FRANCE World Cup 98 part5
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6月26日 ジュネーブ〜リヨン

 朝9時集合、バスでリヨンへ向かう。W杯キャラクターのシャッポーに必勝の鉢巻きをした姿が団体のウケをもらう。11時遂にリヨン到着、僕ら夫婦はナントでの慣れもあり皆と別れてバスでリヨンの街へ向かう。ゲーム開始は午後4時、まだまだ時間は充分にある。
最初はタクシーで行こうと思ったが、どこで拾うのか、街角のポリスもわからないという。乗り場を探してスタジアム付近をウロウロしていると、通り掛かりの車はクラクションで、歩行者は声で「アレージャポン」と声援をくれる。
結局路線バスで街に向かい、この旅の目的のひとつであったオリンピックリヨネーズに行く。

 ところで、街は青であふれている。また、前述の格好の僕は街中の人から声をかけられ、可愛いリヨンジェンヌからは一緒に写真をとらされる。奥さんはやや不愉快そうだが、僕はとっても御満悦。リヨンは良い街だ。

リヨン駅前の公園で アレージャポン

 午後、軽くめし(マック)を食べ、スタジアムにシャトルバスで戻る。行きのバス6Fなのに、シャトルバスは10F、ここでも儲けるおフランス。
さて、スタジアムに戻ると、そこは本当に「青」で大混雑、チケット問題や予選敗退や会社の休暇問題や、いろんな事をクリアーして、皆な初の歴史に残る1勝を期待して集まっている。がんばれ、日本代表。途中、ジャマイカネイちゃんのパレードをみながら、いよいよ最後のゲームのスタジアムに入る。

リヨンの街でダフ屋冷やかし、負けるか! ジャマイカねいちゃんのパレード

同日 決戦のジェルランスタジアム

 14.00 スタジアムに入る。須賀夫妻もヤエ・マリも既に着席。シートはやはりゴール裏だが、クロアチア戦よりはまし、何より日本側である。奥さんも隣にいる。が、意外に日本以外の人種(多分フランス野郎)が多い。驚いたことにウルトラの連中は逆サイドのゴール裏にいる。僕はまず顔に日の丸をペインティングし気合を入れる。またしても同じツアーのおネイちゃんから一緒に写真をと、リクエスト、先程のリヨンの反省から肩に手を回す等絶対にしない。ピッチではナントと同じく子供達のゲームが行われている。

ペイントして気合が入る!!

 周囲は何かざわざわしているが、僕らは落ち着いている。やはり2度目というだけでキャリアの差がでるのか。1回づつ経験を積み重ねて成長する。ありきたりの言葉だが、それを今日の代表に期待する。
16.00 君が代、今日はマフラーを両手に掲げ思い切り歌う、いや叫ぶ。悲願の1勝を信じる。

同日 リヨン ジャマイカ戦

 試合開始のホイッスルが鳴る、今迄より名波がかなり前掛かりの位置、ボランチではなく中田と並ぶ。但しDFはスリーバック、中西の代わりに小村が入った布陣である。直後名波の惜しいシュートがゴール上に外れる。

 押している、確かに代表は攻めている。が、何かリズムがおかしい。ピッチとスタンドのあの一体感がない。スタンドはあちこちで勝手な応援を行い選手のサポートとなっていない。中にはまるでフレンドリーマッチを観ているような批評家や観光ついでにゲームを観ているような奴までいる。僕の右サイドでは周囲の迷惑も考えず立ちっ放しで顰蹙を買い、あきれたことに座れと注意された人に文句を言っている2人組のエセサポーターまでいる。
 そんな、こんなで何か全体が落ち着きのないザワザワした感じになっている。ゲームにのめり込めない、そんな感じがピッチにも伝わったかのように、選手から今迄のような集中力が伝わってこない。

 シュートは相変わらず枠に飛ばない。その内ジャマイカのカウンターに鋭さがでる。16分、ファールで点にはならなかったが、サイドの切り崩しからゴールを割られる。おかしい、何かおかしい、まるで予選初戦、対ウズベクの後半のようにチームが浮き足だってみえる。

 僕はその後のこのゲーム詳細を書きたくはない。結局最後まで「おかしい」という感覚は変わらなかった。2点もビハインドがあるのに、ゴンのゴールをまるで歴史的ゴールのように喜んだ観客、無様な結末後にもニコニコしてインタビューを受けていた観光客、最後まで自分を信じてプレーできなかった選手、全てがいやになった。全てに悲しくなった。全てにあきれて、涙もでなかった。

全ては終わった。雨に隠れた涙とともに・・・

 僕は勝手だがこのゲームを最も重要視していた。W杯出場が決定した今、日本代表にとって最も重要な事は1次リーグ突破でも、歴史的?1点を入れることでもなく、W杯本大会で「勝つ」ということを経験することだと思っていた。そしてこのゲームこそ、その可能性が限りなく高い相手であったはずだ。

 何故「勝つ」事が大事か。言わずもがな、本大会に出ることだけでなく勝つ事で、ひとつ日本サッカーが世界の人や日本のサッカーファン以外の人の記憶に残る、つまり日本サッカーの世界でのステイタスが上がる。そうすれば、代表選手の海外進出が容易になり、FIFAでの位置付が上がる。結果として代表強化に直結するはずである。
 ふたつ、選手に自信が付き、2002年に計り知れない重さの財産を残すからである。もちろん本大会出場をけなす気は全くないが、せっかく出たなら次のステップを目指して欲しい。本来ならば、世界的にみれば出ただけでOKである日本代表に「勝つ」絶好のチャンスであった。

 このチャンスを、選手は自分のため、将来の代表のため、そして僕らサポーターのため絶対に逃がして欲しくなかった。が、しかし我が代表はそう思っていなかった。今迄の2敗で、1次リーグ敗退決定で、彼らの気持ちは既に終戦を迎えていたようだった。川口1人を除いて。

同日 ジャマイカ戦後

 茫然自失であった。隣で奥さんが泣いていた。ことサッカーに関すれば、例えばあの韓国戦の後でも自分のことより、僕のショックを気遣う奥さんが泣いていた。が、それでも茫然自失であった。

 雨が降っていた。雨の中、僕は満足も悲しみも、全ての感情を失ってただ歩いた。ただバスにたどり着く目的のために歩いた。

 ゲート付近で日本のTVクルーがインタビューをしていた。前述の格好で、かつ汗で顔の日の丸がデロデロになった僕は、彼らの格好の標的だった。アナが「だいぶ疲れているヨウデスガー」と能天気な声でたずねてきたが、僕は声を発せずイヤイヤをしてその場を去った。

 バスに乗り、リヨンを離れ1時間ほど経過し、はじめて心に感情が芽生えた。それもおそろしく複雑な感情が。

 思えば、ドーハから始まった5年間が、いやメキシコの銅メダルからの30年間がこのゲームで完結した。夢だった、あこがれだった、W杯が完結した。3流映画のようなエンディングであった。当然このエンディングに満足感は全くない。このゲームに残るのは、悲しみ、情けなさといったネガティブな感情だけである。が、今頭の中にはこの数日の、人生で最も凝縮した数日間の全てがある。このゲームだけでない、フランスでの全てがある。

 その経験が頭を複雑にする。一言で言えば、「本大会で充分すぎるくやしさを味わえたという満足感」とでも言おうか。そんなことを思ったら涙がでてきた。ドーハの時もジョホールバルの時も涙はでなかったが、今回は泣いた。この涙の理由は、多分もっと時間がたたないとわからないと思う。悲しくて、情けなくて、うれしくて、満足で、という複雑な心境だった。

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