FRANCE World Cup 98 part1
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6月14日 東京 アルゼンチン戦前

 FIFAの大会ソングが会場に流れ、代表がアルゼンチンと並列に入場した。何年これを待っただろう。遂に我が代表が本大会に登場した。が、TVだからだろうか、あまり感動はない、JBや日韓戦のような胃の底にズシンと石を落としたような緊張感もない。
これからが本番なのに。僕はやっぱり出るだけで満足だったのか、出ることに意義というか夢は果たしたという感じか、気分は思い切り楽であった。

 君が代が流れた。選手がクローズアップされる。何と中田が歌っている。ゴンやカズでなく中田が君が代を歌っているのだ。涙腺がゆるんだ。彼が内も外も遂に本気になった気がした。出ることで夢を果たしたと思っていた自分が恥ずかしくなった。まぎれもなく代表は本気で勝ちにいく気でいた。

 ふいに思った。日本は強い、変わったと。
あの予選の時の不安さはなくなっていた。そしてKAZUの時代は終わり、若い世代に変革した。繰り返す、日本は強くなった。

6月14日 東京 アルゼンチン戦

 満足な結果である。試合終了のホイッスルがなった瞬間、負けたにもかかわらずどちらかと言えば安堵のため息が体からでた。負けて安堵もないが、0対1、認めたくないがこれはやはり出来すぎと評価せざるを得ない。やはりこれが今の日本代表の実力であろう。

 TVだとよくわからないが、おそらく岡田氏は攻めも守りも考えていた。MF以下はアジアモードより数メートル後方、FWは前線でプレスの陣営、必然名波、山口ラインとFWラインに穴が空き、守りはできるがパスが前線に繋がらない。相手の攻撃は止められるが、生きた球を供給できない。山口からの前線へのフィードはセンシーニが絶好のポジションにてことごとくカットする。特に派手ではないがほれぼれするポジショニングであった。

 それでも前半は気持ちだけでも積極的であったが、バティのゴール以降高校生大会のクリアーレベルに落ちる。クリアー、相手MFに拾われ反撃、の繰り返し。2点目は時間の問題と言えた。結局その攻撃を耐えたこと、0対1だったこと、それが冒頭の「安堵」となったに違いない。

 但し戦術面では不満が残る。何も無理やり攻めにでろとは言わない。が、ゴン、城がかなり消耗していたのは事実。同じ戦術であってももっと早くFWの交代が必要であった。交代した呂比須のイキイキさがかえってその気持ちを増幅させた。
振り返れば不満は残る、改善の余地もある。
ただ相手の状態がどうあれ強豪国に対し、失点1、得失差―1は正当に評価すべきである。
何しろW杯は真剣勝負なのだから。

6月19日 日本〜パリ

 まずは6月11日のチケット問題から書かなくてはならない。発端は10日の夕刊、アルゼンチン戦のチケットの8割が旅行代理店の手元にないという報道である。
誰でも不幸は他人事、自分に災難はふりかからないと思う。当然僕も1週間後は大丈夫とたかをくくっていた。

 が事態は最悪、11日まず大友氏より心配のTELが入る、彼曰く、クロアチア戦も苦しい事態であるとの事。東急にTELしてもアルゼンチン戦が終了しないと状況の判断はできないと、この一大事にまるで観光旅行のような対応。

 午後、再度大友氏からTELあり、クロアチア、ジャマイカのどちらか1ゲームだけなら手配できる代理店を紹介すると連絡が入る。
一生懸命考える、何故代表の記念すべき、しかもアルゼンチン相手というインパクトのあるゲームを捨てて、後の2ゲームに参加したか。僕は代表の勝利をどうしても見たかったからだ。
それではクロアチア戦をあきらめるか。できない、もしクロアチアに負けていればジャマイカ戦は例え勝ったとしても味気ない、予選敗退決定後の試合となってしまう可能性が高い。クロアチア戦も捨てられない。

 そもそも30年、本当に30年待って叶った念願である。自分勝手にさせてくれ、つまらない事で妥協なぞしたくない。結論は何があっても2試合みる、それしかなかった。

 ここで指田氏、大友氏の紹介してくれた代理店社長の登場である。見ず知らずの他人であった指田氏にTELでねばった。どうしても、どうしても2試合なんとかしろーーー。

 熱意が通じたのか、TELでのリアルタイムでホテルが、エアーが決まっていった。僕はフランスにいけることになった。唯一クロアチア戦が1枚だけという問題を積み残してはいたが。東急バイバイ、MAX&大友氏ありがとう。
でも一言、本音でチケットはやばい、代理店を変更した方がいい、と言ってくれた
東急の担当女史には感謝、ただ2度と東急は使わないことも決定!ともかくいざ、おフランス!というわけで今日を迎えたのである。

 成田から13H、やっとシャルルドゴールに到着、ホテルまでの案内役のおばちゃんと出会う。一緒のツアー客(ここで始めてわかる)は僕と同じ年位の女性2人組と夫婦。が、だんながイナイ!どうやら酔っ払って迷子になったみたい。とりあえず奥さんが探してきて一件落着。この2組がこれからずっとツアーをともにして、結果的にとっても仲良しになってしまった須賀夫妻と八重子・万里子姉妹であった。

 プロフィールは後にするとしてともかくW杯にふさわしくない年格好の3組(僕らを含めて)であった事だけ書いておく。

 旅行おばちゃんの何のガイドもないまま車で1Hパリの南端ホリディインオルリーに到着。指田氏の出迎えをうける。ホテルはまあまあのクラス、最初から期待しているわけじゃないけどとりあえずきれいで安心。名波のおやじさんと後援会も同宿だ。名波ファンの女の子の日の丸に「左で世界へ」と書かせてもらった。長旅の疲れもありホテルでパスタの夕食を済ませ寝る。ウェイターのイタ公が辞書を見ながら、たどたどしい日本語を話していたのにマル。大好きなスペインが引き分けたのに△。おやすみ。

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