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 6月24日 ポルトガルvsイングランド in Lisbon
 「ポーチュガル ポーチュガル」
 
フランス代表のバス
ロッシオ広場はイングランドが占領!

 

 

ポリスとの写真もお約束
サポ交流1
サポ交流2
Estadio da Luz
ポルトガル凱旋
翌日の新聞

 

 

◇フランスがやってきた?

 10am過ぎ、遅いかつ豪華な朝食をとっていると、えだっちが「フランス代表が泊まるみたいですよ。今、マネージャーみたいな人が打ち合わせしてますよ。」等ととぼけたことをぬかし始めた。そりゃドイツは昨晩負けたから帰るだろうけど、代わりにフランスが来るなんてそんなうまいハナシはないのが当たり前、ということでオイラはえだっちの話も聞かなかった。んが、Tちゃんが連れションしたボランティアに尋ねたらあっさりと「うん。13:30に来るよ。」だって。ドイツの次はフランスかい!こりゃすんげぇホテルじゃ。
こんなホテルで こんな部屋

 そんなわけで本日午前はカスカイス線の先にあるポルトガルの国立競技場(何でも由緒正しい所らしい)に行く予定をキャンセルし、13:30までにホテルに帰ってくるために近場観光で決定。中年オヤジのオイラ的には正直言って夜のサッカーとその後のメシだけでハラいっぱい、体力限界なんで、観光でぐるぐる歩くのはキツイ。というわけで、13:30までにホテルへ帰るっていう提案には諸手を挙げて大賛成。サインはあんまし興味ないけどね。

 で、とりあえずマチに出ると、昨日はそれなりに平穏であったロッシオ広場がイングランドサポーターに占領されていた。今日の相手はホームのポルトガルなのであるが、これではどちらがホームなのかわからない状態。いつでも、どこでもイングランドサポ恐るべしだ。きっとLisbon中のビールが一瞬でなくなるんだろうなぁ。その後、Tちゃんとえだっちはフランス出迎えでホテルへ戻り、トモコさん、なおちゃん、オイラの中年家族トリオはバッタ屋やスポーツ屋での掘り出し物散策へと移動した。が、Lisbonっていうマチはソウルの東大門やパリのリボリ通のようなバッタ街がなく一苦労。本来は3大ビッグクラブ以外のレプリカが欲しかったのだか結局見つからず中年トリオも15:00頃にホテルご帰還となった。

 ちなみに出待ちコンビはフランスが予定より早くホテルに入ってしまったため、サインゲットはできなかったそうだ。しかしTちゃんがメキシコから来たダニエルという少年と仲良くなり、彼からの情報でチームは17Fに宿泊していることが判明した。ちなみにこのダニエル、こんなホテルに泊まっているのだから金持ちなんだろう。(まあオイラ達も泊まっているので違うかもしれないが)昨晩はドイツの、今日はフランスのレプリカを着ていて、結局翌日にはフランスチームのマネージャーかなんかに話をつけて、そのレプリカを渡していた。きっとお父さんが実力者なんだろう。うらやまぴー。なんて思っていたら、エレベーターにドゥザイーが・・・。写真を撮ろうとしたらエレベーターのドアを開けてシャッターが下りるのを待ってくれた。いい人だ。


◇強烈なゲーム

 さて本番のポルトガルvsイングランド。今晩はポルトガルで最も人気のあるクラブ ベンフィカのホームスタジアム"Estadio da Luz"でのゲームだ。場所はホテル最寄のメトロ駅より2つ目とオイラ的には便利な場所にあり、これまた駅からすぐ傍がスタジアムである。

 スタンドに入ると、ロッシオ広場同様、イングランドサポの数、声に圧倒される。数的にはポルトガルサポがやや有利だが、圧力は圧倒的にイングランド。この日のために髪を赤と緑にスプレーし、加茂のバーゲンで買ったポルトガルのTシャツを着てきたオイラは肩身の狭い思いをする。

 そして早々にオーウェンのビューティフルなゴールでイングランド先制。1次リーグで主役をルーニーに譲った感のある元祖ワンダーボーイのゴールはイングランドに大きな勇気を与える。だが一方、98年アルゼンチン戦、02年ブラジル戦とオーウェンのスーパーゴールが決まった大試合でイングランドは必ず敗れている。一体これからどうなるのか?相変わらずイングランドサポが元気なゴール裏の片隅でオイラは固唾を飲む。
 ルーニーが怪我で退場後、ポルトガルが優勢にゲームを進めるが点は入らない。そしてついにフィーゴがOutする。代わりに出たのは今大会初出場のポスティガ。スコラーリご乱心か?と思われた83分、そのポスティガがゲット、1−1、ゲームは振り出しに戻る。

 それにしてもスコラーリ。采配がズバズバと当たりまくり。フェルナンド・コウトを、ルイ・コスタを、そしてポルトガル最高のサイドバックといわれるパウロ・フェレイラを先発から外し、その後もヌーノ・ゴメスを始め、交替で入った選手が結果を出す。一時期、ブラジルのW杯優勝の名誉を獲得し、ポルトガルの監督は趣味で引き受けたとか揶揄されていたが、逆にポルトガル優勝のために国内で絶対の支持を得る前述選手を外すため「わざ」とギリシアに負けたなどと言われることを信じてしまいたくなるほどの素晴らしい采配。

 そしてゲームは延長に突入。後半5分、ついにルイ・コスタが決める。0−1時点ではおとなしかったポルトガルサポーターも沸点に達し、スタジアム全体で「ポーチュガル、ポーチュガル」の大声援。しかしこれでオワリ(おそらく60%位の観客がVゴールと錯覚していたようだ)ではないこと。イングランドサポが最後の反撃に。「チャチャチャチャ イングランド」「ポーチュガル」「イングランド」スタジアムは隣の声なんか全く聞こえないほどの大音響。で、10分ランバードが・・・。

 遂に熱戦は2−2のタイで終わり、PK戦へ。素手でバッセルのシュートを止めたばかりのGKリカルドのシュートがネットを揺らし、そしてポルトガルSF進出が決定した。


◇ポーチュガル、ポーチュガル

 オイラ達は歩いてホテルへ帰ることとした。ポリスに聞くと"so far"と言われたが、メトロに乗っていた感覚ではせいぜい1時間程度。ルス駅の混雑回避もさることながら、オイラ達はこのゲームの興奮を歓喜をポルトガル人達とわかちあいたかった。いや第3者としてその言い方は不遜だろう。ポルトガル人の歓喜を見て自分達もおすそわけを貰いたかった、というほうが正しいだろう。

 沿道は歓喜のサポーターで埋まった。笑顔、大声、歌、クラクションを鳴らして走るクルマ・・・、だがこれらの光景は2年前の日本でも見られたものであった。オイラが感激したのは、沿道の家々からサポーター達に対して国旗や手を振る(おそらく)TV観戦していた普通の老若男女の姿である。日本に例えると、等々力から武蔵小杉駅に戻る道の家々のイメージが近いかも知れない。その家々の普段は熱狂的なファンでない人々が窓から手をふる、声を出す、そして多くの人々が沿道に繰り出し、サポーター達と歓喜をわかちあう。たまたま髪の毛を赤緑とし、ポルトガルのTシャツを着ていた中年東洋人も強引に彼らの輪の中に入れられる。「ポーチュガル、ポーチュガル」オイラが叫ぶと、「オブリガード、ジャポン」。この老若男女(とは言え、何故かオイラの周囲はいつも「老」「女」だったが)との喜び合いはこの旅の大きなハイライトであった。

 

   

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