ぼくたちのワールドカップ 2002
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今、日本という国の大多数は、「韓国を応援しよう」という論調である。しかし、この「応援」というコトバを軽々しく使って欲しくない、今の僕はそんな気持ちでいっぱいである。
 
 たしかに昨日の韓国代表は素晴らしいサッカーをした。それは数時間前の共催国の最終戦と異なり、おそろしく魂のこもった感動的な戦いであった。それゆえ、もしもあのままPK負けしたとしても、ことサッカーゲームに関すれば韓国代表を称える。
 また韓国は共催の良きパートナーである。僕自身、開幕戦に韓国へ行き、ボランティアを始めとした多くの韓国民に世話になり、それは楽しい旅の思い出を作らせてもらった。
 しかし、以上はあくまで一外国のチームが素晴らしい戦いをしたことだけであり、またパートナーとは市民レベル、文化レベルの交流等において多大な効力を発揮するかもしれないが、あくまで共催という運営面の共同国であるに過ぎない。

 その韓国代表サッカーチームを、日本国民は何故、日本代表と同じ様に「応援」しなくてはならないのか、もしくは「応援」しようとする気になるのか、僕にはさっぱりわからない。例えば、セリエAが大好きである、したがってアズーリを応援する、同様に韓国サッカーが大好きだから応援する、ならば何の問題もない。むしろとても純粋な気持ちであると思う。しかし、共催のパートナーということと、サッカーという競技は全くの別物である。したがって、パートナーであるから、韓国チームを応援するという気持ちは、はっきり言って政治的要素を含む韓国コンプレックスに他ならないのである。

 僕は昨晩韓国のゴールが決まった瞬間TVを消した。韓国に負けて欲しかったのである。僕は日本代表を「応援」している。そのスタンスから言えば、2006年同じ予選を戦わなくてはいけないアジアのチームが日本代表以上の成績を残すことに嫉妬を感じたからである。その希望が実らなかった今も、それでは代わりに韓国を応援しよう、なんて気持ちにはどうしてもなれないし、なる気もない。
  
 軽々しい「応援」及びそれが美しいことだと褒め称えるマスコミは、他国のユニホームを着て六本木で騒いでいる若者と同等、世界からはおそらく奇異に映る光景であり、日本が稚拙に見えるであろう。さて、クォーターファイナル、僕はもちろんスペインの快勝を望む。

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