帰国後
 「世界一」
   

1月のアジアカップに続いて「優勝」はテリーさん家で。

何も言えません。感動です。

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前の「ファイナリスト」という駄文を書きながら思っていたことがある。

オイラはそのゲームが終わった時、どんな感情を持つのだろうかと。

おそらく、勝てば喜びを爆発してワンワン泣くだろう、これは容易に想像できた。

では負けた場合はどうか?
「よく頑張ったよ!」と彼女たちを喝采するのか、もしくはイングランド戦での敗退後のように虚無状態となるのか。

その瞬間の空想は勝った場合と負けた場合をあっちこっちに跳んでいた。が、そのうちにその空想の大半は負けた場合の思考への変化していった。それは、自分自身の勝手な「準備」だった。

「頑張ったよ」という気持ちがきっと素直な気持ちだろう。だって、地元ドイツをやぶりファイナリストである、ここで敗退したとしても充分すぎる結果だろう。一方、そこで「頑張ったよ」と思ってしまうことが、かえって彼女たちを見下すことにならないか。「もっとやれたろ!」「こんな結果で残念だよ。」と思う方が、今後を含めての彼女たちへの賛辞ではないか、そんなことばっかりを考えていた。

試合が始まった後も「準備」に怠りはなかった。
宮間の素晴らしいカットからのシュートが決まっても、澤の奇跡的な同点ゴールがあっても、結局は負けると思っていた。PK戦、USAが先行だった。「ほら、やっぱし。PKは先行チームが勝つ確率が高いのだよ。」声には出さなかったが、ここまできても言い訳を考えていた。PK前、円陣の佐々木監督の笑顔には、意味のない違和感を感じていた。

PKが始まった。あれ?もしかして・・・、そう思ったのはUSAの4人目が海堀の見事なセーブでストップされた時からだ。言い直せばUSAの2人が失敗しても、まだ信じることができていず、「準備」をしていたのだった。そして熊谷が決めた、決めてしまった。勝ってしまった。

オイラは負ける準備に怠りはなかったが、勝った準備は全くしていなかった。熊谷が決めた瞬間、勝ったことは理解した、大声をあげて、両手を上げた。だけど、思ったよりも冷静だった。泣かなかった、いや泣けなかった。

画像では、目では、勝ったことはわかっていたけど、喜びが脳まで伝わらなかったみたいで、何かいまひとつ理解が出来ていなかった。サッカーで、世界で勝つ、その困難さは理解しているつもりだが、それが現実となった瞬間、何がなんだかわからなくなった。わからないから、カラダは喜んだが、アタマは理解していない。だから泣けなかった。こんなことは始めてだった。

実感がない。試合後、なでしこのプレーヤーたちもこの言葉をよく使用していたが、オイラもまさにそれだった。

あれから数日。やっと実感らしきものを感じるようになってきた。しかし、それを言葉にするのは難しい。うれしすぎて言葉に出来ないのだ。言葉にしてしまうと、己の文章力のなさも併せて、思っているその気持ちを表現できないのだ。だから書かないけど、一言だけ。

「ごめんね、なでしこ。そしてありがと」

この一言を以って、この日記を終了します。

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