ぼくたちのワールドカップ 2002
 横浜  腰がぬけた 
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6月9日

◆時間

 先制点が入った時、電光掲示板の時計は51分を示していた。今から残り時間を計算する時間帯ではない、そんなことはわかっている。でも70分になったら、後何分と計算しても良いだろう。それまでは我慢しよう。期待はしないが、できたら70分までにもう1点取ってくれ。そうしたら、この心のドキドキが少しは収まるかもしれない。
 何回も時計を見る、62分。あれからまだ数分しか経っていない。時計を見るのも我慢する。多くの時が過ぎた気がして時計を覗く。なんと65分。あれから3分しか経っていないのか!ナカタのロングシュートがバーを直撃する、柳沢がフリーを外す。ゴンちゃんが出る、小野と服部が交代する。いつもなら、そのひとつひとつの意味やプレーに納得したり、批判したりする僕なのだが、今日はそんな余裕はない。交代の意味も理解しようとせず、ともかく日本の応援を続ける。気が付けば、いつもはじっくり見る派の僕が大声でニッポンコールをしている。
 

 時計の針は80分を示す。あと10分。後ろのヤツが「あと10分だ」と叫ぶ。バカタレ!言うな。言うと負けるんだ。しかし、僕のあせり、いやな予感とは別にピッチの選手たちはそこそこの余裕を持って対応しているようだ。少し安心する。
 85分。後5分。もちろん、もう1点、なんて望まない。早く時が経つことを望むのみ。そしてロスタイム、第4レフェリーのボードには「2」の字が浮かぶ。それからのことはよくわからない。僕はゲームではなく自分の腕時計とにらめっこしていたようだ。その時計が(自分の計算では)1分28秒を指した時、遂に歓喜は訪れた。

 叫びにならない叫びをあげ、周辺の知らない人々と抱き合う。泣いた。笑った。叫んだ。腰がくだけた。そして本当に泣いた。このうれしさを、この喜びをどう伝えたらよいのか、さっぱりわからない。30年待ったなんて、くだらないことは言わない。J以降にサッカーファンになった人達、いやナカタしか知らないギャル(古い?)だって立派なサポーターだ。みんなで喜ぼう。ばんざーい!ばんざーい!ばんざーい!

◆ハイタッチ

 勝利の心地よい余韻をスタジアムで満喫し、ゆっくりとスタジアムを後にし、奥さんとの待ち合わせ場所に向かう。行き来する人混みも何故か心地よい。あちらこちらでニッポンコールが起きている。すごく幸せな気分だ。1次ゲート(荷物検査の場所)に到着する。ボランティアが並んで「ありがとうございました。」の最近見慣れた風景に出会う。が、ある一人の若い青年ボラが「おめでとう!やったー!」と叫んでいる。見ると、帰りがけの観客ひとりひとりとハイタッチをしている。僕も彼とハイタッチをして、ゲートを出る。まあ、たまにいる元気な青年だよな、くらいの感想で・・・。そして0.5次ゲートに向かう橋の上を歩いていると、妙に前のほうが騒がしい。見ると、老若男女のボランティアの方々が1列に並んで観客とハイタッチをしているではないか!

 多くを語る気はない。ただ一応運営側にいて、ルールに縛られているはずの彼らが本当にうれしそうだ。ハイタッチで観客と完全に一体化している。素晴らしい光景だった。見るだけじゃつまんない。もちろん僕もハイタッチの列に入る。「おめでとう」「ありがとう」「おつかれさん」普通のコトバのひとつひとつがとても感動的でかつ重い。ハイタッチの心地よい痛さの繰り返しに、僕は今日2度目の涙を流していた。

◆待ち合わせ〜東京駅

 待ち合わせ場所には、奥さんが先に到着していた。(ベルギー戦に続き、今回も全く離れた席での観戦だった)奥さんを見つけ、拍手をしながら僕が近づく。「つかれたぁー、泣いちゃったわよ。」と言った奥さんに対し、「へぇー」と返した一言が鼻の奥で詰まっていたことを彼女は気づいただろうか。
 
 臨時増発の新幹線で東京駅へ戻る。すると閑散としている深夜の駅に突如ミドリの集団が現れた。宮城から帰ってきたメキシコのサポーター達である。「メヒコ、メヒコ」僕が大声でエールを送るが、テキーラオヤジたちもド疲れなのか、少々ノリが悪く無視される。ひるまず別の集団のセニョール、セニュリータに「メヒコ、ヘヒコ」食いついてきた!
「メヒコ」「ジャポン」「メヒコ」「ジャポン」「ガルシア・アスペ」「ナカータ」わけのわかんない深夜のエール交換が続いた。
「メヒコ ウィン ナイスゲーム。でもジャポンもウィン。meet at fainal!」(話したまんま)でも通じた。メヒコとハイタッチして別れた。とっても楽しかった。大分ではメヒコを応援するぞぉ。

 本当に素晴らしい1日だった。おやすみ。

 

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