カントクの寝言  road to germany 第3章「蚊帳の外」 (2004.6.10)
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■そして当日が来た

 あのシンガポール戦で激怒してから、オイラはジーコの代表に冷めていたため、インド戦に行くつもりはなかった。しかし人間とは気が変わる動物であり、オイラ自身もそういう経験を何回もしているため、一応チケットは抑えておこうと思い、ファミマの先行販売に申し込んだし、JFAの抽選にも参加した。が、落ちた・・・。その時、オイラは「あー、神様はちゃんと見ているな。チケットは本当に行きたいと思う人に当たるようになっているんだなぁ。」と他人事のように感心した。

 上記チケットが完売になってからも、オイラのもとには数人からチケット余っています、との連絡が入った。しかしそもそも行く気のないオイラであったため当然断るという日々を過ごしていた。そして、アイスランド戦、イングランド戦が終わり、なんだか日本代表が少しずつ息を吹き返してくるような気配とともに、オイラはほんのわずかではあるがインド戦に行かないことを後悔し始めていた。いや、後悔ではない、何故ならもしこの時チケットがあると言われても、インド戦というゲームはともかく、あの忌まわしいサイスタに平日夜に行くことに難儀を感じたはずだ。

 とにもかくにも、TV観戦を決定し平穏にゲームの週である6月7日をむかえた。その夕方、某友人からカテ4が1枚余っているとの連絡がある。その段階で「ほんのわずか」な後悔が「少しの」後悔に変化したオイラだがやっぱし断ることにして、友人に断りのメールを送信した。しかしその送信と同時に受信したメールで2件の「チケットあるよぉ」が、さらに翌8日午前にももう1通のお誘いメールが。ここまで誘われると、もともと何の興味もないイベントにいやいや付き合うわけじゃないので、心は揺れる。しかしこの時でさえ、何故か「オイラは行ってはいけないんだ!」という気持ちが脳内を支配していた。しかし同じ脳内には、結局サイスタにいるという自分が映っていたのも事実である。

 8日夜、遂にサイスタ行きをものすごく遅まきながら決定したオイラはパソコンにむかう。対象はヤフオクだ。うまく対処すれば定価で買えそうであった。が、しかしこの対応もわずか2時間後に「今更何言ってるの。ポルトガルも行くのよ。お金ありません。」というトモコさんの一言で玉砕。結局、友人達が屋台村で楽しそうに歓談しているのを想像しながらのTV観戦となってしまった。

 もうこんな思いはイヤだ。ヘンテコな理屈はいらない。変な頑固さもいらない。やっぱし生観戦に優るものはない。セルビア・モンテネグロ戦必ずいぐぅ。


ということで、ここからは番外編。

■持つものと持たざるもの

 2002年でW杯ベスト16に入り、多くの選手が海外で活躍している今の日本代表にとって、オマーン戦の1−0は確かに情けなかったし、またまだ世界を視野に入れられなかった時代からの日本代表の実力と比較してもシンガポール戦の2−1は呆れた結果であった。しかし、それらの経緯を充分に把握したうえでも今回の7−0には100%の敬意を表したい。逆に7−0の結果後においても未だに素直に喜べない人々には一言苦言を付け加えたい。あなたたちはいつからそんなに偉くなったのですか?と。

 まずインドというチームは決して弱小ではない。オヤジ話しで恐縮だが、インド戦で思い出すのは70年のバンコクアジア大会。快速ウイング高田一美のデビューとなったこの大会で日本はインドに1−0で勝利し、ベスト4進出を決定し、SFで韓国に延長負けした後の3位決定戦でまたインドと対戦。0−1で敗れメダルを逃したのである。

 もちろんそれから30余年が経過しているわけで、その間には多くの出来事があり日本サッカーが飛躍的に成長したのは事実であり、当時比較においてインドに7−0での勝利は快挙だと言うつもりはさらさらない。ただ、我々はどうもW杯のベスト16という出来すぎた結果にのみとらわれ、それ以前の苦楽を忘却し少し不遜になってしまっているのではないか、少し我が代表の力を過信しているのではないか、と問いたいのだ。

 人間は欲を持つ動物だ。いや、これは非難や揶揄ではなく、言い換えれば「より高く、より遠く」という上昇志向という感性を所持する優れた動物という意味であり、サッカー日本代表が次の目標としてW杯ベスト8を目指すのは当然のことだと思う。しかし、前回のベスト16が自国開催という特殊な環境下で実施された大会であり、それ以前のW杯予選は1回しか突破しておらず、しかもその突破は筆舌に尽くしがたい苦労を伴った後の大歓喜だった。つまり、楽勝の予選突破なんてものを日本は一度も経験したことがないわけであり、そのことを忘れてはいけないと思うのである。

 昨晩のゲームに戻ろう。たしかに久保の得点は”スーパー”であり、あのボレーで口火を切らなければ、シンガポール戦の2の枚になった可能性もある。それ以前にビッグなチャンスを外し、相変わらずの決定力不足とも言える。またアレックスや俊輔の「こねくり回し」が再発してしまったという見方もある。しかし、それらを全部踏まえて7−0という結果があることを忘れてはいけないと思うのだ。

 また今まで懸念されていたジーコ采配も、海外組、国内組とか言われる差別なくベストと思われるスタメンを起用し、4−4−2に固執することもなく、3−0で始まった後半開始時に、ケガが懸念される久保を外すと同時に勝っている状況下でその他は動かず、その後の交代もシステム変更、小野の疲労回復等充分意味のある交代だったと思う。

 とは言え、僕は決してジーコを容認しているわけではない。今の日本代表のポテンシャルはまともな監督であれば、もっと発揮できるはずだとも思う。しかし、それはそれとして7−0に対し、ヘンテコな批判をするのではなく、93年タイ戦のカズのゴールに、そして97年ウズベクの城のゴールに歓喜したように昨晩の結果を僕らはもっと素直に喜ぶべきだと思う。その喜び、喜びを伴う素直な期待感がきっと日本代表の力になると思うのである。決戦は10月13日だ。


■後述

 本当に喜んでいいのだろうか?いまいち不安だ。いくら理屈は理屈だとわかっていても、あのベルギー、ロシア、チュニジアとの素晴らしい戦いは僕らの脳裏から消えることはない。そしてそれ以上を望む期待感をわかっていても持ってしまう。やっぱしW杯は麻薬である。 

■おまけ

 行けなかったのが悔しいんで、写真はTVから撮った。全部得点の場面だぞっと。

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