最高のゲーム
97年ジョホールバル W杯フランス大会最終予選
日本代表VSイラン

 イランが最後の力を振り絞ってカウンターにでた。センタリングがあがり、DFの間からアリ・ダエイの左足が一歩でた。絶好のタイミングでボールがダエイの足に合わされる、
「あっー!」、声にならない悲鳴があがった。が、しかし、ボールは幸運にもゴールの上部をこえていった。

 あの出来事はそれから多分1分後。歴史はつくられた。
そこには、岡野と相手GKしかいなかった。岡野が中田のスルーパスでDFの間を突破したのはTVでもわかっていた。が、そのゴールが決まった瞬間、僕は画像でラインズマンを探した。

 多分黄色いフラッグがあがり、ぬか喜びに終わるんだ、だから今飛び上がっちゃいけないんだ、何故かそう思っていた。何年も、何回も苦渋を感じていた日本代表に対する僕の気持ちが、体験が、オフサイドを予感させた。「こんな簡単にW杯に行ってはいけないのだ。」、決して容易でなかったフランスへの道程であったが、その瞬間何故か僕は、そう思ったのだ。

 岡野がベンチに走っていく、皆なが抱き合って至福の歓喜を表現している。本当に勝った、本当にW杯に行ける、腹の底から重たい何十年も待ち焦がれた喜びがにじみでてきた。
僕は自宅のLDで転げまわっていた、大粒の涙を流しながら。
 それは、アリ・ダエイのシュートで肝を冷やしてから、おそらく3〜4分後のことである。この今までの人生の中で最大に濃密であった時間を僕は一生忘れない。

72年国立競技場
日本代表VSサントスFC

 その日、僕は中学の修学旅行最終日だった。午後6時過ぎ新幹線は東京駅に着き、僕は迎えにきてもらっていた母に荷物を投げかけ、走って地下鉄に飛び乗った。もちろん目指すは外苑前、そして国立である。

 ペレが生で観られる、これは僕だけでなく日本中にインパクトを与えた。今まで何回か国際ゲームは観てきたが、このゲームほどチケット入手が困難だったのは、それまで経験がなかった。
 数日前、何とか父の知り合いからチケットを入手できたが、修学旅行と重なった日程は変えられない。そこで、前述の「母・東京駅待機」となった。いやはや、家族
総動員の観戦計画であった。

 国立には、ゲーム開始直前に滑り込んだ。そして圧倒された、今まで経験したことのなかった、国立の雰囲気に。席が満員なのである。
その当時、僕の知っている国立は、今で言うSS席に寝っころがってゲームを観られる場所だった。たまの、国際試合でもゴール裏に観客がいるなんてことは見たことがなかった。が、満員である。

 サントスの右ウイングに山口が翻弄される、釜本は前線で孤立し何もできない。そう、ペレだけじゃなかった、サントスはブラジルの一流チームなんだ、という当り前のことを実感していた。これがサッカーなんだ、なんて素晴らしいんだ、いつしか、日本代表を応援することもなく、黙って座って口もきかず、僕は見入っていた。そして、何故か涙がでていた。

87年国立競技場 ソウル五輪予選
日本代表VS中国

 ロス五輪予選の惨敗以降、僕は日本のサッカーに興味を失っていた。たしかに85年はW杯出場のあと一歩とせまり、木村和司の「伝説のFK」もあった。が、韓国の壁は大きかった。実際、国立でのメキシコW杯予選VS韓国戦を観戦したとき、僕は両国間のとてつもない差を実感した。ゲームは1−2であったが、実力差はそんなものではなかった。

 そして、盛り上がりに欠ける中いつのまにかソウル五輪予選が始まった。僕はこの大会出場に、日本代表に対する最後の望みをかけていた。その理由として、なによりも韓国が予選出場しないこと、よって中国さえ倒せば望みはかなうわけである。

 代表は順調に勝ち進み、遂に中国との決戦を迎えた。そして最大の朗報が北京より入る。1−0!アウェイで原のヘディング1発で中国を倒したのだ。つまり、ホームで引き分ければ五輪出場決定である。しかもこの時の代表は、加藤久、宮内、西村を軸に守備が強いチームであり、かつ守備力を強化の中心としたコンセプトで戦っていた。その中で引分けでいいのである。本当に夢の五輪出場が今まさに獲得できる、そんな期待があった。

 当日、東京は雨だった。僕はロイヤルボックスのすぐ左隣で期待に胸を膨らませていた。今から90分後始まる夢のビクトリーランを思って。

 運命のゲームが開始された。早々代表の動きがおかしい。1点のアドバンテージをもちながら、硬く見えるのは我が代表の方である。じっくり守ってカウンターを狙えば良いのに、何故かあせってボールを前に送ろうとして中国DFの網に引っかかる。逆に中国はロングボールをどんどん入れてくる。
 日本代表のDF陣に乱れがでてくる。そして、絶句。

 夢ははかなく消えてしまった。こんなチャンスは2度とない、はずだった。守備偏重、心の弱さ、H&Aの経験不足、いろいろなことが言われた。が、全ては空しかった。最大の砦、韓国というチームがいなかったのに、ものにできなかった、僕はそれだけを思っていた。また、日本代表は漆喰の闇へ消え去った。奥寺というプロ選手、武田、堀池という有望な若手を抱えながら、韓国というハードルを除去された大会でも、代表はアジアの壁すら超えられなかった。

 この夢が実現しそうになる、そんな感触を持つのは、ラモスの帰化、そしてカズが帰ってくる数年後まで待たなくてはならなかった。

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