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2004年2月

 

カシマでキャバクラ?!
tommy - 2004 02/29 10:51  
 アブタビでキャバクラとか冗談言って遊んでいたら、カシマでキャバクラですか・・・。
日刊スポーツの記事
たしかに僕も大学の時、合宿を抜け出して酒飲んでいた常習犯ですが、やっぱしそれとこれとは、ちと違うような気がします、そりゃあ僕も合宿中酒飲んで店のガラスを割ったことがありますが、日本代表選手がW杯直前の合宿を抜け出して酒飲んで、店とトラブるのとは、やっぱし訳が違うような気がします。多分地元で元ヤンの小笠原がセッティングしたと思われますが、小笠原さんよ、別のゲームをメークして、別の世界でファンタジーになってどーすんの?

 とは言え、酒飲みとしてはわかるんだよなぁー、この気持ち。いやなに、どーせオイラ達国内組が頑張ったってとか、ジーコの練習はアホくさいとか、そんな愚痴を発散させるとかじゃなくて、昼間必死こえて走って、アタマ使って、さらにW杯のプレッシャーがあって、さらにオトコばっかしの合宿で・・・、やっぱし息抜きしたくなるわけですよ。全く別の次元ですが、オイラの抜け出しが頻繁になったのは、やっぱし大事な試合の前でしたしねぇ。

 それにしてもこの組み合わせ、なかなか興味あります。久保組長、山田副組長に手配師の小笠原、ヒットマン都築、三下の茂庭、大久保ってとこでしょうか。あれ?奥のポジショニングは?でもこうゆうベビーフェースが映画では一番無茶して、敵の組長のたま獲るんですがね。

 というわけで、この案件においては事情が事情なのは重々承知のうえで、何か憎めないtommyでした。

1:tommy - 2004 02/29 22:15  
結構あるみたいですね。
http://www.kizaki-group.net/oasis-kashima/
http://www.kizaki-group.net/kizaki-kamisu/

27209 Byte
4:とくめいきぼう。 - 2004 03/01 10:57  [ 削除 ]
なんつーか、かんつーか。

5:tommy - 2004 03/01 12:40  
↑グッジョブ!!です。とくめいきぼうさま(笑)
こうなると開幕戦は、キャバクラセブン中スリーが出場する横国に行きたいような気が(笑)。F東vs新潟、買っちゃった。茂庭いないし、ネタになんない。

6:S - 2004 03/01 17:50  
これに関しては、全く同意見です。(笑)
不謹慎を承知の上で続けさせてただくと、ちょっと意外だったのは、満男にあんな席を提供する度量があったことです。他チームの人間とは話もしないようなイメージがあったものですから・・・。ちょっぴり見直しました。(笑)

>というわけで、この案件においては事情が事情なのは重々承知のうえで、何か>憎めないtommyでした。
 

 

5-7-5-7-7
tommy - 2004 02/25 16:55  
 僕の友人でKTWさんというサッカー好きなおとぼけオヤジがいるのですが、実はこの方非常に紳士でして、一言で言えば僕とは育ちが違うっていうか、要するに家族を大事にする方でして、彼のサイトは大変上品かつ上質なわけです。
 そんな彼が何をまちがえたか、とんでもないことをDiaryに記載していました。詳細はこちらのDiaryをご覧下さいませね。

これ言えと 強要は駄目よ セクハラさ
お前のかあちゃん オマーン国際空港

だって・・・。こりゃあ、まずい。っていうか僕のテリトリーだろうって。KTWさん(笑)。

 いやね、実はサイスタでオマーンの選手が転んだら、「オマーン!こけるな!」と言おうとネタはあったんです。んが、そんなこと言う余裕もクソもなかったんで・・・。これもジーコのせい?

 ところで下でU23に対する美しい文章を書いたのに何の反応もなく、アブダビのキャバクラにこんなに反応があるってどういうわけ?いいさ、それが僕のキャラなんだね。(少しだけ悲しい)

1:KTW  - 2004 02/25 19:24  [ 削除 ]
えー、私のサイトの方は「自主規制」しときました(笑)。
ちなみに上品かつ上質かと問われれば、そんなことはないわけで、こっぱずかしいことこの上もありません。

それにしても、ある種の現実逃避だとは思いますが、五輪UAEラウンドが始まるまではネタに走るしかなさそうです(苦笑)。

あ、でも、JFAの会長がバカンス中の代表監督を「事情聴取」のためにトンボ帰りさせるそうなんで、まさかその場で・・・・・!!!?

なーんてことにはならないんでしょうなぁ。

2:おぢさん   - 2004 02/25 22:01  [ 削除 ]
おっと。
僕が見たときには、KTWさんのサイトで「校閲済み」だったので、本人に教えて!と頼もうかなあと思ったら、、、こんなところに(笑)。
 
なんか、フランスW杯予選のときの某サイトでの「オカコチが行く」とかを思い出しちゃいますね(※知ってる人だけ分かればいいけど)。
 
ところでヒトがカミサマを事情聴取するという、かつての自民党幹事長が総裁候補を面談するような事態になりましたが(笑)、「もしかして、そうなるかも」という予感はあります。。。。。いや、期待なのか?(爆)
 
んじゃ。

3:S - 2004 02/26 17:45  
蒼への思いが始まってから、突っ込みどころが無くて
ずうーーーーっと我慢していたのだ!!(笑)

4:おぢさん   - 2004 02/29 01:28  [ 削除 ]
阿呆カピタン 踊る阿呆に 飲む阿呆
同じ阿呆だぞ みんないてまえ!!
 

 

あぶだび
tommy - 2004 02/24 18:40  
とんでもないメールが来ました。友人からなんですが・・・。

「拝啓 ○○さま(僕の本名ね)
早速本題ですが、突然UAEへ行くことになりました。ところで、アブダビにキャバクラはないでしょうか?ご存知でしたら教えてください。」

なんだ?このメールは??なんでオイラがアブダビのキャバクラを知ってると思うのだ?
でも、なんか楽しいメールですた。”アブダビにキャバクラ”そこそこ語呂もいいし、結構お気に入りだす。

1:タケル - 2004 02/25 04:34  
アブダビは分からんですが、ドバイにはナイトクラブがたくさんあります。
大きなホテルの中にも大概あるそうです。

「ドバイのキャバクラ」いかがでしょ。

2:S - 2004 02/25 10:31  
友人の方は極めて情報収集能力に長けた方とお見受けいたしました。

3:とくめいきぼう。 - 2004 02/25 11:36  [ 削除 ]
ご友人って、誰に聞けばいいか分かってるんですね。
「アブダビで地下足袋」って言葉が浮かびました。。。関係ないけど。
 

 

ご機嫌なゲーム
tommy - 2004 02/23 13:13  
 ちょっと、いやかなり遅いのですが、土曜日のU23韓国戦はご機嫌なゲームでした。常識的に考えれば、A代表はW杯予選という本番でしっかり勝点3をゲットしたのに対し、この日のゲームはあくまで親善試合。別に勝ったからって五輪出場にアドヴァンテージがあるわけじゃないのですが、どうひっくり返っても18日より21日のほうが気分いいです。

 もちろん、あのピンク色のうざいチームに勝ったということもあるのですが、よーく考えてみると、それ以上にU23日本代表のゲームが面白かったことが気分良しの最大要因だったような気がします。
で、この「面白かった」っていうのを、もうちょっと掘り下げてみると、多分「将来に希望の持てるチームらしさ」ってとこに行き着くようです。つまりあのゲームは親善マッチであり、U23の目標はアテネなわけですから、ここでの勝敗はある意味何の意味も持たないのですが、あのようなゲームを継続してくれれば、アテネに希望が持てるということです。そしてアテネ行きの希望は、アテネでのメダルなんていう楽しい妄想にも広がっていきます。

 一方A代表なんですが、もしもマレーシア戦やイラク戦で「希望のもてるゲーム」を実施し、あのオマーン戦が同じ1−0の結果だとしたら、僕らはA代表に対し(もしくはカントクさんに対し)ここまで暗い気持ちになっていたでしょうか。一部では(中田も言っています)、要約すると「本番は甘くない。だから勝ったということで充分な価値がある。」という意見があります。これはいくら素人とは言え、ドーハやフランス予選を身に染みて「感じている」僕らにもよくわかります。だから、もし事前の親善マッチでそこそこのゲームをしてくれていたら、僕らもオマーン戦の1−0を受け入れたと思うのです。

 が、しかし現実はどうであったか?簡単に言えば、韓国戦でU23が「将来に希望の持てるチーム」として確信できたのに対し、A代表はそうは言っても本番ではちゃんとやってくれるだろう、という事前の予想に反し、オマーン戦において「将来が非常に不安なチームになっていない集団」と確信してしまったわけです。

 「谷間の世代」なんて揶揄され、実際「谷間」のような情けないゲームを繰り返してきたアテネ世代がここにきてものすごくチームらしくなりました。サッカーは11人で戦うスポーツ、A代表も「個」の重視もよろしいですが、ここいらでチームとしての機能をきっちり果たし、楽しいサッカーをやって欲しいもんです。
 

 

無題
tommy - 2004 02/19 18:00  
川淵三郎談話
「サポーターのブーイングは不本意且つ監督・スタッフ・選手に失礼。
オマーンは強豪で楽に勝てる相手ではないことをサポーターは認識すべき」
ソースは今朝の産経新聞31面

 以上はサポティスタの掲示板からの抜粋だが、本当であろうか?もし本当だとしたら、僕はこの人の見識を疑う。第一に何故「サポーター」と言われる一般市民が非難されなければいけないのだろう。さらにブーイングしたのは、その一般市民の中でも昨晩会場に来た人々だ。つまりJFAの興行に金を支払って観戦に来た「お客様」なわけだぜ。ここで川淵氏が言っていることは、自分の劇団の演技が客に不評だった際に、「役者が一生懸命やっているのに、感動しない客は役者や演出家に失礼だ。」と言っているのと一緒だ。

 人は目下の人間(自分に利益を与えない人間)と接した時に本性が露呈する動物だ。この際だから言ってしまうが、僕は川淵氏、平田氏、釜本氏と数回会っている。そして僕は彼らにとって、目下の人間だ。その目下人間の感想としては、左から「傲慢」「バカ」「いい人」であった。

「今日のゲームは不本意且つせっかく応援してくれたサポーターに失礼。
オマーンは強豪かもしれないが、日本はW杯でベスト16入りしたチー
ムであることを、カントク・スタッフ・選手は認識すべき。」
が正しい会長の見解であろう。

2:タケル - 2004 02/20 10:18  
キャプテン様は「負けたら進退問題だった」といってますが、
すでに世論は解任に傾いているんですけどねぇ。
誕生日とかカーニバルとか、この時期にそんな理由で帰国する時点で職務放棄と同義です。
いい加減協会もサッカーの巧いシロウト監督に莫大な年棒払うのやめましょうよ。

セルジオ(越後)さんによると
「ジーコはサッカーの神様じゃない。神様はペレ」だそうです。ごもっとも。


9 Byte
3:タケル - 2004 02/20 11:30  
マスゴミの皆さん、いい加減にしてください。
 

 

今日のために
tommy - 2004 02/18 13:52  
 「キャプテン翼」がフランス国際JRユース大会で優勝し、少年ジャンプの連載を終了したのが、1988年。この時、中学3年だった大空翼クンは(漫画なんで時代には誤差が出ますが、ここでは88年に15歳だったと想定します)1973年生まれの現在31歳となります。当然、中田や稲本より年長であり、現日本代表ではGKの土肥選手と同年齢ですな。

 さて、この1988年の日本サッカーとは、日本代表の監督は横山さんの時代、87年に守備一辺倒でHomeの利を活かせなかったソウル五輪予選での敗退による石井監督に替わり、90年イタリアW杯を目指したチーム作りを開始した年でした。と書くと、そこそこかっこいいのですが、ご存知のように横山日本は、迷走のしっぱなしであり、この時からレギュレーションがU23となったバルセロナ五輪最終予選(92年)においても、有望な若手(名波、相馬、名良橋等)を抱え、膨大な強化費を使用しながらも、あっさり敗れていました。そういえば代表ユニフォームを「赤」にしたのもこの時代でした。もちろんJリーグなんて、まだ影もカタチもなく、JSLも当然閑古鳥が鳴いていました。

 すなわち漆喰の闇の中にある日本サッカーであったわけで、たとえ漫画といえども日本代表が世界の舞台で優勝し、また「ワールドカップ優勝を目指す」なんて、絶対に実現できそうもないことを言い切ってしまう翼くんに当時の少年があこがれるのは、ある意味必然だったと言っても過言はないでしょう。

 一方今の日本は、というと、プロリーグが10年を迎え、W杯に出場し、W杯を自国開催し、なんと決勝トーナメントまで進出。さらに海外クラブに所属する選手も多数、ということで、まるで1988年に書かれた翼くんの、そして当時の少年達の夢が、まさにリアルの世界で実現に向けて加速しています。つまり今の少年にとっては、「キャプテン翼」なんて漫画に頼らずに、目の前のリアルな日本サッカーに夢を持つことができるのです。

 ということは、です。今の日本代表選手たち、中田、稲本、俊輔から小笠原、三都主、山田まで代表に選出されている選手は、今の少年達にとって、各自が翼くんであり、日向小次郎なわけです。夢なんです。あこがれなんです。

 さらに今の代表選手たちは、たしかに昔からサッカーの上手な子供だったでしょう。しかし、「強い代表」になれたのは個人の資質と努力だけではありません。先達の重ねた失敗により改良された様々な制度、サポーターたちの声援、そのサポーターたちがスタジアム観戦に支払ったお金による強化費、その他を含めたくさんの人々の支えがあったからこその「強い代表」なんです。

 さあ、後5時間余りで、あなた達は2006年という夢への第一歩を踏み出します。しかし、その第一歩はあなたたち選手だけの夢ではありません。多くの少年達、そして先達、サポーターの全ての夢を託されているのです。そのことを自覚してください。いや、責任を感じる必要はないです。思い切り自分のために、チームのためにプレーしてください。ただ心の底に、アタマの片隅に上記自覚を持っていれば、必ず最初の一歩が速くなり、最後の一歩がふんばれるはずです。

 僕は僕の夢を気持ちをあなたたちに託します。そのかわり一生懸命、心の底から応援します。頑張れ、ニッポン!

1:タケル - 2004 02/18 14:49  
今日、青いユニフォームをまとってピッチに立つ選手達は
サッカーというスポーツを通して、競い合ったり、声援を送ったり、支えたり、
様々な形で関わっている全ての人達の代表です。

その全ての人たちが皆スタジアムに行ける訳ではないけれど
きっと声は、思いはスタジアムに届くことでしょう。

ここ何年か、様変わりしたゴール裏の風景を嘆き、
「神様」の不可解な采配に異を唱え、
代表に対する思いが薄れてしまったのか、と思うことすらあったのですが。

今日を迎え、気持ちの高揚を隠せません。
ドキドキしています。

2:tommy - 2004 02/18 16:24  
> 今日を迎え、気持ちの高揚を隠せません。
> ドキドキしています。

確かに!オイラももうシゴトになりません。
ともかく「スタジアムに行ける幸せな1人」として、スタジアムに行けない人の分も
しっかり応援してきます。しっかり観てきます。しっかりサポートしてきます。
会社出るまで、後1時間。

3:おぢさん - 2004 02/18 16:56  
いま駒込で乗り換え。
あと2時間!

4:tommy - 2004 02/18 17:20  
よし!出陣!!

5:タケル - 2004 02/18 17:56  
あと1時間。
そそくさと職場でTVをセッティングしています。(^^;

6:タケル - 2004 02/18 19:14  
いよいよです。
仕事おっぽりだしてTVの前にかじりついてます。

7:タケル - 2004 02/18 21:33  
なんとか最後の一歩で踏ん張ってくれましたね。
とにかくハラハラしました。

8:tommy - 2004 02/19 01:58  
全てが最低。
もうZICOのすっとこどっこいな言い訳は聞きたくない。帰れ。
サイスタの過去を教訓としない運営には怒りを越してあきれた。2度と代表戦をやるな。
山田。オマエ仮にも代表選手なら、後半になって「オレにパスしたら、前に走れ」なんて中学生でもわかることを、何回もナカタに注意されるな。アホか、オマエは。自信がなくてボールのないとこでちょろちょろしているだけなら、自分で辞退しろ、糞。

9:タケル - 2004 02/19 04:33  
今日の見所:オマーンのGK って感じですか。

今日見た限りではとても最終予選で勝てるチームだとは思えません。
89年のイタリアW杯予選(1次予選敗退)を思い出しました。
 

 

明日のために
tommy - 2004 02/17 20:33  
 僕の友人を含み、日本サッカーにそれなりの愛と見識を持っている人達の大部分(っていうか全員)は、この前のイラク戦で怒りを通り越した悲哀を感じている。しかし、実は僕はちょっとだけ異なった感覚を持っているのである。少し詳細に説明する。

 まず僕は当日なんとゴール裏で観戦というより立ちっ放しで応援していた。いつもと違う視点での観戦であり、また慣れない応援のせいで、正直しっかり観ていたとは言いがたいのだが、その時感じたのは、「パスが足元ばっかに行ってるぜ。」だった。要するに、立ったままのパスをつないでいるだけで、全然パス&ムーブがなく、結局相手のプレスに負けて(びびって)ボールを戻す、もしくは獲られるの繰り返しに見えた。縦の動きがよく観えないゴール裏では、特にその印象が残った。で、翌日以降、各見識者の様々な意見をネット等で拝見し、僕の感想がまちがっていなかったことを確認した。

 ここで終われば、全然異なっていないのだが・・・。

 その後15日の夜になって、初めてTVでイラク戦を観た。もちろん結果もわかっていて、また多くの悲観的意見がインプットされていてのTV観戦だったのだが、この時の感想を一言で言えば、そんなに悪くないじゃん、だった。この「悪くない」の最大比較対象は、生観戦時の自分なのであるが、生で観た感覚と比較すると、パスの後ちゃんと動いてまたパスを貰おうとしているし、横パスだけでなく、スルーパスも結構あったような気がした。ただそれらの精度が悪いため、結果として”ちんたら”したゲームだったように思えた。

 どちらが正しいかはわからないが、もし前者であったとしたら、巷で言われているようにチェレンジの気持ちがない退屈な試合であり、代表選手個々のメンタルを疑うもの、すなわち重症なのであるが、一方後者であった場合には、その”ちんたら”はチャレンジはしていたが結果が悪かったということであり、そんなに問題はない。精度の悪さをその時の疲労を言い分けにしても構わないし、ベストな体調になれば素晴らしいサッカーを展開してくれるものと期待する。

 で、僕の目では今回のイラク戦は後者だと思えるのだ。

 となれば明日のオマーン戦はそんなに怖くない。きっと日本代表は快勝してくれるであろう。ただヒトには、不具合な心理になった時に不具合なほど良い事ばかりを考える習性がある。カラ元気とかカラ勇気とかいうやつだ。もし、今の僕がその症状に陥ってしまっているとしたら・・・。
 
 僕はマジョリティーでなく僕自身の目が正しかったことを今は祈るだけである。

1:おぢさん   - 2004 02/17 23:06  
 
とにかく後は、カミ頼み・・・ぢゃなかった、ホトケ様にお祈りしましょう。
あ!明日の朝はお不動さんに寄って行こ〜っと。
南無〜。

2:タケル - 2004 02/18 01:23  
唯一以前の予選を経験しているのはヒデ。
そう、ヒデがきっと何とかしてくれますって!
あと楢崎の無失点記録更新中も明るい材料ですよね。

明日は会社でTV観戦してます(T_T
 

 

五輪予選メンバー
tommy - 2004 02/16 18:24  
 五輪予選「本番」のメンバー選出が決定した。一言で言えば、納得できる人選だったと思う。ちょっとばっかし、ポジション別にふりかえってみると、
GK:川島の選出という手もあったが、総合力ではこの2人だろう。
DF:三田、池田、角田が漏れたこと、トゥーリオの危うさがポイントだと思う。前者は那須、菊地の成長が選択のポイントだったのだろう。単純に池田=那須、角田=菊地という比較をしてみると、僕の好みでは後者が上回る。ただ三田=徳永についてはやや不可解。さてトゥーリオだが、「諸刃の刃」であることは事実で、特に失点が怖いAwayにおいて彼をスタメンで使うことは怖い。しかし、あれだけの闘志を前面に出すプレーは、このおとなしいチームの起爆剤になる期待感もある。つまり、スキル、メンタルの両方とも「諸刃」なんだが、僕は前向きの「諸刃」を支持したい。
MF:大ヒットは森崎浩の選出。今までこの兄弟においては、和の方がどのカテゴリーにおいても重用されていたが、浩のイラン戦における左サイドは安定感抜群だった。U20からは今野、成岡が選出された。今野はイラン戦でその実力を発揮したのでOKだが、成岡にはやや疑問あり。本来ならば、森崎和あたりが選出されても良いと思うのだが、まあ順当。田中隼磨の落選については後述。
FW:順当だろう。FWは結果が一番であることを知らしめた選出だと思う。

 さて、再度このメンバーを眺めてみると、サイドのスペシャリストが少ないのがわかる。しかし3バックにおけるサイドはMFであり、ボランチ等とのポジションチェンジを含め、4バックのサイドと比較してサイドにポジショニングしている時間が少ないため、あえて言い切ってしまえば、そんなにスペシャルな役割がないポジションである。つまり、中の選手でも出来るのである。例えば、パルマの中田が、そしてトルシエ時代の俊輔がやっていたように。またこのチームには右サイドに石川というスピードスターがいるため、左は組み立て中心でも、守備中心でも、そのゲームに応じたSMFを配置すればよい。田中隼磨の落選はこの要因が強いと感じる。

 また、異なった視点からみると、日本にはサイドのタレントが非常に少ないと感じられる。A代表も無理に4バックで才能のないサイドのスペシャリストを使用せず、3バックで中盤の才能をサイドで充分に使ったらいいじゃないかと思う次第である。

最後に僕なりのU23ベストメンバー
GK黒河
DF茂庭、トゥーリオ、那須
MF啓太、今野、石川、森崎、山瀬
FW達也、平山

今野→青木、森崎→徳永、も充分ありで、トゥーリオが退場になったら、森崎を下げて青木もあり。これに松井と遼一がからめば、結構面白いチームになる予感がする。おっと、菊地や成岡も使えるし、これに阿部や駒野が復帰してきたら、かなり良いチームが仕上がるかも知れない。

1:おぢさん - 2004 02/16 21:30  
まったくおっしゃるとおりで。
ただ個人的には根本を残しておいてもよかったかなあ・・・という程度で。
このメンツでの「ベストメンバー」については100%同意。
 
しかし問題はA代(略

2:おぢさん   - 2004 02/16 21:56  
訂正。
・・・・・・・なぜ前田が?(笑)

3:タケル - 2004 02/17 12:35  
山田に三都主に闘莉王、今年のレッズは誰が守備するんでしょうか...(^^;
実質坪井とニキの2バック...。

あ、都築が入れて3バックか。

4:tommy - 2004 02/17 12:55  
おぢさん殿
たしかに根本は残念なんですが、上から順番に選考していくと落ちちゃうかな?と思います。それと前田は使えますよ!理由は単なる贔屓です。(笑)
いずれにしても、「落ちて残念」と思えるu23というチームは、ある意味「層が厚く」かつ選ぶ人が「適切な候補を選考後に、適切なメンバーを選抜した」結果なんでしょうね。それに比べてA代表は、全てが不適切だもんなぁー。

タケルさん
> 実質坪井とニキの2バック...。

イラク戦の「事件」によって、この好青年が自信を失わないことを切に希望します。今までも、1試合のミスで結果としてサッカー人生を狂わしてしまった好選手ってたくさんいますので。

5:タケル - 2004 02/17 19:37  
↑下川(健一)とかやらかしちゃった一人ですね。
ヨシカツにも最近同じニオイがしつつありますが。

 

ETC後日談
tommy - 2004 02/15 17:04  
いやはやETCは快適です。
購入時は、50000円の前払い制度で58000円分の高速代が使用できる割引制度が魅力だったのですが、その他にも料金所をスイスイ抜けられる快感はもうやめられまへん。
そうそう、アコムさんからは商品券が届きました。(笑)

1:tommy - 2004 02/15 17:05  
こんな感じでカードを入れて

2:tommy - 2004 02/15 17:06  
こんな感じでゲートを抜ける

3:tommy - 2004 02/15 17:07  
で、何しに行ったか?というと、蓼科で温泉ざんまいしてきました。

 

『蒼への思い』休止
tommy - 2004 02/13 12:29  
一喜一憂はやめよーとか言いながら、どうしても更新する気になれないので、オマーン戦まで休止します。

オマーン戦後は、『u-23蒼への思い』と改題するかもしれません。(笑えない)

1:tommy - 2004 02/13 12:56  
■フランス予選前の調整試合はタイに1−3で負けた。それと比べりゃマシか。
■とりあえず2試合を失点なしで終えた。安心できる。うん?坪井。
■海外組が揃えばなんとかなるさ。多分・・・。
■加茂と比較すれば、今のカントクの方がまだマシ。だと思いたい・・・。
■しかもhomeで第1戦を迎えられる。これは有利(だろう)。

他に何かないか?あった。
■ユニフォームが変わってから、失点なしだし、2連勝。
■あのカントクはサイスタで負けがない!相手は香港だが・・・。

2:おぢさん - 2004 02/15 02:05  
4月には「女子代表 蒼に萌え萌え」。。。

3:タケル - 2004 02/16 15:01  
オマーンといえば
アトランタ五輪のアジア予選のまえに
「オマーンは甘くない」と前園がコメントしてたのを思い出しました。

A代表、U−23合わせて1週間に4試合はさすがにお腹いっぱいです。

 

『蒼への思い』part6
tommy - 2004 02/12 13:43  
△97年10月4日 1−1カザフスタン(アルマトイ)
△97年10月11日 1−1ウズベキスタン(タシケント)

 あの韓国戦の敗戦まで僕はグループ1位で抜けることしか期待していなかった。もちろん2位でも第3代表に、さらにそれで敗れたとしてもオセアニアとの決定戦があることは理解していたが、場所も相手も未確定(当時)な第3代表決定戦よりも、オーストラリアとの最終決戦よりも、まだこのグループでの1位のほうが容易であり、そのために倒すべき相手は韓国のみだと考えていた。逆の言い方をすれば、このグループで1位にならない限り、W杯出場への道は閉ざされたのも同様、というナイーブな考えをもっていた(と思う。)

 そして韓国戦の敗戦により勝点差は既に5、この途方もない差は今までの日本サッカーの歴史がトラウマとなり、僕は既に負けた時(=不出場)の気持ちの整理準備にとりかかっていたのかもしれない。よって、実際には劇的な様々な事件が勃発した中央アジア遠征ではあったが、僕自身はあまり記憶がない。いや、カザフ戦の秋田のヘディングもロスタイムの失点も、ウズベク戦のリードされた後のジリジリした時間、そして奇跡のような呂比須のゴールも脳裏に映像が残っているから、記憶はある。ただ、その記憶は映画を観ているようなもので、ドーハや後のジョホールバルでの出来事のような「気持ちの入った記憶」ではないような気がするのだ。

 何故またしてもロスタイムに失点するのか、何故Homeで快勝したチームに苦戦するのか。あの呂比須のゴールは後になって考えれば、W杯出場に可能性を残した劇的なゴールであったわけだが、それを生で観ていた瞬間に、僕には何の感動も歓喜もなかった。「ありゃ、入ったよ。」程度であり、その気持ちは、今入れたってどうせダメなんだよ、引分けじゃダメなんだよ、もう終わりなんだよ、というものであった。

【第6節終了時】
韓国13(+8)UAE7(+2)日本6(+2)カザフスタン3(−7)ウズベキスタン2(−5)


△97年10月26日 1−1UAE(国立)
 中央アジア遠征で4の勝点を失った我が代表は既に2位も危うくなってきた。しかし朗報が入る。第7節(日本は休み)において、直接の2位争いの相手UAEがawayにてカザフに0−3の完敗を逸したのだ。これによりUAEとの勝点差は1のまま。この日の直接対決で勝利すれば、2位が完全に見えてくることとなった。しかも相手は前週カザフに完敗している。そして舞台は国立。僕の心の中にW杯出場が復活してきたのだ。

 この日、僕は抜けられない仕事があり新検見川にいた。こんな大事な日に国立に行けない僕ではあったが、その引き止められた場所が新検見川ということに多少の因縁を感じた。そう、昔日本代表が合宿をしていた東大グラウンドのある場所がここ新検見川なのだ。仕事を何とか18:30に切り抜け、クルマで自宅へ戻る。東関東を160km程度でぶっ飛ばすが、当然キックオフには間に合わず、ちょうど葛西を抜け首都高へ入るあたりでラジオで君が代を聞く。僕はクルマの中で1人で大声で国歌をどなる。自然に感情が高ぶり涙腺がゆるくなる。キックオフ。直後、ラジオが大歓声でアナウンサーの声が聞こえなくなった。呂比須ゴール、日本先制の瞬間だ。僕はラジオから聞こえるニッポンコールに同調し叫ぶ。10分後、自宅到着。クルマを自宅前に路駐し、全速力でTVにかじりつく。そして魂の底から応援をした。

 しかし・・・、その後何となく攻めてはいるがキレのない日本は追加点をとれず、それどころかFKより同点に追いつかれる。後半、引分けでもよいUAEはあらかさまに時間稼ぎを行うが、レフェリーはほとんどロスタイムをとらずゲームセット。カズを始めとした日本選手がレフェリーに抗議するかたわらで、勝利に等しい引分けをしたUAE選手の歓喜が好対象に画像に映し出される。

 おわった。僕達のW杯はこれで本当に終わったんだ。そう思った僕は路駐してあったクルマを駐車場に持っていく時、クルマにはってあった"go for France”と書いたステッカーをはがした。後に知った国立での「卵投げ事件」。それを聞いた時、僕はそんな奴は日本サッカーを好きじゃないと思った。道徳とか礼儀とかそんな問題じゃなく、あの場で怒れることが信じられなかった。僕には怒るパワーなんかひとかけらもなく、あるのは「おわった」悲しみだけであった。

【第8節終了時】
韓国16(+12)(フランス決定)UAE8(−1)日本7(+2)カザフスタン6(−8)ウズベキスタン5(−5)

 

『蒼への思い』part5
tommy - 2004 02/10 19:04  
●97年9月28日 1−2韓国(国立)
 「今度の日曜、Sの送別会をやるんです。来て下さいね。」
とても仲の良かった後輩が浜松に転勤する送別会は、よりによって9月28日に開催されることとなった。もし、負けて辛気臭いカオして行けないよな、オイ、今から負けることを考えるなんてなんだ!、でも万が一ってこともあるし、迷惑かけると悪いから出席の返事はできないな、でもSの送別会に僕が欠席するのはあまりにも失礼だし・・・。アタマの中でのこの行ったり来たりが約10秒。そして僕は答えた。
 「もちろん出席するよ。」

 そして当日。実はこの日の記憶が僕には断片的にしかない。よってまちがっている部分があるかも知れないが、何か文献を調べて書いたのでは「気持ち」が薄れるので記憶にのみ頼り、進行していくこととする。
 
 当日の国立はものすごい人だった。ただウズベキスタン戦と比較すると、何か緊張感に欠けていたよな気がする。それは前戦が夜であり、今日は昼間のゲームだったからなのか、もしくは敗戦という結果が出た後、すなわち現在の印象なのかも知れない。ただ今僕の目に記憶されているゲーム前の風景はなにやらとても穏やかな雰囲気なのである。

 とはいえ、「決戦」であることはまちがいない。つい数日前に帰化となった呂比須のスタメンが発表され、国立は大いに沸く。そしてキックオフ。日韓は一進一退の攻防を繰り返し、前半は0−0で終了。後半開始以降、やや日本がペースをとる。山口、名波、中田の中盤が韓国を制し始め、左サイドを駆け上がった相馬のシュートが惜しくもポストをたたく。日本攻勢!そしてあのループシュートが入る。スタジアムは一気に沸騰する。そしてその後も日本が良いリズムのパスワークを展開。いよいよ韓国は何も出来なくなる。
 その時何故か日本ベンチが動く。呂比須に代えて秋田投入。あきらかに失点を防ぐ交替である。その時、「守るな。攻めろ。」と僕は力の限り叫んだ。ドーハはもちろん、87年の中国戦を始めとして日本はいまだ狡猾に守れるほどのマリーシアはない。逆に多少のリスクがあっても自分のリズムで攻めていたほうが結果としてリスクを軽減することは明白だった。そして「今」の日本はそのリズムを所持していたのである。

 加茂の愚策により、日本のリズムは崩れた。そして・・・。

 僕はゲームセットのホイッスルを覚えていない。いや、あのイレギュラーバウンドの逆転ゴールの後の記憶が一切ない。次に記憶があるのは、自宅の風景であり、つまり帰路の記憶も一切ない。あれは悲しみとかの表現では追いつかないほどの思いだったのかも知れない。

 翌日、僕はふたつの失敗に気が付いた。
Sの送別会に無断欠席してしまったこと、そして前日のゲームのVTR録画が途中でテープ切れになってしまっていたこと。そしてそのテープのエンドでは日本が1−0で勝っていた・・・。

【第4節終了時】
韓国9(+5)UAE7(+5)日本4(+2)ウズベキスタン1(−5)カザフスタン1(−7)

1:別人S - 2004 02/11 22:01  
なかなかつっこみどこがないなあ!!(笑)

2:おぢさん - 2004 02/12 01:58  
昔書いたコラムを、自分で読み返してます(笑)

 

『蒼への思い』part4
tommy - 2004 02/09 18:11  
◆98年W杯フランス大会最終予選

 気持ちは大きく揺らいでいた。97年のアジアカップでクウェートのカウンターに沈んだ後、さらにキングスカップでも不安を覗かせる我が代表。しかしオマーンでの1次予選を3戦全勝し、クロアチア、トルコを迎えたキリンカップでも優勝と復活の目が見えた気がした。しかし日本での1次予選2ndラウンドでは台風の中、中田の先制ゴールがあったに関わらずオマーンと引き分けてしまう。そしてブラジルにも惨敗。この当時言われていた、中東カウンターサッカーへの弱さを含めて、何にか不安なまま僕は97年の秋を迎えたのである。

○97年9月7日 6−3 ウズベキスタン(国立)
 この日、僕は朝から緊張していた。そして今日のために出来る限りのゲンを担いだ。靴下は左足から履くとか、不吉なコトバは使わないとか・・・。そして国立に向かう。
 ゲーム開始前、僕はS席だったが横山日本の時のアウェイのユニを着たサポの方がゴール裏から移動してきてトラメガで叫んでいる。
「みなさん、今日は我が代表が絶対に勝たなければいけない大事な1戦です。お願いですので、声を出して手をたたいて日本代表を応援していただけませんでしょうか。音頭はゴール裏でとりますので、是非ともご協力のほどお願い致します。」
S席から大拍手が起こる。そして6万人のニッポンコールが開始される。お祭りでもなく、はしゃぐわけでもなく、6万人全員が日本の勝利を願い、熱くピンと貼った緊張感の元、同じ気持ちで日本代表をバックアップしている。僕はこれほど観客が一体感を持ったゲームは、後にも先にも、もちろん02年のW杯でさえも知らない。この日の国立は本当に熱かった。

 カズと城がキックオフ直前に2人で片膝をつきセンターサークルにあるボールに手をかけて願っている。国立は最高潮。そして異様な雰囲気の中でキックオフ。井原が何故、そこにいたかはわからない。が、井原が相手DFに倒されPK、カズが決める。この時のカクテル光線が僕には後光に感じた。そして日本代表は次々に得点し、前半終盤にはそれまでチャンスにはずしまくっていた城がゴール裏の暖かいジョウショウジコールに後押しされ遂に4−0、これ以上ないスタートとなる。しかし後半から日本はリズムを崩し、結局6−3という荒れたゲームとなった。前日韓国が同じく3点差でカザフスタンを退けているため、今後のことを考えると是非4点差としておきたいゲームであったし、充分それが可能な展開だったためある意味残念なゲームであった。

【第1節終了時】
日本3(+3)韓国3(+3)ウズベキスタン0(−3)カザフスタン0(−3)UAEゲームなし


△97年9月19日 0−0UAE(アブダビ)
 井原の完璧なヘディングシュートがUAEゴールに向い、完璧な軌道を描く。入った!勝った!と思った瞬間、何故かゴール前に残っていた小村が足を伸ばす。「あー」僕はレフェリーを見る以前に既にあきらめた。完全なオフサイドであった。確かに中東での引分けは決して最悪の結果ではない。しかし、韓国が2連勝した今、翌週の韓国戦(HOME)がどうしても勝たなくてはいけないゲームとなってしまっただけに、あのオフサイドは痛かった。

【第3節終了時】
韓国6(+4)UAE4(+4)日本4(+3)ウズベキスタン1(−4)カザフスタン1(−7)

 

『蒼への思い』part3
tommy - 2004 02/06 16:29  
◆94年W杯USA大会最終予選

 1次予選で難敵UAEに勝利し、いよいよ日本代表がワールドカップに近づいた。最終予選突破の困難さは充分理解はしていたが、それでも今までのアジアカップ等の戦いを考えると2位抜けは充分可能であると思った。日本代表のために、そして僕らの夢のために、一体僕は何をできるのだろう?何かしなくてはいけない。そう考えた僕は最終予選1週間前から酒を断った。

△93年10月15日 0vs0 サウジアラビア(ドーハ)
 実はこのゲームのことをあまり覚えていない。ただアジアカップで勝った相手だとは言っても、この段階でアジアno.1といえる相手に引き分けたのに安堵したことだけは覚えている。柱谷も病気から復調し、この時点では都並の穴も三浦康で充分埋まると思っていた。勝ち点を取る以上に相手に勝ち点を与えないゲーム、いよいよ本当に厳しい戦いが始まったと実感した。

●93年10月18日 1−2 イラン(ドーハ)
 どうも高木の動きにキレがない。そう思っている間にイランに2点をとられてしまった。せっかくサウジに引き分けたのが無駄になってしまう。僕は悔しくて、残念で終了前にTVの前を去ってしまった。その後、ゴンの1点が決まったことをベットで知る。僕はこの1点がものすごい宝物の予感がした。最後の最後で決まった1点、得失点差が重要な厳しい予選でこの1点が最後の最後で日本をUSAに導いてくれる気がした。

○93年10月21日 3−0 北朝鮮(ドーハ)
 マスコミは後がなくなったと騒いでいたが、まだ3試合もあり僕はそこまで悲観していなかった。それよりも相手がワンランク落ちるはずの今日のゲームを快勝すること、そうすれば必ず次につながるというポジティブな考えがあった。これもイラン戦のゴンの1点があったからこそなのであるが。ゲームは予想通りの快勝であった。そしてともかく次の韓国戦で全てが決まると思った。

○93年10月25日 1−0 韓国(ドーハ)
 ノジュンユンの飛び込みに松永が決死のセービング。井原の強烈なシュート。序盤こそ拮抗したゲームであったが、前半中頃からペースを握った日本は完全に韓国を制圧した。カズの得点も見事であったが、こんな真剣勝負の中でこんなに安心して韓国戦を観られるとは夢にも思わなかった。ただゲーム終了後の日本選手の喜び方には少しの疑問が残った。たとえこの日の暫定順位が1位だとしても、最後のゲームを勝利しなくてはUSAへは行けない状況はそんなに変わりはないはずである。しかし翌日の新聞もまるでW杯出場が決定したかのはしゃぎようで、少しイヤな予感がしたのは事実であった。

△93年10月28日 2−2 イラク(ドーハ)
 
 長谷川健太のポストに当たったシュートをカズが押し込む。ゴール!僕は早すぎると思った。そしてその予感は的中し、後半開始からイラクの怒涛の攻撃が始まる。そして同点。その後も肝を冷やす守りが継続する。苦しい展開の中、ゴンがオフサイド(気味)に抜け出し遂に勝ち越す。そして後半も後わずか。僕は韓国戦で活躍した北澤を入れろとTVに向かって叫んだが、交代で出場してきたのはなんと武田であった。後2分、僕はTV前で立ち上がり(やや恥ずかしいが)奥さんの手を握っていた。武田がセンタリング、時間稼ぎなんか気にもしないようなセンタリング、それをDFにカットされフィード、しかしラモスがさらにボールを奪い左サイドで所持、浮き球でDFを翻弄しようとするが、疲れからだろうか、それをまたカットされ、右サイドを駆け上がられる。シュート、松永がパンチングでコーナーに逃げる。そしてロスタイムに突入。
 後に”ドーハの悲劇”と言われるあの場面の1〜2分前の状況を僕はまるでVTRを何回も見たように覚えている。もちろん生で観た後、一度としてこのゲームを観たことはないのだが、それでも何故か覚えているのだ。またこの時点で僕は武田のセンタリングを容認している。何故ならば、ロスタイムを含めまだ5分程度は残っていると思っていたのだ。最後のゲームにロスタイムはとらないという常識、主審からFIFAからイラクを嫌っているという背景、それらの何も僕は知らなかった。そしておそらく代表選手もオフトもそれを知らなかったのではないだろうか。だからこそ、もう1点を目指して武田はセンタリングを上げた、のだと思う。今のサッカーでは高校生もやっているコーナーでの時間稼ぎをW杯を目指す代表選手もサポーターも知らなかったのではないだろうか。それほどナイーヴだったような気がする。
 イラクのコーナーキック、ショートコーナーから上がったセンタリングはイラクFWのアタマに、そしてゆっくりとした悲しい軌道でボールは・・・。
 愕然とした。茫然自失だった。何か絶対にとりかえしのつかない喪失感があった。それからの2日間、僕は廃人だった。あの場面を思い出すたびに、心の底が痛み、その度に大切な何かを失った気になった。もしもあの場面に戻れたら、何回それを考えたことだろう、そしてそれが絶対に無理な摂理であることをそのたびに思い、また心が痛くなった。その繰り返しが継続したのである。しかし、何故か泣けなかった。そう涙は流していなかったのだ。

 

『蒼への思い』part2
tommy - 2004 02/05 16:48  
◆94年W杯USA大会1次予選

○93年4月8日 1vs0 タイ(神戸ユニバ)
 ダイナスティ、アジアカップと優勝した我が代表のワールドカップ予選は、93年4月神戸ユニバでのタイ戦でスタートとなった。当時タイはあなどれなくはあるが勝てない相手ではないという評価であり、ホームでのしかも初戦であるがゆえどうしても勝利が欲しかった。立ち上がり日本はかなり固かったが、福田、カズのコンビで遂に1点を奪い勝利。いつも期待した大会の出足でつまずくことの多かった代表がきっちり勝ち点を奪ったことに僕は頼もしさを感じたものだった。

○93年4月18日 2vs0 UAE(国立)
 この当時チケット前売りがTELであったかの記憶は定かではないが、僕は売出日の朝、日本橋の赤木屋に並んで購入した。とはいえ、たしか午前10時からの発売を9時過ぎに並び、かつ僕の前には10人程度しかいなかったはず。今と比較すればチケット購入は簡単だったようである。
 ゲームはオフト曰く「ナイフでの切り合い」。ともかくUAEのカウンターが怖く、柱谷のヘッドがゴールした時には飛び跳ねた。ただ家に帰ってTVをみると、UAEのカウンターはさほど鋭くはなく、日本の完勝だったと思った。

○93年4月28日 1vs0 タイ(バンコク)
 日本ラウンドを全勝で通過した日本は勝ち点でも得失点差でも大きくリードしており、マスコミ内では1次予選通過に対し楽観論もあった。しかし万が一この日のゲームで引き分け以下になり勝ち点を落とすと最終戦のUAE戦がかなり厳しいゲームになってしまう。よって、僕はこのゲームの勝利を心から祈った。もし勝てれば、よほどのことがない限り1次予選突破は確実だからだ。
 ゲームは井原とピアポンが両者退場という熱い戦いとなるが、堀池の一発で日本が勝利する。これで1次予選突破はほぼ確実となり、本大会において一番うれしい勝利だった。

 

『蒼への思い』前書き
tommy - 2004 02/05 16:46  
 以下、本番を直前に控え、自分自身をどうしても振り返ってみたくなりました。本来ならば、HTMLで書くことかも知れませんが、できればみなさんの共感、反発をタイムリーにいただきたく、こちらに記載することとしました。

 尚、原稿がアップしているわけでなく、以下の物語がいつどんなカタチで終わるかは、僕自身も見当がつきませんが、今後数日はこのトーンで日記を進めていきたいと思いますので、お付合いのほどよろしくお願いいたしますです。
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『蒼への思い』
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◆前書き

 それはいつも悲しみで終わっていた。メキシコ銅メダル以降、我が代表がアジアの壁を突破することを何度期待をしただろう。しかしその願いの多くは、例えば86年W杯予選のような決勝戦的ゲーム以前に簡単に挫折していた。その挫折はいつのまにか日常になり、僕は日本代表に勝利を期待しなくなる。ペレ、クライフ、マラドーナ等の夢のような優雅な世界のサッカーと比較し、あまりにも泥臭く、かつか弱くみえる”白”のユニフォームには悲哀さえ感じていた。

 期待をしていない、という表現は正しくないかもしれない。どうせ良い結果は出ないのだから期待するだけ空しくなるというあきらめ、という表現が適切なのかもしれない。しかし、心の奥底には「いつかはきっと」という妄想のような悲願が常にあった。そしてその妄想を実現するため、僕は自分自身にひとつの決まりごとを作った。
「日本代表がワールドカップに出場するまでは海外にサッカー観戦には行かない」
そして、僕は一生ワールドカップを観戦できないんだなぁ、と決まりごとを作った自分自身を嘲笑したが、その意地だけは必ず貫こうとも思っていた。

 「海外観戦ができるかも知れない」と代表に初めて期待したのはオフトが就任してダイナスティで韓国を破り優勝した時だった。そしてアジアカップの優勝は、その期待感をより大きくした。ひょっとしたらアメリカへ行けるかも、ワールドカップを生観戦できるかも知れない・・・、この頃から僕の”蒼”への思いは一層強くなった。あきらめ感が少しずつ薄れ、期待感が僕の心を支配し始めた。ワールドカップ観戦が現実味をおびてきたと感じたのである。

 98年フランス、そこは僕のサッカー人生の大きなエポックメーキングであった。フランス後、多くのサッカー仲間と出会い、また様々なサッカーに関わる活動も実施し、僕のサッカーワールドはフランス以前と比較すると数100倍の大きさに、またサッカーの楽しさも同様に広がったと思う。その後の気持ちは当HPでも紹介させていただいているが、ではフランス前の僕は一体どういう気持ちでサッカーに関わっていたのだろうか?自分自身のためにここでもう一度振り返っておきたい。

1:おぢさん  - 2004 02/06 14:46  [ 削除 ]
固唾を飲んで(色んな意味で:笑)、見守っております。

 

本番近し
tommy - 2004 02/03 16:57  
 なんとなくトルシエ最後のゲームでのスタメンの不可解さを思い出していたら、そういえば彼のシドニーのUSA戦もおかしかったことにふと気がつきました。延長になってあきらかに選手が消耗している状況に関わらず、選手交代が「適材適所」でなかったことです。だからなんだというわけではないですが、いよいよの日本代表の本当の戦いを直前に控え、アタマはいろんなことを駆け巡るわけでして。

 ところでネットサーフィンをしていたら素敵なサイトにぶちあたりました。是非ご高覧を。
Footballをご一緒に

 今日はこのへんで。

1:S  - 2004 02/04 23:14  
本山を出さん?と酔いつぶれた思いでが・・。ううむ いかん いかん!
でも 少しだけ また・・・(笑)

 

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