ぼくたちのワールドカップ 2002
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6月13日

◆二日酔いと早起き
 どんな旅行でも酒でしめくくらなければ面白くない。今回も昨晩の酒が残ったまま、7.00のバスで空港に向かった。遠征2日目の朝にして、既にボロボロである。バスでとりあえず寝ようと思ったら柱谷の兄貴が乗ってきた。おとーとさんは元気?と声をかけようと思ったがやめた。元気なはずないもんな。

 30分ほどでバスは仙台空港に到着。チェックインしようと思い、空港内に入ったらやたら「青」が多い。フォルツッア・アズーリクラブの面々だということはすぐわかったが、同時にいやーな予感がした。その予感を持ちながら、アズーリクラブの面々を見渡すと、やっぱりいた。あの市会議員A氏である。全身をアズーリ色に染め、ニコニコ笑っていた。こんないい加減なおっさんが市会議員だなんて、仙台市は大丈夫なんだろうか?思わず心配になってしまった。しかし、バッジをはずせば仲の良いアミーゴである。ひとしきりお話しをして一緒に飛行機に乗り込む。尤も、チェックイン時に、地元の人から「センセー、大分ですか」と問い掛けられ、エラソーに答えていた時には、ホントにこの人センセーなんだろうか?と思わず笑ってしまったけど・・・。とりあえず、A氏からフォルツア・アズーリ弁当をせしめた。うまかった。そして飛行機に乗った瞬間爆睡、気が付いたら既に福岡に到着していた。

 福岡空港でトモコさんの実兄リョーイチと待ち合わせ、別府に向かう。そう、今回の観戦はリョーイチ、ヒサト、トモコの強力3トップと一緒なのである。13.00別府鉄輪口の旅館に到着し、早速大分に向かう。1年前の大分駅そばの公園で、音信不通だったA根とチケットゲットできたK山と待ち合わせている。

 鉄輪口のバス停でメヒコカップルと会う。この日始めてのサポーターだ。通りすがりに「ビバ!メヒコ」と声を掛けると、「イェーーー」と言って、ハイタッチ。ガイジンコミュニュケーションは最高の出足である。バスで別府へ、列車で大分へ。そして大分到着の直前、大問題が発覚した。K山のチケット(トモコさんが預かっていた)を旅館に忘れてきたのである・・・。仕方なく大分駅でナガヤマ兄弟と別れ、僕が別府に戻ることとする。そして旅館に戻り、僕は1人で15.30別府発のシャトルバスでサポーターズパークへ。そこで全員集合の手筈とする。

◆メヒコ、メヒコ

 そんな余裕のない工程となってしまったため、途中でサポーターをいじる時間はなかったが、別府駅にも多数のサポーターがいた。そしてその多数は陽気なメキシカンとアズーリのレプリカを着たニホン人であった。

 大分のサポーターパークは多分10会場内で最も優れものだ。もともと何もない場所に完成したショッピングモールを大胆不敵にもそのまま「サポーターズパーク」と名乗っている。したがってオフィシャルなんか関係ないし、店舗等のインフラも充実している。僕が陣取ったのは、某オフィシャルスポンサーのライバルハンバーガー店が通り沿いに出しているベンチである。まずそこにヒサトが到着。遅れてA根とK山が来た。まもなくトモコさんとリョーイチ兄ちゃんも登場し全員集合である。

 ここサポーターズパークも別府駅と同様、陽気なメキシカンとアズーリニホン人がやたら多い。隣に座ったおばちゃんなんか、3重腹にあのぴったりしたアズーリユニを着ているため、背中のTOTTIの横棒が2倍くらいの大きさになっていて滑稽ですらあった。これだけアズーリばっかりだと反感を持つのが人情。僕らは一瞬にしてカンペキなメヒコサポに変身した。

◆何故アズーリなの?

 その店で隣に座っていたマガニャ夫妻と仲良くなり、いろんなことを話し始める。彼らは在米で今回はワールドカップのため約15日間滞在中の品の良い中年ご夫婦である。その会話の中で奥様が、「何故、ハポンはみんなイタリアのユニホームを着ているの?」との質問を受け、僕は答えに窮してしまった。

 そもそも昨日のアルゼンチンユニも含め、ニホン人がワールドカップで他国のユニを着用することは実は98年のフランス大会時から、海外の人には奇異に映っていた。自国が参加するお祭りに何故自国以外の衣装を着用するのか?この行動がガイジンからはどうしても理解できないらしい。例えば、この日で言うならば、青と緑のTシャツを着て、WELCOME JAPANというホスピタリティの意思表示をするならば、まだわかる。しかし、大多数のニホン人は、得意げに10番TOTTIを着ているのである。これは明らかにおかしい行動である。ワールドカップはお祭りであると同じに、世界サッカーの競技の場だ。サポートするのは自国のみ。この頑固な主張があってからこそ、逆に他国サポと共通の理解を所持できるはずではないだろうか?この軽いミーハーさはニホン特有の文化なのだろうか?僕は少し情けない思いをしてしまった。

◆ビバ、メヒコ 

 まだ明るさの残る19.00、我々一行はスタジアムへ向かう。そう言えば、既にビールも10本程度飲んでいて、絶好調である。途中で一緒になるメヒコと大合唱しながら、スタジアムへ。スタジアム外でも、また大合唱。めちゃくちゃ楽しい。リョーイチ兄やヒサトも大ノリ。メヒコばんざーい。

 ゲームは最高の結果(対戦国両方が1次リーグ突破)を迎える。そう言えば、フランス大会においてもメキシコは第3戦で対戦国オランダと一緒にリーグ突破した。メヒコには、どこか人を思いやる気持ちが自然にあるのだろうか。

カテ1でコレ!見えない!! で、勝手に空席に変わっちゃう。

 満足感お腹イッパイで、帰路に着く。すると、メヒコの一人がA根のアズーリTシャツと交換を希望した。A根は6000円で購入したばっかりのアズーリTシャツをいやいや交換していた。ざまーみろ!また歩いていると今度は僕に交換の依頼が・・・。OKアミーゴ!僕はさっさと交換してあげる。だってバーゲンで購入した2モデル前の代表Tシャツ(9番NAKAYAMA)だもん。このために、1900円で2枚買ったんだもん。ラッキー。

 帰路の途中N上がタクシーに並んでいるということで、僕ら夫妻は相乗り、A根、K山はシャトルバスと帰路手法を変更する。どちらもそんなに時間が変わらなく大分駅に到着。しかし、A根達のバスは日本人が3人だけ。あとは全部メヒコですんげー面白かったらしい。うらやましい・・・。
 そして大分駅前もメヒコで大混乱。みんな笑顔で、たまにアズーリも混じり、ニホン人も笑顔で大騒ぎ。ワールドカップを満喫したって感じだった。

◆呑み会

 大分トリニータサポのお仲間K氏が是非ということで、深夜にもかかわらず一緒に飲むこととする。店が結構満席に近く、隣で飲んでいた平塚2人組も巻き込み、宴会が始まる。そのうちボランティア活動の終了したM氏も合流。名古屋のA根、岡山のK山、大分のK氏、ボランティア制服のM氏、そして東京からのN上、僕ら夫妻。平塚2人組が「どんなご関係ですか?」と怪訝な表情で問い合わせてきた。そりゃそうだろう。変だもん。何の繋がりもないもんね。でも説明するのには30分はかかりそうなのでやめた。きっと彼らは未だに疑問だろうなぁ。

 K氏のご指摘のとおり、タクシーに深夜料金免除の交渉をして成立。鉄輪口の旅館に戻ったのは深夜2:00を超えていた。でももったいないので露天風呂に入り就寝。やっぱ疲れたわ。  

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