ぼくたちのワールドカップ 2002
 韓国ソウル ワールドカップが始まった 
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◆それはまたしても突然だった・・・
 「あなたぁー、開幕戦行く?」我が最愛の奥様がとんでもないことを言い出したのは、開幕を目前に控えた5月13日のことであった。なんでも、サッカーに興味のない友人が開幕戦2枚を懸賞で当選させたらしい。
 「い・い・いぐぅー、かな?#&%$」既に国内観戦の予定を立て、会社へも有休の申請を終了していた僕は歯切れの悪い答えになってしまった。
 
 神様は偶然の出会いを呼ぶのだろうか?5月15日、僕はあるワールドカップ関係の会合である韓国関係者と懇談した。韓国はいいですよぉー、安いですよぉー、スタジアムも最高ですよぉー、この甘いコトバにぐらつかないわけがない。しかし休みがとれるのか・・・。
 神様は偶然の出会いを結びつけるのだろうか?その翌日、僕は某新聞社にて打合せをしていた。そこにその新聞社に勤務する韓国通の方がたまたま現れ、僕は気軽に尋ねた。「安く韓国まで行けますかね?」簡単だった。2泊のホテル付で超格安の代理店を紹介してもらった。そして僕の韓国行きは決定してしまったのである。

◆5月31日開幕戦
 成田発の午前便に搭乗し、仁川空港に到着、その後ホテルに着き早々にソウルワールドカップスタジアムを目指した。ホテルからスタジアムまでは地下鉄で7駅、時間にして20分足らずである。当日は19.30より開幕セレモニーがあると聞いていたので、17.00にホテルを出発し、スタジアム周辺の雰囲気を楽しもうと思っていた。17.30、スタジアム駅に到着。新築、しかもW杯スタジアム用に作った駅だからだろうが、コンコースや改札がとても広い。そのため、この時間に関わらず駅や改札で混雑するということは全くなかった。浦和美園駅はどーなってしまうのだろう・・・、僕はそんなことを考えていた。
 駅を出ると目前に大きな噴水、そして左右にエスカレーターがあり、それを上るともうスタジアム入口である。その外周においては、公式スポンサーのありきたりなブースや「あなたはカミを信じますかぁー」のいかがわしいアンケート等が行われていた。ちなみにこのアンケート部隊は赤い十字架をマークとしていたため、僕は「Come On!ENGLAND」と微笑みながら言ってしまった。(相手は何だかさっぱりわからなかった様子だったが)

 しかし、上記は主役ではない。見渡すといる、いる、いる。トリコロールのフェイスペイント、ベレー帽、そしてフランスパン、もちろんあの青いユニホーム。現世界チャンピオンのサポーターが誇らしげに、そして楽しそうに闊歩している。その数はおびただしい。ようこそ、Far Eestへ。そして多くの韓国人、ブラジル人もいる、もちろん日本人も。まさに世界の祭典が始まった実感が僕の心に押し寄せた。が、もう一方の主役、セネガル人がいない。やはり日韓は遠すぎるのだろうか、そう思った時目の前を白いレプリカを着た集団が通り過ぎた。いたぁー、セネガルサポだ。彼らはアフリカサッカーのごとく優雅にかつ変則的なリズムで闊歩していた。そして僕らのワールドカップは遂に開始されたのだった。

 そして開幕セレモニーが始まる。オリエンタルモードのセレモニーもなかなか良かったが、ここソウルで君が代を聞いた時、またその君が代を観客全員が起立して聞いていた情景を見て、僕は何か感激してしまった、そして少しだけ韓国が好きになってしまったようだった。金大中の演説が始まる、大きな拍手、そして小泉首相の時も拍手、尤もプラッターの時だけブーイングだったのには笑ったが・・・。

 ゲームは・・・セネガルが勝っちまった。何となく予感はあったんだよね。開幕戦のアフリカチームといえば、誰でも90年のオマンビイクのヘディングを思い出すでしょ。おフランスはどうなってしまうのでしょうかねぇ。


 ゲーム終了、僕はスタジアム近辺に駅がひとつしかないこと、明朝早くウルサンに出発しなくてはいけないことを考慮し、早々にスタジアムを後にした。もちろんかなりの人渋滞を予想してである。が、びっくりするほど人の波はスムーズにはけていく。そして僕らが地下鉄乗車したのは23.00頃、すなわちゲーム終了から30分程度しか経っていない時間であった。あれだけ駅が近いのに何故?まるでイングランドのスタジアムのようである。日本のスタジアムは何か根本的なシステムが欠如しているのだろうか?ともかく驚きであった。 

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