ぼくたちのワールドカップ 2002
 宮城  アルセンチンが消えた夜 
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6月12日

◆3連戦のスタート

 いよいよ、今日から3連戦。国内で日本戦以外の観戦は始めてということも含めて、「本番」という感じである。9.00の新幹線で仙台へ向かう。朝の東京駅にはスウェーデンサポ数人とアルゼンチンのレプリカを着た日本人多数を見かける。11.00仙台着。降車しようとしたら、同じ車両の2列前にTルがいた。仙台駅前は20〜30人位のスウェーデンサポがたむろしていたが、相変わらずアルゼンチンのユニを着ているのはニホン人しか見ない。
 
 ホテルに荷物を置いて、サポーターズパークに向かう。ここはお仲間のキックラブも出店しているので、ちょっと覗いてみた。大型画像もあり、なかなか素晴らしい雰囲気をかもしだしていた。

 12.30仙台駅に戻り、因縁の宮城スタジアムへ。しかもルートは2年前と同様の利府駅ルートである。駅構内で2年前の記憶をたどりホームへ向かうが、利府行きの表示がない。あれ?と思っていたら、特別ホームを設置しているようであった。さらに岩切駅での乗り換えもない!列車は直通で利府駅に到着してしまった。さらに駅前のシャトルバスも多数。僕らはあっという間に宮城スタジアムに到着してしまった。やるじゃん!ミヤギ。

 「利府界隈には何のイベントもない。」キックラブのM氏がそう嘆いておられた。たしかに何のイベントもなかったが、宮城スタジアムにはチケットゲート前に広大な広場がある。ここは両国とニホンのサポーターの交流の場として最適だった。スウェーデンサポが青と黄にフェイスペイントして騒いでいる。一方アルゼンチンサポはかなり年配者が多く、また数も劣勢だが、タンゴのノリでは負けていない。もちろん「敵対」という雰囲気はなく、仲良く記念撮影もしている。最高の雰囲気だった。その広場でスウェーデンサポと遊んでいるとF見をみっけた。どこにでもいる奴だ。(「おまえもな!」という声が少し聞こえた・・・)

◆アディオス アルゼンチーナ

 勝たなくてはいけなかったはずである。しかし何故2トップにしなかったのか?、ベーロンが出てから中盤がしまったじゃないか、何故ベーロン投入が遅れたのか?疑問は多数ある。しかし、事実としてアルゼンチンは消えてしまった。バティが泣いていた・・・。一方、トーナメント進出を決定したスウェーデンサポは当たり前だが、明るかった。この北欧のサポの明るさ、社交性も棄て難く、アルゼンチンサッカーもまだまだ見たかった、さらにイングランドも棄て難い。F組は、僕らサッカーファンにとっても、まさに死のグループだった。

◆帰り

 ゲーム終了後、利府行きのバスに乗車するため、先ほどの広場に戻った。が、人で大混乱。誘導も不明確でどこが利府行きバスの最終列だかわからない状態である。日本の行政は「行き」でなく「帰り」が最重要課題ということが、いまだに理解できていないようである。

 僕らは今までの経験上乗車まで1時間はかかると考え乗車をあきらめ、国府多賀城行きのバスに乗ろうと試みた。が、この列も統制がとれていない。それどころか、どこ行きのバスの列だかも不明確な状態である。イライラ待つのも面倒くさいので、利府駅まで歩く決断をした。そして列を離れ、駅方面に歩き始めると、意外にも簡単に利府行きバスの停車場に到着してしまった。後ろを見ると長蛇の列だが、バス停の手前で一旦列を区切っている。ここから実は簡単に横入りができるのである。僕らはたまたま、この横入り場所を発見する直前にM氏よりクルマで仙台まで送っていただけるというありがたい申し出を受けていたため、横入りはしなかったが、これでは後ろに並んでいる人がバカみたいである。もう少しなんとかならないもんなのかなぁ。

◆アルゼンチンが消えた夜

 夜はキックラブの方々とビールを飲んだ。途中でウチのN上やSたちも参加して結構楽しい飲み会になった。その飲み屋にスウェーデングループも1組いたため、彼らを交えたドンチャン騒ぎが続いた。
その後、推進委員会のIさんを合流させて飲み会は深夜まで続いた。どの地方に行っても、地元の友人がいるってことがこんなに幸せなものなのか、としみじみ感じた夜であった。

 ところで、僕は仙台のマチをかなり徘徊したが、1人のアルゼンチーナにも会わなかった。彼らは食事もとらずにホテルで泣いているのだろうか・・・。レベルの、そしてワールドカップへの思いの重さの異なりを承知の上で、4年前のリヨンの夜の僕自身を思い出し、何か胸がキューンと詰まる思いがした夜だった。 

 

 

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