home

 カントクの寝言  road to germany 蒼への思いpart2 (2004.3.4)
   part1  part2  part3  part4  part5  part6

◆94年W杯USA大会最終予選


 1次予選で難敵UAEに勝利し、いよいよ日本代表がワールドカップに近づいた。最終予選突破の困難さは充分理解はしていたが、それでも今までのアジアカップ等の戦いを考えると2位抜けは充分可能であると思った。日本代表のために、そして僕らの夢のために、一体僕は何をできるのだろう?何かしなくてはいけない。そう考えた僕は最終予選1週間前から酒を断った。

photo by footballをご一緒に

△93年10月15日 0vs0 サウジアラビア(ドーハ)

 実はこのゲームのことをあまり覚えていない。ただアジアカップで勝った相手だとは言っても、この段階でアジアno.1といえる相手に引き分けたのに安堵したことだけは覚えている。柱谷も病気から復調し、この時点では都並の穴も三浦康で充分埋まると思っていた。勝ち点を取る以上に相手に勝ち点を与えないゲーム、いよいよ本当に厳しい戦いが始まったと実感した。

●93年10月18日 1−2 イラン(ドーハ)

 どうも高木の動きにキレがない。そう思っている間にイランに2点をとられてしまった。せっかくサウジに引き分けたのが無駄になってしまう。僕は悔しくて、残念で終了前にTVの前を去ってしまった。その後、ゴンの1点が決まったことをベットで知る。僕はこの1点がものすごい宝物の予感がした。最後の最後で決まった1点、得失点差が重要な厳しい予選でこの1点が最後の最後で日本をUSAに導いてくれる気がした。

○93年10月21日 3−0 北朝鮮(ドーハ)

 マスコミは後がなくなったと騒いでいたが、まだ3試合もあり僕はそこまで悲観していなかった。それよりも相手がワンランク落ちるはずの今日のゲームを快勝すること、そうすれば必ず次につながるというポジティブな考えがあった。これもイラン戦のゴンの1点があったからこそなのであるが。ゲームは予想通りの快勝であった。そしてともかく次の韓国戦で全てが決まると思った。

○93年10月25日 1−0 韓国(ドーハ)

 ノジュンユンの飛び込みに松永が決死のセービング。井原の強烈なシュート。序盤こそ拮抗したゲームであったが、前半中頃からペースを握った日本は完全に韓国を制圧した。カズの得点も見事であったが、こんな真剣勝負の中でこんなに安心して韓国戦を観られるとは夢にも思わなかった。ただゲーム終了後の日本選手の喜び方には少しの疑問が残った。たとえこの日の暫定順位が1位だとしても、最後のゲームを勝利しなくてはUSAへは行けない状況はそんなに変わりはないはずである。しかし翌日の新聞もまるでW杯出場が決定したかのはしゃぎようで、少しイヤな予感がしたのは事実であった。

photo by footballをご一緒に

△93年10月28日 2−2 イラク(ドーハ)
 

photo by footballをご一緒に

 長谷川健太のポストに当たったシュートをカズが押し込む。ゴール!僕は早すぎると思った。そしてその予感は的中し、後半開始からイラクの怒涛の攻撃が始まる。そして同点。その後も肝を冷やす守りが継続する。苦しい展開の中、ゴンがオフサイド(気味)に抜け出し遂に勝ち越す。そして後半も後わずか。僕は韓国戦で活躍した北澤を入れろとTVに向かって叫んだが、交代で出場してきたのはなんと武田であった。後2分、僕はTV前で立ち上がり(やや恥ずかしいが)奥さんの手を握っていた。武田がセンタリング、時間稼ぎなんか気にもしないようなセンタリング、それをDFにカットされフィード、しかしラモスがさらにボールを奪い左サイドで所持、浮き球でDFを翻弄しようとするが、疲れからだろうか、それをまたカットされ、右サイドを駆け上がられる。シュート、松永がパンチングでコーナーに逃げる。そしてロスタイムに突入。

 後に”ドーハの悲劇”と言われるあの場面の1〜2分前の状況を僕はまるでVTRを何回も見たように覚えている。もちろん生で観た後、一度としてこのゲームを観たことはないのだが、それでも何故か覚えているのだ。またこの時点で僕は武田のセンタリングを容認している。何故ならば、ロスタイムを含めまだ5分程度は残っていると思っていたのだ。最後のゲームにロスタイムはとらないという常識、主審からFIFAからイラクを嫌っているという背景、それらの何も僕は知らなかった。そしておそらく代表選手もオフトもそれを知らなかったのではないだろうか。だからこそ、もう1点を目指して武田はセンタリングを上げた、のだと思う。今のサッカーでは高校生もやっているコーナーでの時間稼ぎをW杯を目指す代表選手もサポーターも知らなかったのではないだろうか。それほどナイーヴだったような気がする。

 イラクのコーナーキック、ショートコーナーから上がったセンタリングはイラクFWのアタマに、そしてゆっくりとした悲しい軌道でボールは・・・。
 愕然とした。茫然自失だった。何か絶対にとりかえしのつかない喪失感があった。それからの2日間、僕は廃人だった。あの場面を思い出すたびに、心の底が痛み、その度に大切な何かを失った気になった。もしもあの場面に戻れたら、何回それを考えたことだろう、そしてそれが絶対に無理な摂理であることをそのたびに思い、また心が痛くなった。その繰り返しが継続したのである。しかし、何故か泣けなかった。そう涙は流していなかったのだ。

誰もいなくなったスタジアム
photo by
footballをご一緒に

 

  part1  part2  part3  part4  part5  part6  home 
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送