カントクの寝言  road to germany 第8章「さかさま」 (2005.3.26)
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 最後はセンターバック2枚がつり出されハシェミアンをフリーにしてしまった。この一場面から4バックより3バックの方がよかったのではないかという議論が早速ネットやマスコミの間で始まっているが、それは単なる結果論。あの2点目が入るまで、いやその9分前の同点ゴールまでの日本は理想的とは言わないまでも良いサッカーをしていた。1点をとられるまではリスクを極力回避した落ち着いたサッカーを、そして事故のような失点の後はボランチの位置を前目にしてサイドからの突破を中心に攻撃に重点を置いたサッカーをしていた。なかなかFWにボールはおさまらないという欠点はあったが、そこまでのボール運びは充分合格点だったと感じる。

 が、問題は同点となった後である。以下、俊輔のコメント。「(1−1になった。)その後の時間帯は、個人的にジーコに聞いたら「攻めろ」ということで攻めたけれど。『守った方がいいのか?』と聞いたところ、『攻めろ』と。行った結果、点を取られてしまったけれど、そういうところの選手1人1人の考え、チームとしてもそうだけれど、もう少しはっきりしたらどうなるかなと。」TV画面からもこの意思不統一は鮮明だった。

 このコメントは一見同点時のジーコと選手の思いが”さかさま”だったように聞こえるが、実際はほとんど同じ思い(=ゲームプランニング)だったのではないか。この場面、同点になったことでリズムは日本、当然そのリズムを継続することが戦いの主導権を握るポイントである。一方、このゲームは引分けで充分。よってリズムが良くてもリスクをおかす必要はない。すなわち、本来ならば「攻め」の気持ちを持ちながらアタックすることで相手DFを下がらせリズムを継続しつつ、DF、ボランチはリスクを避けたポジショニングで失点を防ぐ手法をとれば良いのだ。これを現場的に言えば、「ココロは攻めて、カラダは守る」というところだろう。そして細かい手法は別としておおよその考えはジーコも俊輔も同様だったのではないか。ただジーコは「ココロ」を俊輔は「カラダ」を言葉で表現したため”さかさま”のコメントとなってしまったのではないか。

 もしそうだとしたら。不運だった、という気はない。そこに通訳を介さなければ言葉が通じないという決定的な欠点が露呈される。さらに練習はその欠点を補うため、ジーコと選手のコミュニケーションを円滑にするという目的もあるはずだが、あいかわらずこのチームにはジーコを交えた「約束事」が極端に少ないようだ。

 結果としてチームとして意思統一できていなかったというチームとしての基本的ミスが原因で2点目の失点をしてしまった。ジーコが就任以来、全く改善されないようにみえるこのコミュニケーション不足が最後の最後で決定的なダメージとならないことを今は祈るだけだ。

 さらにもうひとつ、どうしても納得できない選手がいる。小笠原だ。起用された時間帯からみて彼の役割は「攻め」であることは誰でもわかること。そして「攻め」をするためには、できるだけボールを所持することが大事なのに、彼は無駄なファールが多すぎ、結果として相手にボールを渡してしまうのである。例えばこんな場面。小笠原がボールを所持し攻める、相手にボールをとられる、その時とられたボールを撮り返そうとして後ろから無駄なファールをする、結果として相手のFK(つまりフリーで相手ボールとなる)となる。この場面でもう少し我慢してチェイスして相手のミスを待つことができれば、もう一度流れの中で味方ボールになるチャンスがあるのに、彼は我慢できずファールを犯す。たった10分程度の出場時間で彼は3度はこのミスをした。このメンタルの弱さはダメだ。救いようのないダメさだ。もういらない。

 負けたため、どうしても後悔が前面に出てしまった。しかし予選はまだまだこれから。ともかく次のバーレーン戦に万全を期すことだ。代表のリズムは悪くない。少しの工夫と気持ちの切り替えで「立派な代表」になるはずだ。 

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