カントクの寝言  必然の「個」  (2002.10.18)
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◆所詮「顔見世興行」
 ZICOジャパンの初戦が10月16日に決定した時、僕は観戦する気がなかった。理由は相手があまり魅力的なチームでないこともあったが、それ以上にW杯や最近ではアジア大会のような「真剣勝負」でないゲームに数千円の価値を見出せなかったからである。そんなわけで、自分でチケット確保の努力を怠っていたのだが、数日前に友人より余ったチケットがあるという連絡を受け、そんなら観戦してみようか程度の不埒な気持ちで国立に向かった。

 国立はマナーが悪かった。ゲーム中に携帯で話している奴、弁当を食っている奴、点をとられた後だけ代表選手を罵倒している奴、どの程度サッカーを知っているのかは知らないが、例えばフランス予選のウズベク戦の時のように観客が一体となってサポートしている張り詰めた雰囲気は皆無であり、いわばW杯時の六本木や道頓堀の喧騒に近いものがあった。

 そんなこんなでゲーム開始前から何となく引いた気持ちになってしまっていたのだが、そんな中ネットのサッカー界では有名なYくんとSくんが僕の方を見て手を振っているのに気が付き、当たり前のことではあるが、サッカーを流行モンでなくちゃんと愛している人も観に来ていることを確認でき不思議にほっとした。

◆黄金の中盤
 ゲームに対する僕の興味は多勢と同様「黄金の中盤」がどんな魔法を見せてくれるか?であった。しかし「顔見世興行」であること、黄金の中盤は欧州から帰国したばかりで万全の体調ではないことから彼らが本気モードになるには、状況的に劣勢になれば良い、すなわちジャマイカの先制点を期待していた。
 
 しかし、何と不遜な考えだろう。わずか数10年前、この国立で日本代表が始めて”プロ”のクラブチーム(パルメイラス)に勝利を収めた時、その数年後同じく国立で釜本の独走シュートで、コヴェントリーに勝った時、僕はここで狂喜乱舞していた。それが今は国際Aマッチで敵国の先制点を期待しているなんて・・・。

 結果はご存知のとおり1−1のドローであった。そして早速世間は早々に騒がしい。曰く「守備が悪い」「中盤だけではサッカーはできない」「トルシエは初戦を1−0で勝った。」云々。確かにそれらの論評のひとつずつは現象面では正しい。しかし、1試合だけで一喜一憂することのヒステリック性の虚しさ及び無駄さを僕たちはフランス予選で学んだのではなかったのだろうか。

◆「個」の表現、「個」の集約
 さて、このゲームの結果に関わらず、ZICOジャパンになって大きく変化したことがある。それはチームコンセプトだ。オフト以降を日本サッカーの近代と定義して各監督を表現するフレーズは、「ディシプリン」「トライアングル」「プレース」「フラット3」等々。全てが組織をテーマとしており、以前から日本代表の特性として言われている「個人では勝てないので組織で勝負」をコンセプトとしていた。しかしZICOは個を重視している。これは大きな違いと言って過言はないであろう。

 トルシエの時代で我々が理解したように、現代サッカーにおいてはチーム戦術はかなりの部分まで成熟してしまい、今後の世界においては戦況を打開するには個人の力が必然となるであろう。W杯のリバウド、カーン、そしてチームとして個人力(精神力)を所持していた韓国(ひょっとしたら審判の個人力かも???)あたりを見れば、チーム戦術クソ食らえとまでは言えないにしても、その上に個人の力を築いていかなければ世界では戦えなくなることは目に見えている。

 すなわちZICOの標榜する「個」とは、スペイン大会のブラジルに戻ったわけではなく、新時代の新しいコンセプトなのではないか。しかしこの考えは、今までの日本サッカーコンセプトとは180度異なるし、また日本という社会においても、「個」の突出は決して好ましいことではない。一体ZICOが「黄金の中盤」という素材を使って、いかに「個」を引き出し魅力的なサッカーを展開するのか、その評価は来年6月の東アジア選手権まで待ったほうが良いのではないだろうか。

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