カントクの寝言  road to germany 第4章「問答無用」 (2004.9.9)
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■停電

 前半をきっちり45分行いハーフタイムになった瞬間に計ったように「見事な」停電。そしてFIFAのレギュレーションは調べていないが、45分後までに再開できなければ中止、再開後後半15分でゲーム成立、とまるで「また」停電があることを察知したようなシリアレフェリー陣の付け焼刃な決定。何事もなかったように停電の中をピッチに出てくるインド選手。

 やられた!この停電はシナリオだ。後半開始直後にインドは猛攻をしかけ、15分を経過したらまた停電して強引に1−1の引き分けでゲームを成立させるのだ。シリアレフェリー陣とインド協会にオイルマネーが・・・。と思っていたら、後半開始してもインドは専守防衛。要は停電は普通の(?)不測事態だったようだ。

 人間、素直にならなければいけない。と、反省し昨晩の日本代表について再考する。


■ジーコマジック?

 4−0での勝利。これをどう見るか。次のオマーン戦でもし1点差敗退すれば、得失点差でもオマーンに抜かれる、だからもう1点欲しかった。前半の拙攻がもどかしい。いや、4点もとったのだから見事な勝利だ、そもそも「勝った」ことが重要である等々、いろんな意見があるだろう。そしてオイラはその全てに賛成なのである。言い換えれば、自分の「かっちり」した意見を持てないのである。その原因はもちろんジーコに起因する。

 ジーコのサッカーは既に語り尽くされているのでここには記載しない。ただ一ファンとすれば、いつもいつも試合後に何かしらの欲求不満が残る、咽奥に骨が引っかかったような気分にさせられる。だから、「(具体的な意見、要求を含めて)(また対象がジーコの場合もJFAの場合もあるが)何とかしろ!」と叫ぶのである。

 しかし一方我々ファンもしくはサポーターの願いは、日本代表が常勝チームになること、であることは反論の余地がないだろう。そしてジーコジャパンは「結果」を出している。すなわち、我々の最大欲求を充分に満たしてくれているのである。

 それでも我々は叫ぶ。「メンバーが固定しすぎだ。」「海外組偏重だ。」「戦略がない。」「ケガさせすぎだ。」これらの意見のひとつひとつは尤もの場合もあるが、総じて結果を出すまでの「過程」についての意見であり、アプローチがどうであれ、結果を出していればそれらの声が矮小に聞こえてしまい影響力も説得力もないのは節理だろう。

 いや違う我々は「将来」を心配しているのだ。こんなチームで06年に本当に戦えるのか!その場しのぎの戦いでは未来が見えないないか!これもその通りだ。ベストメンバーのジーコ戦略は常にその場しのぎである。しかし「その場しのぎ」とは見方(言い方)を変えると、その場その場が真剣勝負であり、常にベストを尽くすと言い換えられる。

 全ての勝負は真剣勝負であり、日本代表としては「勝つ」ことが全てである。だからこそベストメンバーを集合させ、また選出された選手は、たかだか年間数試合の日本代表ゲームにおいてベストの体調を保てなければ、また多少の疲労があっても日本代表としてのプライドで戦わなければプロではない。そのような厳しい戦いを凌いだものに「勝利」を獲得する権利があるのだ、と考える(言い方を変える)と、「その場しのぎ」とは随分立派な「精神」ではないだろうか。

 ここまで駄文を連ね、ハタと思いついたことがある。我々日本人はアテネでも見られたように「敗者に寛容」な国民性を持つ。しかしこの寛容さは、明日(将来)のため、という逃げ道を作り、「今」の後1歩の努力、鍛錬を怠る要因となっており、実はジーコはブラジル流もしくはジーコ流の勝負哲学で無意識にでもそんな国民性をも変えようとしているのではないだろうか、と。


■すべては10月13日

 強引にまとめてしまえば、我々はせめて1次予選は「安心して」迎えたかったが、ジーコは逆に多くの「不安」を提供してくれ、それが要因で我々はジーコ不信になった。その「不安」は今も継続しているが、アジアチャンピオンという極上の「結果」を出してくれたのもジーコである。このアンバランスな気持ちをどう持っていくか、答えの全ては10月13日だろう。ここで引分け以上の結果を出してくれれば、我々は06年まで彼と共生する覚悟を決め、またジーコという人物が今までの日本人にない新たな「精神」を植え付けてくれると信じるべきだろう。

ともかく「今」は我々にとってのジーコは問答無用な存在なんであろう・・・。



 それにしても、何で加地なんだろう・・・・・・・・・・・・。

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