7月16日 part3 
 「さよなら ヴェトナム またいつか」

 

 

 

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  スタジアムを出ても歓喜は続く。ヴェトナムサポは歓喜の輪を作り踊りながら、変な凧を飛ばす。こんな喜びの光景を見ると、日本代表のことはさておきホスト国が勝ち抜くことの楽しさを実感する。2002年横浜での我が代表、EURO2004、リスボンでのポルトガル、そして今回。そんな場面にいられたことを心から幸せに思う。もちろんこんな時傍観者ではいられない。ゲーム終了後のスタジアム内から継続している"Vietnam!""Japan!"の交換が果てしなく続きそうだ。が、我々は今晩の飛行機で帰国しなくてはならない。このままホストサポと夜を過ごしたいという誘惑をふりきり、バスで空港へ向かう。

 バスが発車するが、スタジアム周辺は想像通りの喧騒。しかし2国とも突破したため、通りもスタジアムと同様、フレンドリーな喧騒だ。そんなマチを抜け、S氏の機転でシャワーを使用させてもらい空港へ。オーストラリアが次の対戦国だと知ったのは、空港内のレストランでおなじみとなった”バーバーバー”を飲んでいる時だった。

 オイラは今までサッカーを媒介を通し、多くの海外を経験してきた。もちろんサッカーというだけでも、様々な敗戦での悲しみや中田ローマ移籍後のペルージャ戦での感動やホスト国の歓喜等、挙げればきりがないほどの、観光旅行では感ずることのできない刺激を味わった。またサッカー以外でもボローニャやファロでの危機一髪、デグでのやかんぶっ壊し事件なんかも今となっては楽しい思い出である。

 が、しかし、今回の旅は今までのそれら旅と比較しても何かが違った。今までより刺激的で、今までより感動的だった。その要員はもちろんヴェトナムと同時に勝ち抜けたという稀有なサッカーシーンに遭遇できた幸運もある。が、多分それ以上に感じたのは文化の違いだったような気がする。もちろんバーレーンもポルトガルもフランスもイタリアもドイツも日本と異質の国民性があり、異質の文化がある。しかし、今回ヴェトナムで感じた差を一言で表現してしまえば、前述の国は日本と同類項でくくられる、それ位ヴェトナムは異なった。気候もあるだろう、バイクも驚いた、美人の多さはヨダレもんだった、物価は安くてメシはうまかった、でもそれらは単なる現象であって、その本質はヴェトナムという国の素朴さだったような気がする。この素朴さにオイラは昭和30年40年代の日本を投影し、懐かしさを感じていたのだ、と思う。

 こうしてオイラはまたひとつサッカーを通して人生の経験を積んだ。人生の楽しさを学んだ。それは本当に心の底から楽しい一時だった。もちろん一人でこの楽しみは享受できない。いつものトモコさん、ナオちゃんを始めとして、ツアー料金を払っていないのにツアーに混ぜていただいたS氏、そしてO氏を始めとするサポ仲間であり、かつこのツアーのご一行様に感謝し、オイラの観戦記を終了する。んで、次はどこだろな?

おしまい

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