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 カントクの寝言  road to germany 蒼への思いpart6 (2004.3.4)
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決戦のジョホールバル 


○97年11月16日 3−2(Vゴール)イラン(ジョホールバル)

「マジにマレーシア行かないんですか?ツアーも用意してあるし、席もありますよ。」
チャムシルに行った後輩Kが何回も僕を誘いに来た。
「今回行かなくちゃ、今回応援しなくちゃ、何のための予選だったかわかんないすよ。」
でも僕は行かないと決めていた。日本がW杯に出場するまでは、絶対に海外サッカー観戦をしない。何十年も前に自分自身で決めた、このくだらない意地を貫くことこそが、言い換えればジョホールバルに行かないことが、僕にできる最後の応援なんだと思っていた。もちろんこの意地を決めたのは、ドーハなんかより遥か昔であり、日本代表は漆喰の闇の中にいた。よって当時は無理やり意地を貫くなんて気持ちじゃなく、どうせダメなんだから、というあきらめの気持ちが強かった。当然、勝てばW杯が決定するなんてシュチエーションに日本代表が登場することなんて夢にも思っていなかった。
 だから、実は迷った。しかし、結論はあっさり出た。意地を貫くことが、僕なりの応援手法であると勝手に決定したのである。

 B組最終戦の快勝、第3代表決定戦の場所が噂されていた中東でなくマレーシアとなったこと、相手のイランはA組最終戦からの試合間隔が日本より短いこと。多くの要素が日本に味方していたと思う。そしていよいよ、最後の決戦が始まった。

 日本は川口、名良橋、井原、秋田、相馬、山口、名波、中田、北澤、カズ、ゴンのスタメン。カクテル光線の影響だろうか、TVでは黄色く見える芝生上にイレブンが散る。レフェリーのホイッスルでゲームスタート。日本は特に気負いもなく、落ち着いてゲームを支配する。そしていきなりのイランのオウンゴール。しかしこれはオフサイド。その後も日本ペースでゲームは進む。遂に前半終了間際、ゴンゴールで先制!日本リード!!国立の韓国戦ではTVコメントをしていて、遂1週間前に代表入りしたゴンがドーハに続いて結果を出す。その最高の雰囲気で前半終了。

 後半開始。この予選でやや不安があった井原に遂に決定的ミスが出る。こぼれ球をアジジに詰められ同点。さらに打点の高いダエイのヘッドで逆転される。この時点で残り30分。岡田監督はカズとゴンを城、呂比須の2トップに交替する。状況は後半になって1点のビハインド。しかし、何故か僕は負ける気がさらさらしなかった。イランはリードした後、完全に守りに入り、まったく怖くない。また日本は中盤でボールを散らし、鋭い攻撃を仕掛けている。あせならければ、必ず同点にできると思っていた。そして遂に城が決めた。中田からのアーリークロスを見事にアタマで捕らえた素晴らしいヘッドだった。その後も日本が押すが、点は入らず遂に2−2でVゴール方式の延長戦に突入する。

 延長開始直前、日本はスタッフを含んだ全員で円陣を組んだ。この円陣を見た時、僕は何故かフランス行に確信をもった。日本代表チームの、サポーターの「気合」が、悲壮感や義務でなく、円陣というもっともっとポジティブな意味で表現されたことで、確信を持ったのだ。その確信は岡野という攻撃的選手を交替で使うという積極的な采配で、さらに増した。

 延長前半開始、日本は岡野の再三の突破でイランゴールを襲う。しかしゴールは生まれない。イランは完全に青息吐息、GKの状態も良くなく失点を防ぐので精一杯の感がある。しかし日本にゴールはうまれない。延長後半、イラン中盤から左サイドに大きな縦パスがでる。ダエイがフリーでパスを受ける。ゴールは目の前。「あー」僕は思わず声を出す。あれだけ優位に攻めていたのに、たったこれだけのカウンターでまたしても道が閉ざされるのか。しかし幸いにもダエイのシュートは枠外にいった。「ふぅー」またしても思わず今度はため息が。

 そして遂にあの場面がやってくる。中田の倒れながらのシュートをイランGKがはじく、そこに岡野が飛び込む。ボールは遂に遂にイランゴールを割った。
 が、その瞬間、僕は中田も岡野も見ていなかった。ラインズマンを探していた。もちろんあれはオフサイドではない。しかし、きっとラインズマンの旗は上がっているはずだ。日本がそんな簡単にW杯にいけるはずなんてないもん、きっとオフサイドになるよ。
 ベンチから岡田監督を始め、全員が飛び出してくる。それでも僕はTV画面でラインズマンを探していた。岡野のシュートが決まってから、多分3秒程度、僕はこうしてTVの前で固まっていたのである。

 実況からもオフサイドのコールはない、日本選手は喜びの表現をやめない、その時になって、そこまで確認して僕は日本の勝利という現実を始めて信じた。勝った、ほんとうに勝った、日本がワールドカップに出られる・・・。僕の喜びがはじけた。ぐぁー、声にならない声をあげ、僕は部屋の中を飛びまわった。奥さんと抱き合った。やった、やったぞ、本当にやったぞ、そうしてまた部屋を飛び回った。その時アタマの中に1枚の写真が浮かんだ。何故か71年9月ミュンヘン五輪予選が浮かんだ。目測を誤った横山がセービングしている失点の場面だ。あー、そうだ、あの時ラジオで実況を聞いたのが、すべてのくやしさの始まりだったのだ。それから26年目の今日、僕らはあの時から始まった様々なそして多種のくやしさを全て払拭できたのだ。

 その晩(深夜)の楽しさは今も忘れられない。NHK衛星を始めとした様々なチャンネルを回し、朝までTVの前で微笑んでいた。そして翌日、僕にひとつの変化が生まれる。海外でサッカー観戦をすることを決めた。今まで貫き通した意地が、願掛けが遂に達成できたのだ。遂に、僕自身のフランス行きが決定したのであった。

 

◆あとがき 


 フランス以前を振り返ることでひとつ再認識できたことがある。それは日本代表が僕の生活にかなりのウエイトを占めているということだ。ゲーム中だけでなく、ゲーム前はその活躍を期待し、ゲーム後はその活躍に喜怒哀楽を表現する。そして「日本代表」をキーワードとして様々な場所で様々なことを体験し、様々な人達と出会う。そんな生活の一部となっている代表だからこそ、僕は今後も自然体で付き合って行きたい。怒るときは怒り、喜ぶときには思い切り喜び、泣くときには心底から泣く。大人ぶらず、通ぶらず、斜にかまえず、愛を持って接していきたい。そんなことを思った。

 最後に
 ニッポン、チャ、チャ、チャ。


 もひとつ最後に。ジョホールバル以降はこちらを見てね。

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