コアラまーち
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■欲求不満が残る敗退〜USA戦〜

こんなにゲームの中で、自分の気持ちが動いたケースは少ない。USA戦はそんなゲームだった。前半、ペースは完全にUSA。日本はブラジル戦の精神的疲労があるのか、足が動かない。が、USAの攻撃はまったくこわくない。サイドは割られるが、センタリングは上げさせない。ペースはUSAだが、日本はそれをうまく受け流している感じである。そこに柳沢の得点。気持ちは完全に日本優位である。この時点で僕は3−0の完勝を予想していた。

が、しかし後半が始まっても相手のペースは変わらない。前半受け流して、後半相手が疲れたところに強烈なプレスをかけるであろうと思っていた予想がはずれ始める。相変わらず日本の出足が鈍い。それに比べてUSAはスキルはないが、必死である。追う、蹴るという基本を徹頭徹尾繰り返す。戦術もクソもない、ただ基本の走るを繰り返す。その気迫に日本はたじたじとなっていく。
やばい、と僕は思い始めた。サッカーの良し悪し、技術の高低でなく、気持ちで負け始めている。

後半同点に追いつかれ、高原が素晴らしいプレーで引き離してもこの気持ちは変わらなかった。あと数分、僕は勝つことを確信したと同時にこれで勝ったらラッキーだと思った。今日は勝負では勝ったが、気持ちでは完全に負けていたと思った。

その時にあのPKである。あれがPKなのかの是非はここではいいたくない。
どうしても日本よりの見解になってしまうから。
ただあの時正直に思ったこと、神様はやっぱりみてるよな、だった。
神は、このゲームをより真剣に戦っているチームに最後のご褒美を与えたのだ。

延長、流れからして僕は半分あきらめかけていた。そんな時TVの映像にジョホールバルがだぶってみえた。照明の関係か、TV映像の関係か、ジョホールバルの黄色くみえたピッチと今日のピッチが同じようにみえた。そして攻撃するサイドもあの時と同じだった。僕は最後の期待を念じた。
そしてあの時の岡田監督のように、勝負をかけて欲しいと思った。この憂鬱な気分を変換するのは、選手交代しかないと思った。

トルシエは多くの批判(無責任な批判が大多数だが)に耳を貸さず、1人2ポジションを目指し、ほぼ完成させた。チームに遠藤や宏太を帯同させ、22人が1つのチームだと強調した。これはどう考えても、誰が替わってもチームとして機能することを目的としたものである。

しかし、トルシエは選手交代をしなかった。彼は最後に自分のコンセプトを捨てた。これでは、ドーハの時の代表と何も変わらない。

PK戦、僕は80%あきらめていた。またナカタを出すなと念じていた。
全てが悪い方向になびき、日本のオリンピックは終わった。
僕は声も出なかった。ウチのソファーにぐったりともたれかかり、動けなかった。そこには何の感情もなかった。思ったのは60分時計を逆回ししたい、その気持ちだけだった。

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