カントクの寝言  覚年 (2002.12.30)
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 ある国語辞典によると、忘年とは「年の終わりにその年じゅうの苦しみを忘れること。年忘れ。」だそうである。いかにも日本人らしい、あるいは美徳という言い方が正しいかも知れないが、風習である。しかし、僕らにとって2002年は確実に忘れてはいけない年になったのではないだろうか。

 86年メキシコ大会に後1歩とせまった韓国戦、ドーハ、ジョホールバル、そして念願のトゥールーズ、ナント、リヨン、たしかに全てが「忘年」にすべき事項ではないと思う。しかし、あの鈴木のつま先、横浜の勝利、長居の歓喜、宮城の雨は、忘れたくても忘れられない事項である。少し大袈裟かも知れないが、ワールドカップでの我が代表の活躍で、フットボールは日本国内において限られたマニアックな人々のためのスポーツから、ごく普通の会社員が日常的にあいさつの形容として使用する習慣に変化した。この変化の象徴である「道頓堀のダイブ」らが、先達のフットボールファンにとって好ましくないシンボルであることは充分理解できる。しかし、はるか昔JFLの優勝決定戦を国立の記者席下で寝っころがりながら観戦していた(それが出来るほど客が入っていなかった)先達にとっても、このような現象すなわちフットボールが認知されるということは、多種の意味で自分自身がこの国で暮らしやすくなったということの証であり、素直に喜ぶべきであろう。そして「道頓堀のダイブ」の原因が、「あの」日本代表が「あの」ワールドカップで16強に入るという快挙を成し遂げたことを起因としているなんて、これは「夢」以上に夢のような素晴らしい歓喜であろうと考える。将来、日本のフットボールがどんな方向に行き、またどんな歓喜や苦難に遭遇したとしても、この2002年は、それらの度合いを測るものさしとなるであろう。その意味で僕らはこの年を忘年することはできない。

 しかし、いくら熱をいれようと悲しもうと所詮日本代表は、ボク達が自由にできない「片思い」の相手である。けれどもボク達自身が「当事者」になれることが2002年に訪れた。それは開催国ということである。日本代表を自由にできなくとも、世界のサポーターと交流することならば、同時に開催国として彼らを暖かく迎えることならば、ボクらでも充分できる。この、いわゆる特権は開催国の国民にしか享受されない素晴らしいことであったはずだ。たしかに共催という名の分催であるとか、ベッカム様を代表とするフットボールを真摯に愛する人間からは奇異に写る行動もあったかもしれない。だけど、それらをクローズアップせず、ボクら自身が本当にホストとしてお客を迎える態度であったか、それができたのかをしっかりふりかえる必要があるだろう。良かったこと、悪かったことを含めて、まちがいなく忘年してはいけない年であろう。

 さて、忘年にあわせてもうひとつ「良いお年を」というコトバがある。ボクらにとっての「良い年」とは、多種の意味で日本サッカーの発展に他ならないと思う。その発展をジーコの批判もしくは賞賛や、アテネ五輪の一喜一憂のみに委ねてはいけないはずだ。ボクら市民は最低でもワールドカップが開催できる立派な10個のスタジアムを所有した。さらに国内にはワールドカップを契機に多くの芝生スタジアムが完成した。もし、これらを郵貯の施設のように赤字、最後は廃墟としてしまったら、それこそ税金を支払いワールドカップを誘致した日本国民に対する、フットボールを愛するモノの裏切りではないだろうか。

 大きなことを言っているようだが、よーく考えていただければわかるとおり、ボクらにもできることは多種あるはずだ。たとえ小さな一歩であれ、それらを真摯に考え行動していくことこそが、2002年にワールドカップを開催したフットボールファンの義務であり、かつ権利でもあると考える。

 2002年、ボクらにとってこの年は決して忘れてしまってはいけない年だ。だからボクは今年に限り「忘年」というコトバは使用しない。2002年はフットボールを愛する全ての日本人において、覚えておくべき年、すなわち覚年なのである。
  

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