カントクの寝言   (2003.06.02)
  home 

◆4.16とは全ての状況が一変していた。

 4月16日とは全ての状況が一変していた。W杯共催後、初の日韓戦であった4.16は迎える側(韓国)はチームもサポーターも国民も「歓待」の気持ちが強かった。おそらくBEST4vsBEST16の優越感が余裕になり、あのような「ゆるい」日韓戦になったのであろう。しかし、そのゲームで韓国はホームでありながら屈辱に散る。そして迎えた5月31日。先制パンチは、KFAのいちゃもんから始まった。(詳細省く、但し正当な抗議でなく、”いちゃもん”であるのは疑う余地なし。)この段階で我々は気づくべきであった。今回の韓国は4.16とは全く別の国であることを。

 異なる国に変貌した背景は(韓国側にとって)4.16での敗戦が国民感情に火をつけたことと同時に、代表チームにおいてもW杯後3試合連続無得点、未勝利という危機感が漂っていたことも要因である。つまり代表にとってもサポーターにとっても5.31は絶対に負けることのできない背水の陣だったわけである。

 一方日本側はどうだったか?マスコミは相変わらず日韓友好を唱え、W杯1周年を楽しく回想した。蛇足であるが、この「楽しい回想」が敗戦前だけでなく、翌日の報道でも継続されていたことに驚き以前のおバカなナイーヴさを感じるのは僕だけだろうか・・・。同時に代表チームもコンフェデ杯の事前準備とした位置付けの単なるフレンドリィーマッチであった。

◆サポーターはどうだったのか

 サポーターと言ってもひとくくりにはできない。そこで当日の僕自身を振り返ってみることにする。”日韓戦”そのコトバの響きだけで、僕は胸の奥にズシーンとした重いものを抱える。1972年国立の第1回定期戦以降何回も観戦してきたこのゲームは、僕にとって特別な意味を持つのである。しかし、当日の僕は正直言っていつもの日韓戦前の僕ではなかったようだ。やはりソウルでの快勝やW杯共催がアタマの片隅に存在し、またW杯の訪韓時やソウル日韓戦での非常に礼儀正しくかつフレンドリーであった韓国サポへの少しのリスペクトもあり、今(ゲーム2晩後)考えると「お互い頑張ろうゼ!」的な気持ちがあったような気がする。そんな「ゆるい」気持ちで国立に向かった僕は、スタンドに入った瞬間衝撃を受けるのである。アウェイ側ゴール横に陣取ったピンクの集団から”テーハミング”の大きな声、我が物顔に”テーハミング”だの”オー コリィア”だのと歌いながら、国立のコンコースを闊歩するピンクの若者。これはどこのホームなのか!僕は4.16以上に韓国の圧力を感じてしまった。

 4.16では友人に見えたピンクがうざい色に見え始め、同日友情にも感じた”テーハミング”が暴走族の騒音に聞こえるようになるのに時間はかからなかった。奴らがその気ならこっちもやる!徹底的に返り討ちにして2度と立ち上がれないようにしてやる、そんな気持ちに変わるのに多くの時間は必要がなかった。

 しかし・・・・・、である。前述のとおり僕はゲーム開始数時間前まで”ゆるい”人間であった。そして実は多くの日本サポがそうだったのではないかと感じる。それに対して敵はおそらく来日以前より目を吊り上げていたのであろう。その気持ちの差が結果に多少の影響を与えたのではないだろうか。もしも国立がフランス大会予選のウズベク戦のような雰囲気であったとしたら、サポーター各々が用意周到にこの日を迎えていたら、結果は変わったのではないだろうか。

 僕はサポーターが試合の結果を変えるほど影響のあるモノだとは思っていない。しかし、この日国立に集まったサッカーファンは、当たり前のことだがサッカーが好きな人々である。その人達が”ゆるい”ということは、日本国民がもしくは日本代表が、またJFAが”ゆるかった”ということに、結果として通じるような気がする。もちろん、サポーターの全てが僕のように”ゆるかった”とは思わないが、マジョリティはどこかで甘さを所持していたのではないだろうか。

ゲーム前夜国立前で アワビを貰ったオヤジとパチリ

◆2晩越えて冷静に

○「ジーコの評価」
 実力伯仲のサッカーゲームにおいては、拮抗した得点差となるのが必然であるが、それでもたまには大差がつく場合がある。例を出せば99年9月に日本五輪代表が4−1で韓国をやぶったようにである。しかし当日のゲームにおいては韓国が4−0で勝つ可能性は万が一程度はあったが、その逆の可能性は全くなかったと言ってよい。すなわち日本は完敗だった。監督自ら「韓国戦は内容より結果」と述べたに関わらず、可能性がゼロに等しいゲームを実施したジーコの責任は重大である。

 しかしながら4年前の日本代表はどうだったのか?この時期は、コパアメリカで惨敗しチームが崩壊した時である。もちろん前任者への批判も嵐のようであったが、前任者は結局BEST16という成績を残した。今、秋田や名良橋で大丈夫か?という意見も多数あるが、コパの2topは呂比須と城であった。この2人が2002年に出場していないように、今の時点で秋田、名良橋を論じるのには多少無理があると感じる。

 但し、当時のトルシエには既にワールドユース準優勝という勲章があった。ジーコにそれはない。トルシエはこの時期若手と0−23を別々なチームとして鍛えていたが、ジーコは既にU−23を代表に合流させている。と考えるとチームの「のびしろ」はどちらに可能性があるのだろうか。答えは明白だが、文字にするのが怖い。ただ、本当の真剣勝負をまだ実施していない今のジーコ評価を決定するのは、時期早尚であろう。それだけに真剣勝負(本来ならば東アジアであったが、仕方が無いのでコンフェデ)での”ノルマ”を明白にすることは、絶対に必要であると感じる。

○「マスコミ」
 困ったもんである。韓国マスコミは「反日」を煽り、日本マスコミは「迎合」を唱える。そしてそのどちらも過剰であり、真の日韓一般市民同士の関係を伝えていない。本来の正常な日韓関係とは何か。以前も引用したが、尊敬する友人である宇都宮徹壱氏の文章を再度掲載させていただく。

隣国とは、果たしてどのような存在か。
政治の世界とフットボールの世界とでは、そのニュアンスが大きく異なるように思える。(一部略)
 さて、フットボールの世界ではどうか。
 簡単だ、隣国とは、常に「打倒すべき存在」である。
 イングランドとスコットランド。ドイツとオランダ。ブラジルとアルゼンチン。いずれもしのぎを削りあうライヴァル同士であり、互いに切磋琢磨しながら、これまで数々の名勝負を繰り返してきた。
 これまで両国の闘いは「不幸な過去」に引きずられた政治的言語ばかりが周囲で語られ、選手やサポーターの純粋な闘争心に水を差されていたように思える。
 「2002年日韓共催」。大いに結構なことだと思う。「パートナーシップ」とか「手に手を携えて」といった耳障りのよいフレーズは、しかし極めて政治的な言語であり、フットボールにはそぐわない。
 韓国とは、ニッポンがまず最初に倒すべき強力なライヴァルである。この事実は、21世紀になっても絶対に変らない。その事実と「2002年のパートナー」という現実を、フットボールファンは混同すべきではない。
(「サポーター新世紀」 宇都宮徹壱著 勁草書房 より引用)

 ただ一般市民にもオカド違いの団体も存在した。言わずと知れた「○●クラブ(仮名)」である。友好の証に例えば日本vsトルコを、もしくは韓国vsドイツを一緒に応援することに異を唱える気はない。百歩譲って日韓戦でも勝手に集まって両国を応援するならば、それは観戦者の勝手だから許そう。しかし友好の証を前面に出し、バックスタンド中央最前列の席(この席はまちがいなく協会枠もしくはスポンサー枠である)を何らかの優遇処置で確保し、場違いな応援を行う輩を僕は許せない。彼らの行為は純粋な「競技=勝負」である日韓戦を、もしくはスポーツ全体を愚弄するだけでなく、スポーツを理解しない彼らが観戦することにおいて、多くの純粋なサッカー好きがチケットを確保できなかったのである。おそらくゲーム後この席においては、何もわからない青が「おめでとう」、何も考えていないピンクが「ありがとう」という薄ら寒い光景が頻繁にあったことであろう。

◆最後に
 感情のおもむくままに言えば「ジーコやめろ!」である。しかしたった1試合の結果で喜怒哀楽を表することが愚かであることは、過去の苦しい戦いで充分に学んだつもりである。だから今日はやめろとは言わない。でも、何かひとつで良いから、少しだけでよいから、一筋の光明を、未来への希望を早く与えて欲しい。そうでないと、もうすぐ爆発しそうな予感がする。

  home 
SEO [PR] 転職支援 冷え対策 オリンピック 掲示板 レンタルサーバー SEO