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 6月22日 
 「決戦」
 
いざ出陣!
頼むぞ!adidasじゃなくて俊輔
フェルナンド
仕込んで完成 絶対16強!
スタジアム入り、いよいよ
きっと会うと思っていたKさんやSさん

 

夢のあと・・・
◇ジーコはブラジル人のアイドルだ。

 この時期の欧州は夜の9時、10時になっても明るい。またW杯の2試合目は21時キックオフでもあるため、メシも就寝もどうしても遅くなる。ドイツ初めての夜であった昨晩も、オランダvsアルゼンチンを観戦しながら、宇都宮氏やえとーくんとメシしたためベッドに入ったのは2時頃だった。となると、当然起きるのが遅くなるのは道理であり、本日は10時頃に遅い朝食をホテルで食べて、11:21のREでDortmundにむかう。

 道中、REコンパートメントでFernandoというブラジル人ジャーナリストと同席になり、本日のゲームについて話を始める。彼は当たり前だがブラジルが負けるなんてことは、これっぽっちも考えていない。また現状のブラジルの調子、またパレイラの性格からも”手抜き”も考えられないという。となり、会話は沈滞してしまう。そんな時、彼が一言僕らに聞いた。
「日本人は、ジーコのことをどう思っているの?」
僕らは一瞬固まってしまう。決してお世辞を言う必要はないのだが、正直「今」のジーコに対する気持ちを「うまく」言葉に表現できないのだ。
 その一瞬の躊躇をジャーナリスト氏も感じたのかも知れない。続けてこんなことを言う。
「ジーコはブラジル人にとって、本当のアイドルなんだ。だから、みんな成功して欲しいと思っているんだ。」
 そう、ジーコは住友金属の時代から日本サッカーに貢献してくれた。まさしくブラジル人だけでなく、日本人にとってもアイドルなんだと思う。だからアイドルで終わってくれれば良かったのに、と今更ながら思った道中であった。

◇気合の仕込み

Durtmund下車後、ヨココムFくんが主催しているフットボール道場にむかう。ここで、Kさん夫妻、Iカップル、そしてウチのTくんとも会う約束をしていた。(Tとは列車が一緒で既に会っていたのだが)
 ここでは宇都宮氏、西部氏のトークショーが行われていたのだが、オイラたちはメシ&Beerと仕込みに入る。
 今回の仕込みメインはネット販売で購入した青い柔道着、これにオイラの背番号4、日本とドイツの国旗、さらに某新聞の宣伝文句、そして「我々はジーコを所持している」というブラジル人に対する(この日限りの)メッセージを入れる。メイク?は、にわとりをイメージした白地に赤い鶏冠のある髪型(02年の戸田)に、お決まりの「16強」である。トモコさんはサムライブルーのフラッグで作ったスカート、なおちゃんは赤白の水玉模様のエプロン?等で各自思い思いの仕込み、さらに取材でスタジアムに入るTにもフェイスペイントをしてやり、気合を入れていよいよスタジアムへ乗り込む。

◇決戦

 スタジアムまでのUバーンでも、その滑稽な格好から様々な人々に声をかけられる。
「ヤーパンか?今日は勝つのか?」
「もちろん勝つ。3−0だ。(そう言えばFくんは5−1のゲーフラを作っていた)」
「柔道家か?」
「そうだ!(ウソだ)」
「なんでブラックベルト(黒帯)じゃないのか?」
「黒は黒星で縁起悪いから、白帯にしたんだ。(これしか持っていない、しかも結び方も知らん)」
 スタジアムではKさん、Sさんにも遭遇。今までオイラ以上に多くの体験をしてきている彼等のためにも絶対に勝利の美酒を。そしてオイラは、完全に日本の勝利を信じきっていたのだった。

 カテ3の席は、ウルトラス、J連のすぐ脇、Kさんの愚息(笑)や昔から世話しているYすけたちにも会う、みんな気合が入っている。負けるわけにはいかない、負けるわけがない、ここで終わる日本じゃない。

 34分、玉田渾身のシュートがジダのニアを割りGoal!声にならない絶叫をしながら、隣の知らないあんちゃんと抱き合う。知らないあんちゃんと抱き合ったのは4年前のロシア戦以来、いや大きな声で君が代を歌ったのも、立ち放しで90分間声を出し、手を打ち続けたのも4年前以来だ。考えてみれば、4年前の戦い以降、オイラがここまで熱くなったことはなかった。日本代表がここまで厳しい状況に追い込まれたことはなかった。強いて言えばバーレーン戦アウェイだろうが、それでも相手はたかだかバーレーンだった。この瀬戸際の戦いを経験できなかったことが、このチームの何か覇気が感じられない部分だったのかも知れないが、ここではそのことに言及せず、ゲームに戻る。

 ロスタイム、おそらく多くの日本サポーターが思ったはずだ。このまま前半を終わらせれば、夢がかなうかも知れないと。しかし、ドフリーのシシーニョからロナウドへボールが渡り、同点になってしまう。しかしまだ1−1、後半立ち上がりでペースをつかめば、夢は取り戻せる。ハーフタイム、やはり多くのサポーターがそう思ったに違いない。が、後半開始早々夢は無惨に砕け散る。その後の展開は覚えていない。


◇夢の後

 1−4、夢はコテンパンにうちのめされる。放心状態、その気持ちはドーハの時の悔しさとも、フランス予選韓国戦の絶望感とも違う。まして、出ることで大きな目標をクリアーしていたジャマイカ戦とも、「よくやった」結果の終焉であったトルコ戦とも全く違う。正直、ドーハや韓国戦のような「勝てたはず」だったという歯軋りをしそうな悔しさはない、また当然のことながら「よくやった」という満足感もない。あくまで順当な結果に終わったこの戦いに対しての後悔の気持ちが全くない、惜しかったとも思わない、ただそれだけ、ただ現実を容認する気持ちだけ。オイラは親善試合を観ていたわけじゃない、オイラはW杯で戦ったはず、なのに何の感情もわかない。それが何故か悲しかった。

◇戦いすんで日が暮れて

 
比較的平静だった、と思う・・・。
オイラたち4人は座席がバラバラだったため、ゲーム終了後待ち合わせの場所を決めていた。そこに4人とI田たちが集まった時、皆の感想は「当たり前の予想が当たり前に起こった」ということだった。そして、「奇跡」が起きなかったことも「当たり前」と捉えていた。

 スタジアムからDurtmund中央駅にトボトボと帰る。途中、これも「当たり前」のようにブラジルサポが騒ぎ、そしてたまに「ヤーパン」と声をかけられる。その声には「Bad Lack」とか、「Next Time」という、やさしい形容詞が付随する。オイラたちは微笑み返すだけ。

 Durtmund中央駅でI田たちとお別れ食事をしようと思ったが、あまりの喧騒のためそのまま別れ、ICE2等車に飛び乗る。同じ車両では、まだブラジルサポが騒いでいる。彼らと騒ぐ気分にはなれない、そして疲れがどっと出る。

 深夜Koln到着。このマチでも多くの人々から「ヤーパン」の声。遂にトモコさんがキレる。
「うるさいのよ、ヤーパン、ヤーパンって。あんたたち、なんなのよ!静かにしておいてよ」
そうだよな、確かにこの日オイラたちが期待していたものは「奇跡」だった。奇跡なのだから、現実になる可能性は極めて低い。しかし、いつの間にかオイラたちは奇跡を「信じ」そして「確信」に変化させていた。そんな勝手な解釈をしていたこの時点のオイラたちには、”外野”の声はハエのように小うるさいだけのものだった。

 ふっ、と思った。オイラ、このW杯でまだ泣いていない。2002年はロシア戦後、決勝戦後に涙し、トルコ戦後(正確にはその深夜のイタリア戦後)は怒りでいっぱいになった。が、今回のW杯では極端に振れた喜怒哀楽を経験していない。確かにドイツに来てまだ2日目。これから多数の経験があるかも知れない。しかし、たった2日で最も大事な日本代表は消えてしまった。一体、これからの旅はどうなるのだろう、心底楽しむことができるのだろうか、そんなことを考えながらベッドに入った。

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