ぼくたちのワールドカップ 2002
 横浜  決勝戦
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昨晩、ブラジルとドイツサポーターとの友好ツールを夜中まで作っていて寝たのは2時過ぎ、1日10時間の睡眠を糧とする僕にとって、睡眠不足は大敵である。まあ10時間は少しだけ冗談として10時に起床。ありゃりゃ時間がない。いろんなことを急いで準備して13時に家を出る。ちなみに少し悩んだが、やっぱし黄色や白はやめて、19番TAKAHARAのTシャツで外出することとした。

◆ファイナルマッチフェスタ
 まずは桜木町赤レンガのファイナルマッチフェスタへ向かう。14時過ぎに到着。フリーライターのH嬢やT村氏と少しの打合せをして、Y新聞に挨拶ついでに弁当をタダでゲットし、ビールで落ち着く。早速、昨日購入したヘアーカラースプレーで本日のお化粧を開始。大受けでイングランド人がアタマを黄色くしてくれとリクエストしてきた。それから缶バッジやなんかで遊んでいたら既に15時。よっこらしょ、という感じで横国に向かう。

◆ワールドカップだぁ・・・
 16時少し前、新横駅到着。新横はロシア戦の比較にならないほどスゴイ人の数。しかも国籍も着ているユニも多種多様。仲間の連中と少し時間をつぶして、横国の横の公園に向かうため歩道橋を上る。その先も人、人、人、もちろんカナリア色は多いが、駅前と同様人種のるつぼだ。これはどう見ても7万人以上の人々がここに集結している。たしかに"I need tickets"のプラカードも多い。そう言えば、H嬢がブラジル人の大多数はチケットを所持していないと言っていた。このカオス感、喧騒、人種の多様さ、なんか今更ながらこれぞワールドカップだぁ、という感じであった。

 公園に到着し、SP2002を始めようと思ったがやめた。そんな雰囲気じゃない、ここはともかくサポーターと遊ぼう。そして例のプラカードを取り出す、トモコさんは両国国旗を飾ったアフロヘアーカツラ(別名おばさんカツラ)を装着、やっぱり変な夫婦だ。

 N上がこの日のためにとっておいた(らしい)シャンパンをふるまう。(←似合わない)酒盛りの開始だぁ。今日は思い切り騒ぐぞぉーっと。ブラジル人やドイツ人をそこそこいじって遊んでいたら既に19時近くになってしまった。みんなで記念撮影して、いざ”いいちこ”持参でスタジアムへ。

◆1次ゲートから
 このプラカードの効果は絶大だ。こちらから声をかけなくても相手からどんどん寄ってくる。2次ゲートの直前、"Yee!Brazil!"と声を掛けられたので振り返ると、そこにはブラジルとイングランドのサポーターが肩を組んで座っていた。ところが、正面のプラカード(ドイツver)を見たら、"No!"の返事、なるほどイングランドサポは、自分達が負けた相手ブラジルよりもドイツを嫌っているんだな。
ある意味、僕らが負けたトルコを応援する気持ちと同じなのかも知れないが、こんなに明るくドイツを嫌える関係、僕らも明るく韓国を嫌えるようになれたら、どんなに素晴らしいのだろうか。誤審とか嫉妬とか過去の歴史とか、そんなんじゃなくて、純粋なライヴァルとして韓国をみたい、日本人みんながそんな気持ちになったら、きっと日韓関係も日本側から改善できる、そんなことを考えてしまった。

 2次ゲートに入ってもプラカードの効果は大。いろんなサポから声を掛けられる。すると前をサササと歩いているおっさんが目に入った。ありゃ、マリーシアのYさんだ。待ち合わせしたわけではないのに、7万の中のたった1人に出会う。素晴らしいことだ。尤もYさん曰く、「お互いにどこにでも出没する怪しいおっさん」なのかも知れないが・・・。

◆スタジアムへ、そして決勝戦
 自分の席に到着したのは19:30を過ぎていた。というのも、今日の席は"Mid"、あの廊下にある折り畳み椅子である。(なんでこれで84000円じゃ!)よって、目の前で人がたくさん通るのがうざったいと思い、入るのを遅くしたわけである。で、自分の席へ行くとなんと老夫婦が既に座っているではないか。チケットを見せてもらうと、プレステージと記載されており、誤った席に着席していることが判明したので、さっそく席を教えてあげる。「プレステージはもっと良い席ですから、じっくり決勝を観てくださいね。」と言って送り出す。とても良い人になった気分だ。

 ゲーム開始。実はこのMid席は意外と観やすい。前は廊下なんで、前の奴がたってもそんなに気にならないし、また自分が立っていても後ろの迷惑にならない。さて、ゲーム。なんちゅーか、ドイツの「無骨モンガンコフットボール」に感動してしまった。ファンタジーのかけらもなく、大会前はもっとも早く消えて欲しいと思っていたチームのひとつだったけど、あの漂ってくるゲルマン魂はいったい何なのだろう。改めてこういうサッカもある、と認識してしまった。やっぱ、♪足首、太もも、オトコの世界♪だよ。

◆折鶴270万羽
 ゲームが終わった。同時に2002年ワールドカップも終わってしまった。その時、空から折り鶴が舞い降りてきた。ピッチではブラジルの選手たちがはしゃいでいる、一方ドイツは座ったまま立ち上がろうともしない。スタンドは大歓声だ。カフーが勝ち取ったばかりのワールドカップを頭上にあげる。大歓声。いつもTVで観ていた風景が目前にあった。舞い降りる折り鶴は幻想的で、ブラジルをそしてワールドカップを祝福しているように感じた。その光景を見た時、僕は涙が止まらなかった。僕の目には横国の風景を通り越して、このワールドカップを機会として集まった仲間たち、出会った人々、そしてこの6月に出会った愉快な世界のサポーターが見えていた。達成感ではない、まだやろうとしたことの50%も出来ていないから。挫折感でもない、とても楽しい1ケ月だったから。この涙は一体、何だろう?寂しさの中の充実感、そうだ卒業式の涙と何か似ている気がした。今日は2002年ワールドカップの卒業式なんだ。そして2006年への新たな旅立ちなんだ。

 そんなことを感じながら僕はスタジアムにたたづんでいた。目の前では、まだブラジル選手が喜びを爆発させている。ふっとドイツ選手の方を見た。彼らはまだ座り込んだままだ。それが一人そしてまた一人とゆっくりと立ち上がり、ロッカールームに引き上げていく。観衆のほとんどはブラジルの歓喜に魅せられ、それに気がついていない。僕は思い切り拍手した。「君たちも今日の主役なんだ。最高のゲームを見せてくれてありがとう。」という気持ちを込めて。しかし、その拍手はブラジルへの大歓声でかき消され、その他観衆の同調を得ることはできなかった。何か寂しい、もう少し敗者への慈しみがあっても良いのではないか、そんなことを感じていた。その時、横国の大画面に「さよなら、2006年ドイツで」とだけ映された。そこには、ブラジルへの賞賛もドイツへの慰労も、そして共催国への感謝も表されなかった。

 日本人の美徳、それは敗者へのリスペクトではないだろうか。代表がなさけないゲームで終戦をむかえた宮城においては、(僕はこのコトバが安直で嫌いだが)日本全国「感動をありがとう」一色になった。その感謝の意を今晩こそ、ドイツと韓国に送るべきではなかったか。もちろんドイツは素晴らしい決勝戦のグッドルーザーとして、そして韓国はいろんなことがあったが、事故がなく笑顔で終われた主催国のパートナーとして。もしこの場で「ドイチェランド」と「テーハミングック」の大声援が出たとしたら、今までで最高の決勝戦となり得たはずである。自分自身でそれができない無力さと、それをしなかった主催側のセンスのなさから僕は怒りに近い感情をもった。

 「もう帰ろうよ、もう何もないよ、みんな帰り始めてるよ。」僕の怒りの正体を感じて、トモコさんが声をかけてきた。その声に促されて、席を立つ。一体、このワールドカップは僕にとって何だったのだろう。楽しかったのか、素晴らしかったのか、それとも怒るべき対象だったのか、その答えをいつになったら僕自身が消化できるのだろう。この気持ちは4年前のリヨンと同様、おそろしく複雑であった。

 

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