3度目越後は・・・(01年コンフェデ観戦記)1
HOME  Part1 Part2 Part3 Part4 Part5

5月31日
今年3度目の新潟行きは順調にスタートした。

12.00 友人のA根(こいつも今年3回目の新潟だ!)を八重洲ブックセンター前でピックアップし、愛車パサートで新潟へ向かう。東京は月末とあって激しい渋滞だが、首都高環状線を抜けると比較的スムーズに車が流れ始めた。
A根が「運転変わりましょうかぁ〜」と言い出す。(と言うより乗った瞬間から言っていた。)「もちろん!」金で苦労を排除することがモットーの僕としては、最高のオファーである。即、運転交代。即、後部座席で熟睡。そして、予想した新潟市内の渋滞もなく16.15、ほぼ予定通り東急インに到着した。思いの他、順調かつ楽チンなスタートであった。

東急インで、フランスに一緒に行った新潟在住のY子さんに依頼されていたカナダ戦チケを渡す。お礼に「吉乃川」2本をゲットしてしまった。ラッキー!!
17.00 先乗りしていたM本と一緒にスタジアム行きのシャトルバス乗り場へ向かう。駅のコンコースを通ると、そこはすでにコンフェデモード。あちこちに黄色いジャンバーを着たボランティアの方々が立ち、観客を誘導している。徒歩5分、程なくバス乗り場に到着。長蛇の列ではあるが、大会関係者が並び方をきれいに整理し、特に混乱もなく30分程並んだ後、バス乗車。道は交通規制で一般車両が進入できなくなっているため、10分程でスタジアム到着。
フムフム。(湯浅健二風) これがホントに最初の国際試合!僕はいたくスムーズな運営に感激してしまった。


チラシ配布と責任感

スタジアムに到着すると、地元サッカー振興団体Alliance2002から委託された6/2オールナイトイベントのチラシを配布する。どこで聞きつけたのか、スポーツNのO記者が我々の写真を撮り始める。(翌日のスポーツNには、M本の写真が掲載される。)オイラをパシャパシャ撮っていたのは一体何ダッタンタンじゃぁぁ。オイラじゃ、「のんきな父さん」みたいで、被写体には不都合かい!

ところでこのイベント、本来は、5/31深夜に帰れなくなったサポーターのための簡易宿泊所、6/2のカメルーン
戦のチケを購入できなかった人達のためのクローズドサーキットがメインのはずであったが、いわゆる「上」の力で上記2つの企画がぽしゃってしまった。
簡易宿泊所で何か問題が起こったら誰の責任じゃ?クローズドサーキット権の権利は明確になったんか?
確かにそのとおりである。そこを明確にできなかった主催者側に無謀な部分はある。しかし、上記の目的に何か不遜、不具合、不適切があるだろうか?上記のマインドは、新潟に世界からの人を迎える立場として、まちがった心なのだろうか?誤った行動なのだろうか?

日本は「何か問題がおこったらまずい。立場がなくなる。だから何もしない。」が、常識としてまかりとおる国である。これで本当のホスピタリティを世界に発信できるのか。最終的には、全ての企画はできなかったけれど、真のホスピタリティを所持した集団がいること、僕はこれを評価したいし、支持したいと思う。

 ところで、人が分散して入ってきたためチラシが非常に配布しにくかった。これは運営側が、遠くの場所から入場ゲート毎に進入路を明確にしていたため。そのため、人の流れもとてもスムーズだった。この運営もマル。チラシ配布には非効率だったけどね。(苦笑)

HOME  Part1 Part2 Part3 Part4 Part5
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送