カントクの寝言  koreaとcorea (2003.04.18)
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◆立つべきか、座るべきか、そんなのがモンダイかぁ?

 18:00スタンド入り、僕の席はアウェイ2Fゴール裏でJサポ達のすぐ後ろである。普段はサッカーをヨコから観ている僕にとって、タテからと同時に応援するサポの真中の席というのは、初めての経験である。そして当然立って、応援するつもりでいた。
 J−NET等では、いまだに「立て」だの「座れ」だの騒がしい議論とは言えない言い合いが継続しているらしいが、こんなの簡単で「郷に入れば郷に従え」しかありえない。すなわち、周囲が座って観戦している場所で立っていたら周囲に迷惑なわけだし、周囲が立って大きな声を出している所で座っていたら白けてしまう。前者でどうしても立ちたいなら、後席の人に迷惑をかけない場所に移動すれば良いわけだし、後者で座りたいならばゴール裏のド真中から少しヨコに移動するだけで良い。例え指定席であろうが何であろうが、周囲の空気も察せず自分の主義主張を貫くのは単なる自分勝手以外の何者でもないと思う。

 さて、前述のとおり、僕の席はド真中。よって立って声を出すことは決めていた。しかし、それらの行動はあくまでJサポ達のサポートであり、自分自身が一生懸命応援する、という姿勢とは少しだけ異なっていたつもりだ。だからこそ、応援の本当の中核から少し離れた場所にいた。

 君が代、そしてゲーム開始。熱狂は最高潮。会場は真っ赤、そしてテーハミングクの大コール。その中で、先ほどからJサポの連中を始めとした「応援団」が必死の声援を行っている。人数が少ないのを瞬時に状況把握し、できるだけ狭い場所に多くの人数を集結させて、10人の声が1人の10倍以上の効果を出すよう工夫する、同時に出来るだけ座って観戦する人たちに迷惑をかけないような配慮。そして何よりも自分達の声が応援が、代表のサポートになると信じて疑わないピュアな心、そして態度。僕は次第に彼らのマナーとパワーに圧倒され始めてきた。そしてサポーターのサポート等というおこがましい考えはいつのまにか消え去り、本気で声を出し本気で応援をしていた。

 というわけで、応援しながらゲーム観戦に集中できるほど器用でない僕はどんなゲームだったかを記載できないでいる。(笑)但し、翌日の新聞にあるように単純にシュート本数だけで、韓国が圧倒的に攻めていた、というのはどう考えても正しくはない。前半、イチョンスのシュートがポストに当たるまでの30分間は日本の方が良いカタチをつくっていたし、後半も大半の時間は日本ペースだったと思う。韓国の攻撃は、イチョンスとアンジョンファン以外は怖さを感じなく、逆に山下には可能性を感じたし、福西、中田浩のボランチにはアルゼンチン戦でも実証されている安定感があった。秋田、森岡にやや不安定さは感じたが、全体的には6:4で日本のペースだったと感じるんだけどねぇ。

◆青い歓喜、そしてほんのわずかなカオス

 時間は90分を過ぎ、ロスタイムに入る。日本DFはまあ安定している。この時、1点を取れ、と念じたサポーターが何人いただろう。おそらくはロスタイムの失点を防ぐことだけを念じていたサポが99%なのではないか。もちろん僕もその99%の一人であった。

 92分、奥から永井にパスが通る。ドリブルで1人を抜きペナルティー内に突入する。しかしいまだDFは前に2人いる。簡単に取られてのカウンターだけは避けたい、僕がそんなことを思っていたまさにその時、ボールが変な軌道をとる、フンワカと風船のように上がったボールは何故か韓国ゴール方向にゆっくりと放物線を描く。
「えっ?入るの?あれ、入ったよ。入っちゃたよ!」
おかしな動きだったため、何かファールでもあったのかな、と思い副審を見る。なんと、副審はセンターラインに向かって走っている。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁー、入ったぁぁぁぁ、#△$■%○&▽*」
 それからのことは覚えていない。ともかく誰彼なく、もちろん老若男女の区別なく、熱い抱擁とわけのわからない叫び声。こんな気持ちはW杯のvsロシア戦以来だった。その時、僕はどういうわけか自分の席から2列前にいた。一体どうやって、飛び降りたのだろうか?

◆至福の晩餐

 僕らは至福の興奮をもってスタジアムの外に出た。そしてそこでもあり得ない光景に出会う。あんなショックな敗戦後であっても、いまだに写真を撮ったりマフラー交換等を行っている若者が多数いるのだ。そんなやさしい光景を見ながら、バスにむかう。そして前述のとおりバスはフラストレーションが溜まるような渋滞もなく、次の目的地骨付きカルビ屋に向かう。代理店のSさんの計らいで実現した祝勝会である。
「今日の勝利は当然と思っていましたぁー」
「だから全然うれしくないでーす。」と満面の笑顔。
一同わぁー!ぎゃぁー!ごぇー!
「みんなで2006年ドイツに行けることを祈願してカンパーイ」
ぎゃぁー、わぁぁー、ドピョーン、がちゃーん。
 僕の乾杯音頭で始まった祝勝会はこうしてスタートから大盛り上りとなり、その後も含めて宴会は午前3時まで続いた。最高に幸せな宴会だった。こんなことができるなら、またツアーに参加しても良いかな、なんて思った夜であった。
 翌日6時起床で、帰国。当然前の晩の酒の残っていた僕は、自宅に帰りつくまで眠り放しであったのは言うまでもない。

◆おまけ

 帰宅して僕は即VTRをチェックした。ゲームを振り返るわけではない。問題は僕が映っていないかどうかだ。あんなウソをついて会社を休んでいるので、もし映っていたらクビもんなのである。VTR内でカメラがサポ席をパンする。げぇ!サポ席2Fが映っている。前述の白浜オヤジがド真中に映っている。そして僕は・・・。足だけが映っていた。助かった。(笑)
VTRチェック後に、僕は会社に電話を入れた。
「もしもし、只今鹿児島から自宅に戻りました。これから会社に向かいます。」
サラリーマンは気楽な稼業なのか、そうでないのか、結構問題提起した遠征であったような気がした。
オシマイ。

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