カントクの寝言  よく遊び、よく蹴れ (2004.10.21)
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■ホンダロックに勝った夜

 「あきらめるなよ。前を向け。勝つぞ。」
ホンダロックの1.5列目、あの城彰二の弟、城和憲が悲痛な声で仲間を奮い立たせる。しかし時間は既にロスタイム、ほどなくレフェリーの笛が鳴り、我ら神戸FCは、天皇杯2勝のチームを3−1で破り、2回戦に進出した。

 引越しが終わったばかりのあわただしい週末の10月16日、17日、オイラ夫婦は昨年に引き続き、酔狂にも倉敷まで「全社」の観戦に、そして部長が知人である神戸FCの応援に訪れたのである。しかし、対戦カードは前述のとおり。心の悪魔は、こりゃ1回戦敗退だ、だとしたら日曜日は倉敷の街を堪能して奥さん孝行ができる、なんて囁いていたのであるが・・・。

 ゲームは序盤から神戸ペース、両ウィングである7番溝口と11番岩田が面白いように、相手DFのウラをとれる。そして苦し紛れの相手クリアは、30番小林のヘッドとコーチングを中心に跳ね返し、危なげない。このペースは結局ゲーム終了まで継続し、前述のとおり天皇杯2勝のチームに完勝してしまったのである。さてそのゲーム終了後、ゲーム後半に何故かベンチを離れバックスタンドでオイラと一緒に、まったりと観戦していた坪井部長から今晩はチームの夕食に招待していただけるとのお話をいただき、宿舎まで同行させていただいた。そして18時より、神戸FCらしい宴会が開始されたのだった。

 オイラの席は当然?幹部席。隣には松永正利監督、そこまた隣には岡部長が鎮座されている。このお二人、サッカーに多少詳しい方ならご存知であろう、岡さんは神戸FCの生き字引のような方であり、また松永さんは三菱重工の名FWで日本代表にも名を連ねた往年の名プレーヤーである。この松永さん、昨年も会ったのだが、たいした会話もできなかったし、また体育会系によく見られる照れ症なのか、最初は会話がはずまなかった。そこで、オイラは伝家の宝刀を抜いたわけだ。
 「松永さん、三菱時代はよく国立や西が丘に観にいきましたよ。」
 「ホント〜」氏の顔がややゆるむ。
 「この前引越ししたら、昔のJSLのチケットがたくさん出てきて。そしたら全部、三菱重工のカードなんです。主人は三菱のファンだったみたい。」
 トモコさんがナイスなアシストをする。
 「うれしーなぁー。」松永さん、もうデレデレ。
 最後の止めで、これも神戸FCと関係のある細谷一郎氏を出汁に使用し、
 「松永さんと細谷さんの2トップ、かっこよかったなぁ」松永さん、完全にノックアウト。
 んで、後は完全にオイラのペースとなったわけ。ちなみに、松永さんと細谷さんの2トップって、あんまし覚えていないんだよな。あの頃は落合さんもFWだったような気もするし。まあ、いいや(笑)。

 当然酒も入り、当然話題はサッカーとなれば、楽しくないはずがない。これまた当然体育会系の伝統を重んじるオイラは、年下である選手たちを1人1人オイラの隣席によび、他愛もないハナシを始める。んで、いよいよ乗ってきたオイラは、神戸FCの選手たちの前で遂に言い放ってしまった。
 「よし、明日はゲーフラ作って、サポートしたる!おまえら、試合が終わったらバック側にちゃんと挨拶に来いよ!約束だぞ!!」
 
 そしてオイラや坪井部長のオヤジは、いい気分で酔っ払い、若い選手たちはお約束通りに夜の街に消えていった。きっと帰りは午前様なんだろうなぁ。

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