FRANCE World Cup 98 part2

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6月20日 パリ〜ナント クロアチア戦前

 本日4.30AMナントへバスで向かう。
約4Hの行程、いよいよクロアチア戦である。
9AM、ナント着。「青」の団体の数が半端じゃない。「赤白」の10人位と行き違う。手を振ったら笑顔で応えてくれる。結構友好的である。

 バス下車後、まずはチケット問題の解決へ。(2人で1枚しかない)ゲートの側でイラン人みたいなあやしいオヤジが4000Fで売っている。えーい、買っちまえ。予算は3000Fまでだったが、やはり2人で楽しみは共有したい、ゲームを見なくちゃ始まらない。でも買ったチケットをみるとゲートが赤、つまりモロ、クロアチアサイド。これはかなり緊張。とりあえず妻に黄ゲートのチケットを渡し、僕が赤サイドで決定。こわいけど強がる。大丈夫、平気、私はクロアチア人と仲良しと。でも本当はとってもこわい。

6.20 ナント・ボージョワールスタジアム クロアチアゴール裏のチケット
この席で僕の映像が世界に流れる

 12.30開門。日本人団体と別れ単身赤のゲートへ向かう。戦いの先鋒の気分。とんでもない席、ゴールの真裏1番前。かぶりものをした僕の写真を外国のプレスがパチパチ撮る、雑誌に載るかも。
1.30pm子供達がハーフコートでサッカーを行っているが、まだまだ緊張感がない。それと周辺はほとんど日本人、かなり安心。
これならきっちりサポートできそうだ。

6月20日 ナント ボージョワールスタジアム クロアチア戦

 2.30pmFIFAソングにあわせ入場
スタンドはフル、80%は日本のサポーターである。大歓声があがり君が代、いよいよ僕にとって30年待った初のW杯がキックオフされる。

 代表は結構良い立ち上がりだ。中田が中央で受け左右の名良橋、相馬に配給ができ、攻めの形を作れている。クロアチアはさすがに鋭いがボバンのいない影響か、ゴール前に怖さは感じない。たまのFKにドキッとするだけ。

 後半暑さのせいか、クロアチアの足がとまっているように感じる。チャンスだ。勝てる
始めてそんな気分がしてきた。が、シュートが枠にいかない。ゴンの決定的チャンスも相手GKのセーブに防がれる。格上の相手だからこそ、チャンスを失うのが恐い、運のなさが恐い。

 遂に1点失う、アサノビッチからシュケルの速攻にやられる。さらに運のなさを感じる。後はお決まり、代表はあわてペースを握れず90分はアッという間に終了してしまった。またしてもノーゴール、またしても0対1。

 くやしい、心底そう思う。勝てたゲームだった気がする。呆然と立ち尽し時を忘れる。何分たったろう、スタンドの50%が空席となっていた。僕は同じく4000Fでダフ屋からチケットを購入したという、一緒にサポートした京都2人組に別れを告げた。彼らはこの1試合で帰る。別れ際「ジャマイカ戦は頑張って下さい。」と言われ固く握手をかわす。
スタンド上部にあがりもう1度ピッチを見下ろす。この時始めて「ああ、ワールドカップに来たんだ。」という感激が胸をうつ。何か整理できないけど、本大会という重さを実感する。
「来た」という満足と「敗戦」の悲しみが心を交差するが、「よくやった」と言う気持ちが少しあるのか、やや満足さの方が強い。

 スタンドを離れ待ち合わせ場所に向かう。
やっぱり足はひきずり、顔はうつむく、もちろん心は晴れない。

 その時「ネクストタイムジャポン」という声が僕にかけられた。振り返ると赤白のレプリカを着たクロアチアサポーターであった。5秒後、僕は彼らの手を握り「コングラチュレーション、マスト・ゴー・ファイナル、4年後日本で」とわけのわからない英語を感動して涙を流してしゃべっていた。
もともとボクシィッチ、ヤルニをポイントとしたダイナミックなクロアチアサッカーに魅力を感じてはいたが、この時の感情は違うもの、彼らの境遇とあまりにもマッチした「ネクストタイム」という言葉に思い切り入り込んだ。

 彼らは(まだユーゴの時代だが、)6年前予選突破した欧州選手権に、そして4年前のW杯予選に出場できなかった。政治というサッカーとかけ離れた世界の事情のせいで。予選参加も拒否され、未来の見えない時代を過ごし、そしてやっと世界への参加を認可された国、そのサポーターの言葉、「ネクストタイム」は、2002年を確約されている、もちろん参加したくてできなかった予選は戦後1度もない我々にはとても重たかった。
W杯敗退が決定した直後の僕にこの暖かい言葉は、たくさんの勇気と希望を与えてくれた。日本という幸せな国に生まれたことへの感謝、あたりまえのように参加する権利をもっている幸せ、苦しかった予選を突破してこのフランスの地にたてた充実感、それに参加できた僕自身、心は代表と個人の事柄が入り交じって、それでいてうれしかった。
頑張らなくちゃ、ジャマイカなんぞに負けない、最後はそう思い彼らに別れを告げた。

 そして、思った。今一番悔しい、情けない想いをしているであろう代表の監督に選手に僕は心からこの言葉を贈りたい。ありがとう、クロアチアサポーター。

 ホテルへ帰ると夜の9時をまわっていた。
でも明るい、このノー天気さが何か頭にくる
日本から持ってきたレトルトで食事を済ませバーに降りる。TVでは、韓国がオランダにコテンパンにやられている。悪いけどちょっとスカッーとする。一緒のツアーの川崎のお兄ちゃんや髪の毛の青・白の公務員と軽く飲み寝る。長かったパリ2日目が終わる。まだ酔っ払ってない。

6月21日

 朝は快調。オルリーからリムジンバスでパリ市内へ行く。片道約30分なのに40F。
高い!泊まったホテルが便利じゃないことにやっと気づく。オルセー美術館とか、なんだかんだ観光する。全然興味なし。頻繁にすれ違うアルゼンチンやブラジルのユニホームを着た人達に目が行く。だってW杯に来ているんだモン。

 14.30パリ市庁舎前の大画面でドイツvsユーゴ戦をみる。クソ暑いがゲームも熱い。大ファンのユーゴが2点先取し、奥さんはもう決まり、と言ったが、いやいやここからがドイツのいやらしさ、と思っていたら案の定お決まりの粘りから遂に同点、引分け。
この粘り、負けてても最後は絶対勝つという自信、これが代表にあればと思うが、この自信が歴史なのだろうと妙に納得する。

パリ市庁舎前 ドイツvsユーゴ観戦後背後に
怪しいオヤジが・・・。

 ところでパリの地下鉄は汚いしエアコンはないし、最悪。フランス人もパリジャンなんて気取っているが、ただのいい加減な自分勝手なイナカモン。どうも僕はチケット問題以降フランス人とプラティニが嫌いになったようだ。まあ好きでフランスに来た訳じゃないし、どうでもいいか。

 帰りにオルリー空港でワインを買う。金もないのでまた部屋でめし。が、ワインが開かない、オープナーが壊れる、じゃあ水割りをと思ったら氷がナイ。最悪、不機嫌。でもW杯は動く。イランとアメリカをやっている。アジジやダエイはイマイチだが、マハタビキアがきれている。やっぱり魅力のあるチームだ。最後、かなりアメリカに押し込まれるが、イランの勝利。その喜び方が異常である。まるでグループリーグを突破したかのようだ。
が、いいさ、日本も絶対ジャマイカに勝つ。
でもちょっと羨ましい。

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