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 カントクの寝言  road to germany 蒼への思いpart3 (2004.3.4)
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◆98年W杯フランス大会最終予選1 


 気持ちは大きく揺らいでいた。97年のアジアカップでクウェートのカウンターに沈んだ後、さらにキングスカップでも不安を覗かせる我が代表。しかしオマーンでの1次予選を3戦全勝し、クロアチア、トルコを迎えたキリンカップでも優勝と復活の目が見えた気がした。しかし日本での1次予選2ndラウンドでは台風の中、中田の先制ゴールがあったに関わらずオマーンと引き分けてしまう。そしてブラジルにも惨敗。この当時言われていた、中東カウンターサッカーへの弱さを含めて、何か不安なまま僕は97年の秋を迎えたのである。

photo by footballをご一緒に

○97年9月7日 6−3 ウズベキスタン(国立)

 この日、僕は朝から緊張していた。そして今日のために出来る限りのゲンを担いだ。靴下は左足から履くとか、不吉なコトバは使わないとか・・・。そして国立に向かう。
 ゲーム開始前、僕はS席だったが横山日本の時のアウェイのユニを着たサポの方がゴール裏から移動してきてトラメガで叫んでいる。
「みなさん、今日は我が代表が絶対に勝たなければいけない大事な1戦です。お願いですので、声を出して手をたたいて日本代表を応援していただけませんでしょうか。音頭はゴール裏でとりますので、是非ともご協力のほどお願い致します。」
S席から大拍手が起こる。そして6万人のニッポンコールが開始される。お祭りでもなく、はしゃぐわけでもなく、6万人全員が日本の勝利を願い、熱くピンと貼った緊張感の元、同じ気持ちで日本代表をバックアップしている。僕はこれほど観客が一体感を持ったゲームは、後にも先にも、もちろん02年のW杯でさえも知らない。この日の国立は本当に熱かった。

photo by footballをご一緒に

 カズと城がキックオフ直前に2人で片膝をつきセンターサークルにあるボールに手をかけて願っている。国立は最高潮。そして異様な雰囲気の中でキックオフ。井原が何故、そこにいたかはわからない。が、井原が相手DFに倒されPK、カズが決める。この時のカクテル光線が僕には後光に感じた。そして日本代表は次々に得点し、前半終盤にはそれまでチャンスにはずしまくっていた城がゴール裏の暖かいジョウショウジコールに後押しされ遂に4−0、これ以上ないスタートとなる。しかし後半から日本はリズムを崩し、結局6−3という荒れたゲームとなった。前日韓国が同じく3点差でカザフスタンを退けているため、今後のことを考えると是非4点差としておきたいゲームであったし、充分それが可能な展開だったためある意味残念なゲームであった。

【第1節終了時】
日本3(+3)韓国3(+3)ウズベキスタン0(−3)カザフスタン0(−3)UAEゲームなし 

 

△97年9月19日 0−0UAE(アブダビ)

 井原の完璧なヘディングシュートがUAEゴールに向い、完璧な軌道を描く。入った!勝った!と思った瞬間、何故かゴール前に残っていた小村が足を伸ばす。「あー」僕はレフェリーを見る以前に既にあきらめた。完全なオフサイドであった。確かに中東での引分けは決して最悪の結果ではない。しかし、韓国が2連勝した今、翌週の韓国戦(HOME)がどうしても勝たなくてはいけないゲームとなってしまっただけに、あのオフサイドは痛かった。

【第3節終了時】
韓国6(+4)UAE4(+4)日本4(+3)ウズベキスタン1(−4)カザフスタン1(−7) 

 

●97年9月28日 1−2韓国(国立)

 「今度の日曜、Sの送別会をやるんです。来て下さいね。」
とても仲の良かった後輩が浜松に転勤する送別会は、よりによって9月28日に開催されることとなった。もし、負けて辛気臭いカオして行けないよな、オイ、今から負けることを考えるなんてなんだ!、でも万が一ってこともあるし、迷惑かけると悪いから出席の返事はできないな、でもSの送別会に僕が欠席するのはあまりにも失礼だし・・・。アタマの中でのこの行ったり来たりが約10秒。そして僕は答えた。
 「もちろん出席するよ。」

 そして当日。実はこの日の記憶が僕には断片的にしかない。よってまちがっている部分があるかも知れないが、何か文献を調べて書いたのでは「気持ち」が薄れるので記憶にのみ頼り、進行していくこととする。
 
 当日の国立はものすごい人だった。ただウズベキスタン戦と比較すると、何か緊張感に欠けていたよな気がする。それは前戦が夜であり、今日は昼間のゲームだったからなのか、もしくは敗戦という結果が出た後、すなわち現在の印象なのかも知れない。ただ今僕の目に記憶されているゲーム前の風景はなにやらとても穏やかな雰囲気なのである。

 とはいえ、「決戦」であることはまちがいない。つい数日前に帰化となった呂比須のスタメンが発表され、国立は大いに沸く。そしてキックオフ。日韓は一進一退の攻防を繰り返し、前半は0−0で終了。後半開始以降、やや日本がペースをとる。山口、名波、中田の中盤が韓国を制し始め、左サイドを駆け上がった相馬のシュートが惜しくもポストをたたく。日本攻勢!そしてあのループシュートが入る。スタジアムは一気に沸騰する。そしてその後も日本が良いリズムのパスワークを展開。いよいよ韓国は何も出来なくなる。

photo by footballをご一緒に


 その時何故か日本ベンチが動く。呂比須に代えて秋田投入。あきらかに失点を防ぐ交替である。その時、「守るな。攻めろ。」と僕は力の限り叫んだ。ドーハはもちろん、87年の中国戦を始めとして日本はいまだ狡猾に守れるほどのマリーシアはない。逆に多少のリスクがあっても自分のリズムで攻めていたほうが結果としてリスクを軽減することは明白だった。そして「今」の日本はそのリズムを所持していたのである。

 加茂の愚策により、日本のリズムは崩れた。そして・・・。

 僕はゲームセットのホイッスルを覚えていない。いや、あのイレギュラーバウンドの逆転ゴールの後の記憶が一切ない。次に記憶があるのは、自宅の風景であり、つまり帰路の記憶も一切ない。あれは悲しみとかの表現では追いつかないほどの思いだったのかも知れない。

 翌日、僕はふたつの失敗に気が付いた。
Sの送別会に無断欠席してしまったこと、そして前日のゲームのVTR録画が途中でテープ切れになってしまっていたこと。そしてそのテープのエンドでは日本が1−0で勝っていた・・・。

【第4節終了時】
韓国9(+5)UAE7(+5)日本4(+2)ウズベキスタン1(−5)カザフスタン1(−7)

 

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