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 カントクの寝言  五輪3連戦 その3(2004.3.23)
  

◇3月18日 vsUAE(国立)


 正直当日の朝まで迷っていた。国立に行くか?西が丘に行くか?を。最大の恐れはバーレーンがレバノンと”握って”出来レースをすることであり、それをさせないためにも西が丘でレバノンの動向を観たいと思っていた。しかも国立はまちがいなく5万人で埋まり、西が丘はおそらく数百人であろう。5万分の1よりは、数百人分の1のほうが、結果として日本のサポートにもなる。こんな思いがあり、17日朝はほぼ西が丘行きを決めていた。しかし17日ににわかに2chが動き出す。そして西が丘でのレバノンサポート部隊が(実数は不明だが)どんどん大きくなってきた。西が丘にもし数千人入れば、行く意味は薄れる。天邪鬼なオイラはそう考え、西が丘行きを躊躇し始めたのである。

 2chでの投稿は相変わらず増加している。さらに2chらしく、その意見は百花繚乱であり、日本の代替でレバノンを応援するのは失礼だとかのおかど違いの意見も出始める。そんな意見を読みながら、オイラは段々西が丘行きの気持ちが萎え始めた。ただひとつ、「西が丘でニッポンコールをしたり、日本のユニを着たりするのはやめよう。テーハミングと一緒になる。」という意見には痛く同調したのではあるが。

 結局オイラは国立行きを決定した。そして、さくらやで3000円のラジオを購入し、1830に国立に到着した。目前の日本代表を応援しながら耳では西が丘の経過を聞く。那須のゴールが決まっても、西が丘は動かない。結局、国立は2−0、西が丘は1−0で前半を終了する。この時、レバノンは”握っていない”ことをオイラは確信した。ラジオのイヤホンを外し後半は日本代表に集中する。そして後半12分、UAEの10番が退場になり日本のアテネ行きを確信した。

 山本さんの「西が丘でサポートしてくれたファンに感謝する。」という一言を聞き、オイラは1−1で終了したウラのゲームに思いをはせた。そしてバーレーンに、またレバノンに対し失礼な気持ちを少しでも所持したことに恥じた。その晩西が丘に行った友人から、あるいは翌日の電波で聞いたところによると、バーレーンは観客に挨拶することなしにスタジアムを後にし、また監督は記者会見をキャンセルした。さらに、なんでレバノンは手抜きしないのだ、との主旨の感想を近傍の記者に漏らしたそうだ。一方、レバノンはゴールの際、日本サポーターのところに駆け寄り、またゲーム後はサポーターと記念撮影までしたそうである。オイラは、決してここでバーレーンの態度を非難したいのではない。バーレーン監督が近傍に漏らした一言は、”握り”がなかった証左であり、選手の態度はアテネを逃がしたショックである。またレバノンは応援してくれたサポーターに対し、感謝の気持ちを態度に表したわけである。すなわち、この2チームは”ガチンコ”で一生懸命戦ったのである。これぞスポーツマンシップの原点であり、オイラが自分自身を恥じたのは彼らのこのような気持ちを疑ったことに起因する。

 ただよく自分の身になって考えてみれば、(例えば日本が何のスポーツでも構わないが、この日のレバノンの立場になって韓国と対戦したとしよう)韓国のために手抜きをしようと思うだろうか?韓国には絶対にアテネに行かせないと考えるか、もしくは自分達のゲームをしっかりしようと思うか、その意図は様々だが、手抜きなんて誰も考えないはずだ。それがスポーツであり、かつスポーツにおける隣国との関係なのではないか。それは当然中東にも該当するはずだ。日本人は恵まれすぎている、もしくは自分達だけが正義を貫くという自意識過剰によって、相手(特に中東やアフリカ等の未知の国)に対して、あまりにも見下した感情を持っていないか。そんな思いを持った西が丘での出来事であった。


 ともかく苦しかった予選ではあったが、日本は何とか突破できた。そしてオイラ達に「予選」というものを思い出させてくれた。そして”ゆるい”と非難の対象であったサポーターは、日毎にひとつになり、様々な問題を積み残ししながらも、ウズベク戦の雰囲気までには到達しないにせよ、”熱く”変貌しつつあると感じる。

本日の戦利品

 さて、この予選を見てジーコは何か考えているのだろうか。その前にこの予選をちゃんと観ているのだろうか。次は是非「チーム」としてのA代表を観たいのだが、その希望はいつかなうのだろうか?

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