カントクの寝言  愛すべき翁たち (2003.03.25)
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◆激動!開幕戦
 3連休の初日だから渋滞するだろうとは思っていた。横浜発のエコパ行きバスは7am出発だとも知っていた。しかし、インターネットの渋滞予測情報は、どれも東名高速の渋滞はたいしたことがない、と表示されていた。としたら、やっぱり渋滞予測情報を信じるよなぁ。
 ということで、春うららかな3月21日、僕はまったりと8amにクルマで自宅を出発し、エコパに向かった。そして見事にはまってしまったのである。霞ヶ関で首都高速に乗った時から何かクルマが多く、いやな予感がした。そして三軒茶屋でノロっとした速度となった僕の愛車パサートは、遂に厚木を越えるまで20km以上のスピードを出すことは一度たりともなかったのである。厚木超えが11:30、ゲーム開始は14:00、既にゲーム開始前の到着は無理、僕は悟っていた。しかし、その時天の声。「おまえはドーハの悲劇を忘れたか?ジョホールバルを忘れたか?最後の最後まであきらめないこと。それこそが一流のスポーツマンなのだ・・・。」

 そうなんだ、あきらめちゃいけないんだ。厚木を越え、前にいるクルマの数が極端に減った瞬間、僕は右足を地面まで押した。僕のパサートは、その少ない馬力を目一杯にして、ブルブル横ブレしながら150kmを突破していた。そして、奇跡が起こった!なんと12:00ジャストに清水に到着、そこからクルマを捨て東海道線に乗り換えて愛野到着が13:30。キックオフに間に合ってしまった。ガハハハ。

 ところで、Jリーグの開幕戦とは、サッカーファンにとってのお正月。そして”お正月イベント”での最大注目カードは、A3でヘンテコだった昨年の覇者「磐田」VSおかちゃんや久保の加入で、ひょっとしたらの期待が持てる「横浜Fマリノス」。当たり前だが、僕がエコパに行ったのはこのゲーム観戦のためである。
 そしてゲーム・・・、磐田どーしたの?いくら日産プリンスが脅威だからって、山西があそこまでサイドに引っ張られたら、2バックじゃん。せめてプリンスをストップすればよいけど、久保とのコンビで簡単に抜かれる、当然田中マコはそのカヴァーのため、左へズレる。真中が空くから、鈴木が真中カヴァーで、右にポッカリ穴があく。そこを福西がカヴァーできなくて、ドゥトラやら奥やらに簡単に突破されちゃう。これじゃ点をとられるよ。攻撃だって、名波が全然輝いていないから、怖くないんだよね。ということで2−4。同行したジュビババ(奥さん)は、超不機嫌だった。

◆これでオシマイじゃない
 当然、エコパまで遠征したら泊まって、うまいもの。これ、僕ら夫婦の鉄則。で、今回は清水在住のサッカー友人M氏と一緒に、サッカーを肴に飲む、という予定を立案していた僕らは、愛野から清水へ東海道線で戻った。(ところで、愛野駅は南口だけじゃないのだよ。何を言いたいかはナイショ。自分で確かめてね。)
 太刀魚の刺身がうまかった。酒もたらふく飲んだ。Mさんともたくさん話せた。そして酔っ払いの一夜は瞬く間に明けていった。(Mさんの同行者の方は、奥さんの高校の後輩であった。こんな所で鹿児島のローカルな話題がでるなんて・・・。Mさんと僕は唖然としていた。)

◆J−ステップ
 翌日、僕らはJ−ステップに向かった。Jビレッジで合宿をした経験のある(じまーん)我がチームではあるが、噂のJ−ステップはカントク(オイラね)自体が行ったことがなかったので、一度見学してみたかった。そして・・・。
 噂には聞いていたが、その芝生は素晴らしかった。確実にJビレッジ以上であろう、っていうか横国にも負けていない気がする。そのピッチが2面あり、カフェテラスとかもきれいで、最高であった。是非、ここでtokiokasの合宿をしてみたいもんだ。でも土日はいっぱいだった。

 この日J−ステップでは、オーバー60のゲームを行っていた。これが感激。何てったって、0−60のじいさん達だよ、それが全国から12チーム集合して2日にわたる大会を行っているのである。まず、この年になってサッカーの現役であるということに感激、さらに子供のように一生懸命に走っていることに感激、それよりも何よりも下手クソ(じいさん達、ごめんね)なことに大感激だった。何故、技術がないことに感激だったのか、その理由を少し語りたい。

ロシア仕様のダルマ カフェテラス 極上芝生

 そもそも、60歳超の方々がチームを結成してサッカーをやっているというのはどうゆうことなのか?普通に考えれば、高校や大学のOBであり、要は昔は大選手だった人たちと考えるだろう。そうでなければ、なかなか11人のチームを揃え、さらに練習をこなすという環境に恵まれないはずである。また言い換えれば、このようなOBチームはある意味閉鎖的な社会であり、チームとしての発展性は、その社会から飛び出しては考えられない。そしてこのような方々だとしたら、プレーが上手なはずである。しかし、この日参加していたその中でも特に地元清水のチームは、下手くそだった。サッカーどころの清水のチームが下手、これはどういうわけなんだろうか?ここで昨晩のM氏の話を思い出した。

 「全国から集まったチームに勝てるわけないんですよ。だって清水のメンバーの大半は30歳過ぎてから、サッカーを始めたのです。それが大学のOBやなんかとゲームするというのですから・・・」

 つまり、もともと選手ではなく、例えばたまたま子供がサッカーをやっていた父兄等が集まって、自分達もサッカーを始めた。そんな集団がいつのまにかチームになり、そして歴史が刻まれこの大会に参加しているわけである。まさに基盤も技術も持たない、マチの素人おやじがいつのまにか、ちゃんとしたチームに、そしてサッカーを通した社会にと発展してきたのであろう。「いつのまに」とは記載したが、そこには多くの苦難もあったであろう。そんなチームがJ−Stepの桧舞台で真剣にボールを追っている。僕はその光景の裏にスポーツへの理解への偉大な歴史を感じ、感動してしまったのである。

 きっとこのおじいさん達は、22日の晩にその日の”珍”プレーを肴にして大盛り上がりしただろう。こんな愛すべきじいさん達と清水の環境に乾杯!

◆エスパルスドリームプラザ
 その後、僕らはエスパルスドリームプラザで寿司を食って、サッカーミュージアムをみて帰京した。そして翌日3連休の最終日は、朝から横浜でサッカー関連の打合せとフットサルを若者と行って、月曜日のカラダはボロボロだった。こんな40代でホントに良いのだろうか・・・。その不安がますます増大してくる今日この頃である。オシマイ。

エスパルス選手のスパイク 清水商業のユニまで展示
最後はパルちゃん

 

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