カントクの寝言  「原点回帰」 (2004.4.25)
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  2004年4月24日、僕は国立でサッカーの原点に戻った。真面目に、真摯に、そして熱くプレーする選手、そして選手と同化して後押しするサポーター、全てが一体化するスタジアム・・・、それは最近の日本代表戦ではみられない真面目で、真摯で、熱い光景であった。


◆屈辱

 その日、日本女子代表はアテネ五輪の切符をかけ格上の北朝鮮と戦った。さらに相手は実力が上というだけでなく、あの「北朝鮮」であり、決戦場所は「国立」。となると、古くからのサッカーファンは89年6月4日のイタリアW杯1次予選を思い出さざるを得ない。その日とはゲームの結果(日本が勝った!)以上に、国立が日本のHomeでありながらAway化してしまった屈辱の日だった。スタンドは総連が動員した在日の北サポーターで埋め尽くされたのである。

 その北朝鮮が相手。僕は89年の屈辱にのしをつけてテポドンに乗っけてお返しするために国立へ出向いた。正直に告白しよう。僕は日本女子が北朝鮮に勝てるなんて微塵も期待していなかった。ゲームに負けてもサポートは勝つ、言い換えれば自分の屈辱の復讐を果たす、そのために周囲の日本サポーターをも巻き込む。そんな今の女子代表チームにも、また多くの若い観客、サポーターにも一切関係のないことが僕の目的であった。

 
◆復讐

 17:30千駄ヶ谷門に到着し、友人を待っていると、デカイ日の丸を背負った89年戦士であるマリーシアのIくんに出会う。渋谷駅で警官に「それ(=日の丸)はサッカー応援用ですよね?」と職務質問を受けたらしい。たしかに相手が相手だけに警察も政治的な警戒もしているらしく、国立の警備も普段以上に厳重であった。
 18:30バックスタンド21ゲート後段に到着。Away側で8000人程度の赤集団がセンスのない耳障りなブラスバンド応援を始めている。僕の心にスイッチが入る。

 国歌斉唱。ここで僕はある仕掛けを考えていた。北朝鮮の国歌が始まる。場内がシーンとする。その瞬間、ビールカップの底をくりぬいたメガホンを口に当て、大きなクシャミをした。
「ハーハーハーックション」その音はシーンとした場内に響き、笑いを誘う。まずは成功。

 第2の仕掛け。国歌が終わりそうでまだ終わらない「間」の段階で拍手をする。狙いは周囲の北朝鮮国歌を知らない日本観客がつられて拍手をして、国歌の終盤を台無しにする予定だった。「パチパチパチ」大きな拍手をする。が、その瞬間なんとAway側から大きな拍手がおこる。
 「しまった!本当にナイスタイミングで拍手をしてしまった!」僕は思う。が、しかしまだ国歌は歌われている。
 「まさか、北朝鮮のサポーターがまちがえた?」んなことはないと思うが、国歌が終わる前に、そして僕が拍手をした直後にAway側から拍手が出たのは事実。ひょっとしたら、僕は彼らに大きな屈辱を味合わせたのかもしれない。なんて、一人で悦に入っていた。

 こうして僕のささやかな復讐は終わる。後は、敗れたけれどもよく戦った大和撫子達に暖かい拍手を送ってあげようというシナリオを勝手に考え、席についたのである。


◆原点回帰〜選手達〜

 ゲームが始まる。え?ナニ?、どうみても日本のほうが押している。気持ちが入っていて、かつクールに戦っているのがわかる。一方、相手方はひざが突っ立ち気味で動きが悪い。北は思ったほど強くないのかも、と思い始めるがゲームは序盤の序盤。いずれ落ち着いた北が押し返してくるだろうと想像していた。

 矢先、前半11分に相手DFミスをつきなんと荒川が先制ゴール。「早い、早すぎる、これで北朝鮮の猛攻が始まる。」と僕は思うが、ゲーム支配はその後も日本、そして相手オウンゴール、見事なセットプレーで遂に日本は3−0の完勝でアテネ行きを決定してしまった。

 何故ここまで見事な勝利を演出できたのか。一言で言えば僕は「個々の気持ちをベースとしたチーム力」が見事だったと考える。磯崎、下小鶴の堅固なCDFと相手FWをマークしながらCDFをフォローするボランチ宮本の連携の素晴らしさ。川上、矢野、両SDFのタイミングの良いオーバーラップ、つるべの連携、沢のキラーパスを助け、かつ前線からチェックをする山本、酒井の献身的な動き、そして常にゴールを狙う荒川、大谷の2トップ。その全てが有機的に繋がり、ひとつのチームとして成立しているのだ。そしてチーム成立の基盤としてアテネに行きたい!という選手個々の強く、同一の気持ちが遠い観客席にも伝わってくるのだ。

 思えば、フランスW杯前の日本(男子)も、結果の成否は別にしてこの強く、同一の気持ちがあったと思う。もちろん気持ちだけで世界を制することは出来ず、今の男子代表はそれ以上のレベルで格闘しているのだとは思う。しかしどんなレベルであれ、この強くかつ同一の気持ちの所持はチームスポーツに不可欠なものではないだろうか。そして今の男子代表は少しその部分を忘れているのではないだろうか。違うのかも知れない。しかし、技術やスピードの格差があったとしても、この日の国立はオマーン戦やシンガポール戦の「レベルの高い戦い」よりもまちがいなくサポーターやファンの同調を得たという事実である。


◆原点回帰〜サポーター〜

 サポーターってなんだ?という深い議論をここでする気はない。ただ、浅い部分で言えば、サポーターとは(その形態は個々で異なるにしても)自分のお気に入りのチームを応援する人達であろう。さらに、同じ場所で同じチームを応援するならば、同じスタンスでの応援が迫力があり、サポートになるということも多分反対する人はいないのではないだろうか。

 その昔、バックスタンドで狂会のみなさんが応援していた時は、この雰囲気であったし、それがゴール裏に移ってもフランス予選あたりまではその雰囲気は継続していた。それが新しいファンが数多く生まれ、サッカー日本代表がメジャーな巨大産業となるに従い、観客席の同化という雰囲気は日本のスタジアムから消えていったような気がする。

 その雰囲気が復活したのだ。サポーターが両(Home&Away)ゴール裏に分かれていなかったのが要因のひとつなのかも知れないが、いずれにしてもこんなに一体化したスタジアムを見たのは本当に久しぶりだった。誤解してほしくないのは、僕は声がそろっていることだけが「一体化」だとは思っていない。それも大事かも知れないが、(といいながら僕はそんなに重要とは思っていない)「勝たせたい」「一緒に戦う」という気持ちがどれだけ揃うかが、一体化の雰囲気を出す重要な要素だと感じる。
 
 これも事例とすることがとても悲しいが、最近の男子代表戦では「勝たせたい」という気持ちを強く持たず、選手を見に来る、自分のパフォーマンスを見せたいというコンサート系のノリが多いような人々が少なからずいる。しかし、この日の国立はまさに一体化だった。

あそことあそこが呉越同舟


◆原点回帰〜サッカーの楽しさ〜

 ゲームへの、もしくは日本女子代表のアテネ出場への期待、ではなく僕の国立行きの最大の目的は、北朝鮮への復讐、揶揄だったことは前述した。しかし、いつの間にか僕はゲーム自体にハマり、女子代表のアテネ決定に歓喜した。その気持ちの変化は、ピッチ上のそしてスタンドの真面目で、真摯で、熱い戦いに感動を感じたからだ。そしてこの感動こそがサッカーの楽しさなのだと改めて感じた。

 もう一度男子代表を振り返る。僕らは、僕ら自身が日本代表に過度の期待をし、弱い(と思われる)相手との対戦の際に、結果はおいてもっと上手く出来るはずだ、もっとやれるはずだ、と不遜な気持ちを所持していないか?代表がどんなにふがいない戦いをしてもずっと信じてサポートしていたフランス予選のような気持ちを、まずは僕らが思い出すべきではないか?そんなところから少しずつ今の代表の硬直的な雰囲気が変えられるのではないだろうか。

 女子代表のビクトリーランを見ながら、僕はそんなことを思っていた。と同時に悪魔の僕の心は「上田さん、オトコもよろしく!」と囁いてはいたが・・・。

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