、真っ白な雪をオレンジ色に染めていく。そしてわずかづつ、わずかづつ、オレンジ色の面積が拡大していく。僕は久しぶりの晴れという天候にうれしさを感じながら、その美しさ、暖かさに感激してしまった。そしてその風景が完全に消耗していた僕に元気を与えてくれたことを今でも覚えている。そしてこの風景を思い出すたびに、その時かけていた曲、Daryl Hall & John Oatesの”PRIVATE EYES”が心の底に鳴り響くのである。 |
■表彰式 |
2003年12月16日(火) |
まずはFIFAの年間最優秀選手。ジダンが受賞しましたが、これって各国の監督の投票で決まるのですね。さらに自分がカントクをしている国の選手は選出できない決まりのようで。初めて知りました。で、わが国の神様はポルトガルのフェリポンと同様にロベカルを、隣国のポルトガル人はフィーゴを第1位で選出していますね。これってなんだか変っていうか、面白いです。まあ、そんなことより誰が誰に投票したかを公表するってFIFAも結構エライですな。 さらにそんなことよりすんごいのは、(皆様ご存知でしょうが)「高松くんに1票!」ですな。選出した台湾の監督ですが、2位にダド・プルソというモナコのクロアチア人を選出し、さらに3位に高松くん、しぶい人選でございますこと。一体、高松をどこで知ったんでしょうかね。 それからJリーグアウォーズ。まあ選手の選考はなかなかとして、上川さんが最優秀審判っていうのはブラックジョークでしょうか?僕はある程度以上の質のゲームを裁くレフェリーっていうのは、両チームの選手に同様に不満を与えずにゲームをスムーズに進行することが最も重要だと思うのですが、上川さんは非常に自己顕示欲が強く、ピーピー鳴らしますし、黄色だ、赤だ、が乱舞します。その度に、ゲームは止まり、選手は抗議し、そしてゲーム自体の質が落ちていく、まあ観客席から言えば、上川さんのレフェリングに当たらないことを祈っているのですけどねぇ。W杯出場審判だから仕方ないか?とりあえずおめでとね。 |
■勉強しなはれ |
2003年12月16日(火) |
来年のために勉強しなはれ http://www.indianfootball.com/index1.html |
■妄想 |
2003年12月15日(月) |
昨日はトヨタカップも行ったのですが、その前のPK戦のほうが凄かったみたいですねぇ。(自分は蹴っていて観戦しませんでしたが)で、一部の友人には申し訳ないですけど、少し妄想してみました。 昨日もしあのPK戦で市船橋が勝ってしまって、その後もトントンと何故か元旦までいってしまったらどうなるんでしょう・・・。高校選手権がありますから、市船橋は1〜3日まで3連荘のゲームとなります。で、選手権が大事だから天皇杯は2軍を出したりしたら、昔の福岡問題が再燃するの?でも市船橋はアマだしねぇ。で、それも勝ってしまったら、ゼロックスカップは横浜Fマリノスvs市船橋の因縁対決!さらにACWC(ってまだあるんだっけ?)にも日本を代表して参加!でもカレンや増島は卒業しているから出場できない。これってなんか面白い。 と、くだらないヨタ話でした。 みなさん、結構「へぇー」とか「はぁー」とか感動されているトヨタカップは僕的にはいまいちでした。1−1になるまでは結構面白かったのですが、その後は何かリスクを犯さない守りあいになってしまって残念でした。久々にイタリア人の右手斜め45度上げての”オゥー”を見れたのが唯一の収穫かな?ほんだば、また。 |
■宣伝 | ||||||||
2003年12月12日(金) |
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http://tokiokas.fc2web.com/negot/0312_eajia/ciko.html 久々の出来だと思いますです。
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■さよならジーコ | ||||||||||||||||
2003年12月11日(木) |
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ホームで開催された東アジアで優勝できなかった最大の要因は香港戦で1点しかとれなかったことにつきると思われます。あの時点で韓国は2ゲームを終了しており、日本は2点差以上の勝利で最終戦に引き分けても優勝というアドヴァンテージを所持できるに関わらず、結果1点差で終わってしまった。でも不運が重なった1−0ならば、サッカーは不確定要素の強いゲームですからいたしかたない。しかし、あの香港戦はそのような不運ではなく、ゲームプランニングの失敗でした。つまり日本は最初から勝つことだけを目標としており、2点差以上という目標は念頭に置いていなかったということです。これが最大の失敗でした。 100歩譲って「ベストメンバー」でのスタメンは許しましょう。それがジーコのポリシーですから。しかし久保のシュートがバーに拒まれ、大久保が点をとれずにあせりまくり平常心を無くし(こいつに平常心があるかは定かではないが)、いつまでも1−0の膠着状態が続いた段階でジーコは決断するべきでした。どう考えても香港の攻撃は怖くない、つまりDFを1枚減らしても大丈夫、さらに万が一事故で1点とられて引き分けたとしても、1−0のまま終わっても、韓国に勝たなければ(勝てば)優勝という条件は何も変わらない。だったらリスクを犯しても攻めるべきだったでしょう。 しかし後半20分を過ぎても日本の姿勢もジーコの戦術もまったく変化はありませんでした。その後実施された遠藤→山田、小笠原→奥の交代もテスト的な意味合いが強く、いつまでたっても1−0でも勝てばよいという雰囲気、最後の交代である山田→石川には多少サイドのえぐりが期待されましたが、あまりにも遅すぎて選手に1−0じゃダメの雰囲気がまったくない。そしてそのままタイムアップ。 完全にゲームプランニングのミスです。この日の1−0という結果は不運でもなんでもなく、ジーコの失敗です。たしかに東アジアはW杯予選と比較すれば価値が低い大会だし、テストを兼ねたり経験を積むのもいいでしょう。しかし公式大会でコロンビアに1点のアドヴァンテージを守りきれずグループRで敗退し、この大会では総得点という一重の差で優勝を逸したカントクの責任はかなりでかいと感じます。もういい加減、ジーコにさよならしてもいいでしょう。次のカントクなんかどうでもいい、まずはジーコを辞めさせることから始めるべきです。
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■だめだぁ〜、風邪引いた・・・ | ||||||||
2003年12月10日(水) |
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昨晩からおかしかったのだが、完全に風邪だ。熱もでてきたみたいだ。 こりゃ、横国行ったら、完璧にこじらせる。 でも行く!当然だ! お願いだから、21:15頃にはすっきりはっきりさせてくれぇー。
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■お昼休みを10分超えた・・・ |
2003年12月8日(月) |
某月某日 日本サッカーは勝たなくては優勝をライバルにさらわれてしまう大事な1戦を迎えた。大事な試合のスタメンは、当時のカントク曰く「ベストメンバー」。しかしその中にはケガをしている選手、疲れている選手、そして脳みそが重症な選手が入っていた。 ゲーム開始。上記のようなベストメンバーでも日本の潜在能力は高い。カントクが何も言えなく、もとい言わなくとも、宮本、遠藤を中心に鉄壁の守備でライバル国にすきを与えない。しかし、同時にどうしても攻撃がかみあわなく前半は0−0で終了。ライバル国の攻撃に脅威は感じない、かつ日本の攻撃はちぐはぐ、当然後半は選手交代と誰もが思ったが、ピッチに表れた選手は「ベストメンバー」のままであった。 後半開始。あいかわらずぬるいゲームが継続される。後半35分、日本にアクシデント発生。もともとケガのあった小笠原がベンチに×出しをし、同時に右サイド山田も動けなくなり、惜しいシュートを10本ほど外したベストメンバーの若きエースは何故か顔から血を出していた。カントクはしかたがないので、3人を一挙交代。奥、石川、黒部がピッチに入る。と、どうだろうか?今まで膠着していた日本の攻撃が一気に活性化された。後半38分、遠藤がカットしたボールを石川が右サイドからえぐりセンタリング、久保がヘッドで落としたところに黒部がスライディングシュートでゴール!これで勝ったと思ったら、おまけがついた。奥のチェイシングにより相手の無理やり放り込みを中澤がヘディングでカット、そのままフィードしたボールが久保に渡り独走ゴール!!結局、たった5分で2−0で完勝してしまった。 ゲーム終了後、当時のカントクインタビュー。 記者(以下き)「カントク、優勝おめでとうございます。快勝の要因はなんでしょうか?」 当時のカントク(以下か)「ベストメンバーを組めたことだ」 き「なるほど。しかし点が入ったのは3人が交代した直後ですが?」 か「ベストメンバーが働いたから点が入ったのだ。」 き「しかしチャンスを作ったのは石川のえぐりですが?」 か「ベストメンバーが相手を疲れさせたから相手守備にアナができたのだ。」 き「なるほど、でも黒部が決めたのですが?」 か「あれはベストメンバーでも決められたイージーなゴールだ。」 き「ベストメンバー「でも」って変な日本語なんですが?」 か「鹿島ではおかしな言葉ではないはずだ。」 き「ではW杯予選もこのメンバーでこのシステムでいくということでしょうか?」 か「黄金の中盤次第だ。後はナカタに任せてあるから大丈夫だ。」 き「W杯予選への抱負は?」 か「ナカタが何とか考えるだろう。」 その後、当時のカントクはどうしても母国に帰国せざるをえない事情ができ、日本中に惜しまれながら東アジア選手権優勝という栄誉をお土産に日本代表監督を勇退した。 2004年2月、S級を持っている新監督のもとでW杯予選第1戦を普通の戦略で戦った我が日本代表は5−0で快勝した。 |
■いまさらながら | ||||
2003年12月7日(日) |
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――確認ですが、香港戦では第1戦と同じメンバーでいくおつもりですか? 中国戦がいいゲームだったので、香港戦も同じスタメンでいく予定です。 ================== 一体この人は何を考えているのだろう? たしかに中国戦はうまくいった。しかし100点満点ではなく、課題も見つかったはず。その中には、ゲームを同じメンバーで行うことで解消される「連携」もあるが、きっと神様は欧州組が来ればこのスタメンでゲームに臨むはずはないので、”高度”な連携は必要ない。となれば、3−5−2として個人的スキル(戦術)に課題の残った選手の組み換えを試すことこそが香港戦のテーマになるのではないだろうか。 さらに事前の韓国VS中国戦結果で多少の方向転換が必要かも知れないが、現状での香港戦のテーマは3点差以上の勝利だろう。 理由は1)リーグ戦での得失点差(韓国が2点差で勝った) 2)得点力不足といわれるチームに自信を与えること の2点。 だとしたら、まずは山田と石川、そして大久保と本山(黒部)をチェンジするのが当然の策である。(断言) ホントにこのカントクで04年2月のオマーン戦を戦えるのか?不安である。
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■U20 | ||||
2003年12月6日(土) |
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どひゃー!!!次は韓国みたい。
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■明徳クン | ||||
2003年12月5日(金) |
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明徳クンは本人のせいでない部分が大なので、除くのをやめました。いまだに3・5・2とかの左MFで使用すれば、良い選手だと思ってます。 微妙・・・。良いクロスはあげたが、相変わらずボールもらって止まって考えているうちに詰められて・・・。 それと中国戦の寝言をアップしました。
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■コロンビア | ||||
2003年12月3日(水) |
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ある程度は予想していた結果ではあったが、やっぱりショックだった。無理を承知で比較すれば、昨日のコロンビアは99年のウルグアイと同じ程度の実力。つまり期待していた今年のU20はナイジェリア組には全然及ばなかったということだ。 しかし結果ほどの実力差はなかったと思う。前半、日本はコロンビアに合わせてスピーディな動きをしており、かなりハイレベルなゲーム展開だった。ただ、ボランチ前(特に成岡)でうまくボールをさばくことができずに、その付近でカットされピンチに至ることが数回あり、これはヤバイなぁと思っていたら、そんなパターンから失点してしまった。失点後は選手も監督もあせるばかりで、前掛りになり結局1−4。格下のチームにありがちな大敗をしてしまった。 しかしふりかえりこのゲームに日本は何を求めていたのだろう。もちろん勝利することが1番なわけだが、エジプトvsコロンビアを見た限り、コロンビアは日本より実力が上なのは誰でもわかったはず。だとしたら、引分け狙いの戦略が正しくはないだろうか?もしそうだとしたら、成岡のボランチ、阿部のトップ下はないだろう。引分け狙いであわよくばというのは、わかりやすく言えば浦和の戦術。要はラインを深く保って、エメと達也のカウンターで点を狙うわけだ。まあ、坂田と茂木を走らせようとしたのかもしれないが、エメとは役者が違うし、阿部がトップ下では攻撃前の守備が心もとない。やはり本職のボランチ2枚とくさび1枚、衛星1枚という第1戦のメンバーのほうが少しは増しだったろう。が、これも結果論。しかし谷澤と今野の交替はどう考えてもおかしい。あそこで本職ボランチ0枚のリスクをおかして同点に追いつくよりも、最悪0−2のままで構わないから得失点差をできるだけ最小に保つ方が3試合を通して考えればベターな戦略であろう。何故ならば勝ち点3を確保していれば、得失点差でベスト16に残れる可能性は大きいからだ。 しかし昨日のー3で日本は勝ち点3のアドヴァンテージを全くなくしてしまった。しかしいまだに3のままで充分16強に入るのは可能なわけであり、エジプト戦に玉砕戦法のような愚行を行わないことを大熊監督に切に望みたい。
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■決意表明 | ||||||||||||
2003年12月1日(月) |
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既に明確に表明しているようなもんですが、改めてここで宣言します。(ってほど大袈裟じゃないけど) 「東アジア選手権で優勝しない限り、僕はジーコの即刻解任を要求します。」 ホームであること、前2試合は最も手強い韓国の後でゲームをできること、中国、香港、韓国の対戦順はベストであること。これを考慮すれば、2勝1分で得失点差優勝は必然でしょう。欧州組がいないなんて何の言い訳にもなりゃしません。本来ならば、それにさらに横浜FMと磐田(しつこい?)の選手がいなくなるはずなんですから。今の日本代表の本来の実力があれば、これだけのアドヴァンテージをもって優勝できないとすれば、それはまちがいなく監督の失態です。 その代わりではないですが、僕は今回は斜にかまえず、一生懸命応援します。サポートします。だから絶対に優勝してください。 それにしても、マスコミは何故ジーコに宿題を出さないのだろう?トルシエなんて何回もネガティブ報道されたのに、今のジーコの状況はトルシエ以上にピンチなのにマスコミは何も言わん。彼らも単なるJFAの代弁者なのだろうか。(昔から期待はしてないけどさ、それにしても醜い) 関係ないけど、euroの組み合せが決定しましたね。なんかポルトガル行が現実を帯びてきました。うれぴー。で、Sさん。ホテル、お願いしますよ。(マジ)
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